土屋 至
1979年のCLC(Christian Life Community)ローマ大会に参加したレバノンの代表団は黒いスルタンを着た神父さんと古い帽子をかぶったシスター、まさにバチカン公会議以前のコングレガチオ・マリアナの姿そのものだった。
レバノンといえば、マロン派キリスト教とカリール・ジブラン(英語読みに基づく表記。一般にはハリール・ジブラーン)。
マロン派キリスト教については他稿がふれていると思うので、ここでは省いて、カリール・ジブランとその著『預言者』について書くことにする。
私のカリール・ジブランとの出会いは3回あった。
1回目はごま書房。当時小さな印刷会社に勤めていた私はごま書房の求人欄を見て応募。ごま書房は光文社出身者が創立者の一人となり、新書シリーズを次々刊行し光文社のカッパブックスをしのぐほどの勢いだった。その会社の求人に応募したときの課題がゴマブックスの本を選び、その書評を書くというものだった。そのとき選んだのがカリール・ジブラン著『プロフェット――予言者』だった。預言者の「予」はまだ「預」ではなかったような気がする。結果的には採用されなかったので、たいしたものではなかったのだろう。あのときここに採用されていたら私の人生は大きく変わっただろうな。
2回目は「宗教」の教員になって神谷美恵子さん(1914~1979)の本を読みあさっていたとき、みすず書房のしおりみたいなものに神谷美恵子さんがカリール・ジブランを紹介されていた。神谷美恵子さんも「預言者」の翻訳者の一人である(『ハリール・ジブラーンの詩』角川書店 2003年)。
3回目は佐久間彪神父(1928~2014)が翻訳した立派な装丁の本。1984年至光社刊のこの本をそのあとに私の妻となる女性からプレゼントされた。
さて、カリール・ジブラン(1883~1931)。
レバノンの詩人、哲学者、画家、彫刻家。宗教や哲学に基づく、普遍的なエネルギーに満ちた詩や絵画などの作品を生み出し、20世紀のウィリアム・ブレイクと称された人物。アメリカでは、アラブ系作家として最も著名な存在。
詩人であり、彫刻家というのは高村光太郎と彷彿とさせる。
『預言者』の一部を紹介しよう。「私はこの本を書くために生まれてきたのだ」とも述べている本である。この本の草稿が書かれたのは彼が15歳の時。その後20年間の推敲を重ねて英語で出版されたのは1923年、彼が40歳の時。
例えば、
「子供について」
あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。射手は無窮の道程(みちのり)にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。かれの矢が遠く遠くに飛んで行くために。あの射手に引きしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、留(とど)まっている弓をも愛しているのですから。
(佐久間訳 21~22ページ)
「結婚について」
愛し合っていなさい。しかし、愛が足枷にならないように。むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く海があるように。おたがいの杯を満たし合いなさい。しかし、同じひとつの杯から飲まないように。お互いにパンを分け合いなさい。しかし、同じひとつの塊を食べないように。一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。
(佐久間訳 19ページ)
これは出典がどこであるかわからないが、名言集に出ていた言葉である。
これらのジブランの言葉について、佐久間神父は『預言者』の後書きでこう述べている。
かれが乞われて語り始めるとき、私はそこにみなぎる静けさの中で耳を傾け、宇宙創成のはじめに響いていたあの永遠の『ことば』ロゴスが、今日も人間の世界にその依り代を得ていることを、感じ取ります。そして、およそすべてのものに宿る永遠者自らが、かれを通して語り、また自らの声に耳を傾けているのを知ります。そこに溢れるのは、時間にあって時間を超え、空間にあって空間を超える永遠の想いです。
(佐久間訳 92~93ページ)
土屋 至(つちや・いたる)
聖パウロ学園高校宗教科講師。SIGNIS Japan会長。
認定NPO法人 おもしろ科学たんけん工房 副代表理事。