平和を作り出す人 マタイによる福音書5章9節


佐藤真理子

平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。

(マタイによる福音書5章9節)

第二次世界大戦が終わってから、実に80年近くが経ちました。日本では戦争を直に体験した人の声は非常に貴重なものとなりつつあります。それにつれて、先の戦争の歴史が風化していくことに最近危機感を覚えます。

大型メディアが流す昨今の世界情勢、国内情勢は、大義名分によって戦争を正当化していくような風潮があるように感じます。

私が強く感じるのは、近年様々なことにおいて選択肢の自由がなくなるような、自由に意見を述べることができないような風潮がひろがっていることです。近年、次のような世の中の流れを感じることがあります。まず恐怖を煽るような報道が続き、人々が冷静さを欠いたところで、これこそが「正しい」「正義だ」という選択肢が与えられます。続いてそれに相反するものと二項対立するような構造がつくられたかと思うと、問答無用で様々なことが猛スピードで決定されます。ここで正しいとされてしまったことに反対意見を述べたり疑問を呈したりすると、悪のレッテルを張られたりおかしな人という扱いを受けてしまうという流れです。

また、一度正しいとされてしまった選択肢に懐疑的な場合、それを他人に言うのが憚られるような空気が流れているようにも思います。SNSもある特定の意見に対して規制がかけられるようになりました。そういった世の中の流れによって、私たちから次第に自由が奪われているように思うのです。

戦争には様々な大義名分が付きまといますが、必ず裏で金銭的な利益を受ける人々がいます。その人たちがメディアを使って世論操作することは、いつの時代でもどの国でも起ります。戦いは「戦い」自体を目的としている人々によって起こり、続いていきます。それを見落として戦いたい人が決めた正義と悪をそのまま鵜呑みにして白黒決めつけてしまえば、結局は戦い自体を目的とする人の操り人形となってしまいかねない危険もあるのではないかと思います。

 

立ち止まり主を見上げること、主から来る平安と知恵を求め、そのうえで生きることが、本当に大切な時代となりました。勿論それはいつの時代も大切ですが、近年本当に重要なことになったと思います。見聞きする周りの意見よりも、何よりも神様の意思に心を傾けて生きれば、自由が失われることは決してありません。

イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「もしわたしの言葉のうちにとどまっているなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」

(ヨハネ8:31~32)

神様は人に自由をもたらします。神様から来る自由は人をむやみに裁いたり分断することはありません。神様が与えるのは平安の中で人を愛する自由です。それこそが本当の平和をもたらすのです。

 

ここ最近では、戦争における英国の劣化ウラン弾の供与が問題となりました。日本は世界の中で唯一原子爆弾投下を経験した国です。私たち日本人は、その悲惨さを世界に伝えていく使命を負っていると私は思います。原子爆弾の悲惨さを最もよく知っているのは、日本なのです。世界の歴史は戦勝国によって打ち出されたものが主流となりがちですが、その危険性は戦争が正義の道具として正当化されてしまうことにあります。日本は先の大戦の敗戦国だからこそ、犠牲を出さないための犠牲など一切存在しないのだと、戦いは人間の命と幸せを奪うだけで何の意味もないのだと私たちは知っています。そこから見える真実があります。

原子爆弾の被害を直接知っている人は本当に少なくなってきましたが、絶対に風化させてはならない歴史です。何とかして次の世代に伝え、そして原子爆弾の悲惨さを知らない国々に、もう二度と投下されてはならない理由を示していかなければなりません。特に、核保有国の方々に知らせなければならないと私は思います。核保有国であっても、世論が国の決断を覆すことができるかもしれないからです。

そのために家庭や教育現場での戦争教育、また次世代や海外の友達、特に核保有国の方々に対し日本での原爆被害について知らせたり、SNSなどでシェアすることは非常に重要だと思います。10フィート運動(米軍によって記録された原爆投下当時のフィルムを日本の市民が一人ひとりの3000円ずつの募金によって10フィートずつ買い戻した運動)によって作成された映画は、当時の様子が現実の映像で収められているので原爆被害について大変よく分かる素材だと思います。

 

戦争は、心が愛ではないものに支配された人によって起こります。

神は愛の源です。愛は人に優しさと平安をもたらします。愛は連鎖します。愛は平和を作り出します。真の平和は戦わない状態以上のものであり、互いに愛と優しさを持って相手のために生きることで生まれるものです。

南アフリカが内戦状態になるのを防いだ聖公会の司祭、デズモンド・ツツ大主教はこのような言葉を残しています。「過去にとらわれないようにするには赦すことだ。我々は復讐の連鎖を選ぶのではなく、赦しの連鎖を選ぶのだ。」

国家とはある意味で実体のない線引きであり、そこに本当に存在しているのは一人一人の人間です。私たち一人一人が互いに愛し合いそれが連鎖されていくことが、何にも脅かされない真の平和をもたらすのです。

いつも神を求めていれば、私たちの心は愛以外の何者にも支配されません。神から与えられる愛と真理によって歩み、私たち一人一人の手で平和を築いていきましょう。

 

佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団所属。
上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

17 + four =