風の行方


伊藤一子(レクレ-ション介護士、絵本セラピスト)

新緑のさわやかな季節となりました。風薫るという季語は、若葉の中を吹き渡るさわやかな風を表しています。夏のはじめの風は、薫風、若葉風、青嵐など様々な名前を持っています。心地よい風に吹かれて、クリスティーナ・ロセッティ詩、草川伸作曲、西城八十訳の「風」の一節をふと口ずさんでしまいました。

  誰が風を見たでしょう僕もあなたも見やしない

  けれど木の葉をふるわせて風は通りぬけてゆく

この歌では、風はキリスト教の聖霊を連想させます。風には、人知を超えた厳かなるものが感じられるのかもしれません。

さて、風の行方を不思議に思った、男の子がいました。絵本「かぜはどこへいくの」(シャーロット・ゾロトウ作、ハワード・ノッツ絵、松岡享子訳、偕成社、税込み1320円)では、男の子の問いとお母さんの答えを重ねていくことで、男の子自身で、自然と人の営みへの理解を深めていきます。お母さんは、「終わりはなく、別の場所で別のかたちではじまる。」との確たる思いをもって、男の子の問いに答えていきます。

お休み前の母子の楽しい会話の時間、男の子はお母さんに質問を重ねていきます。「風がやんだら、どこへいくの?」「遠くへ吹いていって、どこかでまた、木を揺らすのよ」とお母さんは答えます。子供の心は、不思議でいっぱいです。「道の先は?」「雨で降った水はどこへ?」「秋の落ち葉は?」「秋がおわったらおしまいになるの?」次々とお母さんに疑問を投げかけます。お母さんはきちんとその問いに向き合い、真摯に答えていきます。「冬のおわりは?」「冬の終わり、雪が解けて鳥が戻ってきたら、それは春のはじまりよ。」お母さんは答えます。

問いと答えを重ねることで、男の子はある真実に気づきます。「ほんとに、ぐるぐるぐるぐる続いていくんだね。おしまいになっちゃうものはなんにもないんだね。」と。お母さんは、それを受けていいます。「今日は行ってしまった。明日、朝が来たらお日様はどこか遠い所へ行って、そこでは夜が始まるし、お日様はここにきて、新しい一日が始めるのよ。」

「おしまいになってしまうものは何もない、別の場所で別のかたちではじまる。」終わりは別の形での始まりであり、世界はつながりあい、循環している。男の子はたくさんの疑問を重ねることで、自然と人の営みを理解し、自分の言葉にしました。さあ、お休みの時間です。

この世界をよくよく観察すると、たくさんの疑問が生まれます。その疑問をしっかり受け止め、応えてくれる人がいます。自分なりの答えを導き出すのを促すための、問いと答えを重ねる良いコミュニケーションのありかた。そして、終わりは別な形での始まりとなり、この世にあるものはすべて、つながり循環するという考え方。私は、この絵本を手に取るたびに、哲学的といってもいいほどの奥深さに魅せられてしまいます。また、ハワード・ノッツによる絵は、モノクロの鉛筆画ゆえに、絵本にさらなる奥行きを与え、美しい自然の様々な色彩を想像させ、読後の深い余韻を与えてくれます。

  深呼吸して肺の奥若葉風


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