佐藤真理子
心をつくして主に信頼せよ。自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言3章5節)
生きていると、何かを待ち望むことが度々あります。進路のこと、周りや自分の状態や状況の変化、病の癒しなど時が来るのを待ち望むことは誰しも一度は経験したことがあると思います。その時に思い出してほしいのは「たとえ私は急いでいても神様は急いでいない。」ということです。大切なことほど焦りなどネガティブな要素で選択しても良い結果は生まれません。
しかし、人は自分の人生を自分で背負おうとすればするほど、焦りを感じてしまいやすくなります。大切なことは神様のタイミングを信じることです。今この瞬間も神様は働いています。「神のなされることは皆時にかなって美しい。」(伝道の書3:11)と聖書にある通り、神様のタイミングは早すぎもしなければ遅すぎることもありません。また、神様は人の知恵を超えた知恵を持っています。周りの状況、時勢など、私たちに見えていないものが神様には見えています。あれこれ自分の頭で考えすぎると時に頭はパンクしてしまいます。何より大切なのは神様にまず信頼することです。
神様はすべてを益に変える力がある方です。神様への信頼は後悔や不安に対する最大の処方箋です。
私自身、これまで神様の導きの中で様々なことがありました。
私は洗礼を受けた教会とのつながりは持ち続けていますが、それとは別に、これまで何度かいろいろな場所に引っ越してきたので様々な教会に出席してきました。その中ではつらい思いをしたことも度々あります。けれども一見負の要素に見えることすらも益となったことが多くあります。
例えばある教会でハラスメント問題を相談した結果、家族とともに教会を出されてしまったことがありましたが、その教会と一時的につながっていたことで、私はラジオ伝道の働きをしている宣教団体と出会いました。次に行った教会でも愛餐の際に気づいたことを伝えたところ教会を出されてしまいました。しかし、そのことを相談するためその教団のハラスメント委員会の方とつながったことが不思議な縁となり後々益となりました。またその教会を出たことをきっかけに、私は前の教会のつながりで出会ったラジオ宣教団体に連絡しラジオ伝道の働きを始めることになりました。そのことによって私はショートメッセージを放送するという伝道の在り方を知り、それが自分に合っていることを深く感じました。またこうした教会でのつらい思いやハラスメントは、同じような経験をした人への深い理解につながり、「真の教会とは私たち一人一人だ」という深い確信を私にもたらしました。
その後ラジオ宣教もやめなくてはならなくなったとき、インターネットでの働きを始める着想を得ることができ、AMORの連載も始めさせていただきました。いまこうして私の記事を読んでくださっている皆さんに出会えたのは、神様が一見負の要素に見える経験を益と変えてくださり、支えてくれる温かい方々を備えてくださったからなのです。
また、神様の助けや守りにも、人知を超えたものをこれまで何度も感じてきました。
私は最初の修士課程の際、聖書に対する考え方が全く異なる先生についてしまいました。それで半ばうつ状態になりかけたところ、全く外的な要因で指導教官が別の方に代わることになりました。また、大学院の時にたまたま見つけたクリスチャンの寮は、当時の私の学部の大学院のキャンパスの隣の駅で、何か偶然を超えたものを感じ私はそこに住むのを決めました。そのころ通っていた教会(集会)は大学の友人の家族が中心になっているもので、引っ越しなど大変お世話になったのですが、次第に少し閉鎖的な、時にカルト化しているような息苦しさを感じ、次第に友人や友人家族を全く傷つけずに離れるにはどうしたらよいかと祈るようになりました。するとその教会は私の住んでいた場所から遠い場所に移転することになり、私は穏便にそこから離れることができました。
また、私は以前教育実習をした都心の学校からコロナ前に1年だけその学校の聖書科の教師をやらないかというお声をかけていただいたのですが、祈ってもどうしても心の平安がなく断りました。その時に自分の心の平安がない理由はわかりませんでしたが、間もなくコロナが広がり、多くの学校が授業を通常通り行うことができない時期が来ました。1年だけの契約だったので、もし受けていれば、そのために引っ越したとしてもちょうどまともに授業ができない期間だけを過ごすことになってしまうところでした。
様々な出来事を羅列してしまったので分かりにくいかもしれませんが、これまで私の人生に、神様の働きによって導かれたことが数え切れないほどあり、その一部がどなたかの励ましになればと思い書きました。
何度も、と書きましたが、それは毎日、絶えず起こっています。神様は今この瞬間も働いているからです。
もしこうなったらどうしよう、とか、もし失敗したらといった可能性については、神様を信じる限り恐れることはありません。そういった考えに引き込まれそうになったとき、私は、オランダの宣教師コーリー・テン・ブームの次の言葉をいつも思い出します。
ある日私は、織物学校を訪ねました。そこでは、ちょうど学生たちがとてもきれいな模様の織物を織り込んでいました。私は彼らに訪ねてみました。
「これ、もし失敗したら、そこを切り取って、もう一度最初からやり直すの?」
そのうちのひとりが答えました。
「いいえ、私たちの先生はとてもすばらしい芸術家ですから、失敗しても、それを使って美しい模様に作り替えてしまうのです」
私たちの主は、私たちの失敗にもそのようにしてくださいます。主は、すばらしい芸術家です。ただ、私たちは身をゆだねなければなりません。あなたの大失敗も、主にゆだねてしまいなさい。主はそれを用いて、あなたの生涯をもっとすばらしいものにすることがおできになります。
(コーリー・テン・ブーム著、錦織寛訳『日ごと新たに』日本ホーリネス教団、178頁)
あなたに信頼することは、私たちに奇跡をもたらします。父よ、あなたがわたしたちのために計画書を作成なさるときには、決して間違いはありません。
(前掲書、119頁)
神様の導きは完璧です。神様のタイミングは完璧です。
主に信頼し、すべての道で主を認めれば、神様はあなたの道を最善であり最高のものへと導いてくださいます。
佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団所属。
上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
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