『聖母の騎士』編集長 山口雅稔神父インタビュー~~コルベ神父の思いを継いで90年~~


はじめに

今回、キリスト教系主要紙誌の編集長にご寄稿いただいているこの特集の中で、唯一、『聖母の騎士』の編集長 長崎の修道院在住の山口雅稔神父様(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)にはインタビューの形にさせていただきました。編者(私)と旧知の間柄で、リモートでの久しぶりの対面でお話をお聞きしたかったためでもありました。お話の中でずっと心に浮かんできたのは、創刊者聖マクシミリアノ・コルベ神父の姿とその思いです……(ききて/石井祥裕 AMOR編集長)

 

今年1000号を超え、一般メディアからも注目

――お久しぶりです!   このたびは、ご協力をありがとうございます。AMOR創刊5周年にあたり、福音宣教とメディアのあり方について広く考えるために、キリスト教系主要紙誌の編集長の皆様にご寄稿をお願いした特集です。まず、『聖母の騎士』についてご紹介くださいますか?

『聖母の騎士』は今年の5月に、発刊1000号を迎えたんです。そのことが、地元で話題になり、「読売新聞」「長崎新聞」などから取材を受けました。また、ここの修道士で、『聖母の騎士』にもかかわりが深い(聖母文庫『ながさきのコルベ神父』など多くの本を著している)小崎登明(おざき とうめい)さんが今年4月15日に93歳で帰天し、そのときも取材が多くありました。8月9日の原爆の日に長崎市長の平和宣言がなされますが、平和宣言は、「今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。『アウシュビッツの聖者』と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。」と始まり、小崎さんの被曝体験と平和への思いが続きます。たまたま現在、自分が修道院長でもあり、『聖母の騎士』編集長でもあるという立場なので、今年はその点からもたくさん取材を受けました。NHKからもありました。もちろん、一つの宗教の宣伝にならないような報道や放送になっていますが、こんなふうにカトリックの身内以上にカトリック外のメディアで注目されるのだ、ということが、自分にとっても一つの発見でした。

 

宣教は頭を下げることだった……

――そうだったんですか。それは、おめでとうございました。『カトリック生活』は前身雑誌の創刊が1928年だったとようですが、『聖母の騎士』はそれに続いて古い雑誌なのですね。

はい、コルベ神父様が1930年に来日して、当時の長崎司教早坂司教の許可をいただいて、2週間ぐらいで創刊号を作っています。日本語をまったく知らないコルベ神父、ゼノ修道士、ヒラリオ修道士が、頭を下げて原稿の翻訳をお願いし、日本人の協力を得てできあがったものです。よく、来日して1ヶ月で創刊するなんて奇跡だと、言われますが、協力してくれた人がいっぱいいたということ、これが奇跡だったのですね。もちろん、そこには人の心を動かすコルベ神父がいてのことでしたが、コルベ神父の宣教は、まず頭を下げることだった、というところに、宣教者の姿勢の一つのしるしがあるのではないでしょうか。

 

――宣教というと何も知らない人に、上から教えていくというイメージがあるものですが、まず「頭を下げること」から始まったというのは象徴的ですね。

コルベ神父様の思いはシンプルであったと思います。日本には、イエス様も知らない、マリア様も知らない何千万という人がいる。だから知らせよう。マリア様のことを知らせたら、イエス様を知ることになるだろう、そういうことでした。以来、表紙もマリア様の絵、ときには写真を入れるということもありますが、そこは一貫しています。この雑誌の顔ですから。

 

――そのコルベ神父の創刊時から名前も『聖母の騎士』として変わらないですね。名前が同じ雑誌という意味では、もっとも古く(戦争中6年間中断があったそうですが)、もっとも歴史のある雑誌ということですね。コルベ神父の思いが今に直接伝わっているというのはすごいことですね。

 

この雑誌との出会い、印象

――ところで、神父様は、2017年から編集長ということですが、お若い頃、外から見ていたときはどんなふうに見ていたのですか?

自分が修道会に入り、神学生となったとき、神学生には、『聖母の騎士』が毎月各人に配布されていました。24歳の頃です。あまり面白く感じなかった(笑)。他の神学生もあまり興味深そうにしていませんでした。関町の修学院・修道院にはたくさん余っていましたので、上智大学神学部に編入したとき、カトリックセンターの入口に「どなたでもお取りください」という形で置かせてもらったこともあります。

そのころの編集長は水浦征男(みずうら いくお)神父様(この11月20日で80歳)で、編集部員としてまた編集長として30年以上もこの雑誌に携わっていた神父様です。今、修道院で一緒に暮らしています。まさか、自分が編集を担当することになるとは思いませんでした。当初は、長崎の修道院院長、幼稚園副園長、小教区主任司祭の任命として赴任したのですが、前任の編集長の赤尾満治神父様が兵庫県に転任することになり、現地にいる自分が編集長も引き受けることになったのです。正式には2018年3月号からです。

 

――AMORの歩みは2016年11月からですから、神父様が始められたのは、すぐあとのことだったのですね。ところで、神父様は、それまでに何か編集の経験とか、あったのですか?

いいえ、全くなにも。ただ、修道会で神学生養成の仕事を12年間していた間、多くのキリスト教系の雑誌や新聞を読んでいて、養成者としてそこから神学生に役立つ情報や話題を、食事中の話題に出すというようなことをしていました。紙媒体は、切り取ったりコピーしたりできますので、手元にある資料として役立てることができました。

 

編集長となって

――それは、重要な素養となって活きているのだと思います。さて、編集長となっていかがでした。私どもにとっては、『聖母の騎士』という名前も表紙のマリア様も不変なので、雑誌としてのスタイルも同じように見ていたのですが……。

初代編集長コルベ神父様が6年間なさった雑誌、私が引き受けたとき90年近くなっているこの雑誌でしたが、ちょうど転換期にさしかかっていました。ご紹介した水浦神父様は、上智大学の新聞学科出身で、ジャーリナスト的志向性があり、社会問題にも関心が強く、一般紙にもしばしば投稿するなど、一般の週刊誌や新聞の感覚をもっていた方で、それが雑誌づくりにもよく出ていたと思います。そのような時代が長くあったあとを受けて、前任の赤尾神父様の時代には、時代との対応を考えた試みとして、横書きスタイル、つまり左側から頁を開いていくスタイルに一時移行しました。パソコン時代の横書きスタイル、インターネットのURL 記載、洋書の参考文献の記載など、さまざまなところで横書きスタイルが流通してきたことへの対応だったと思います。

 

――そうでしたか、あまり気づかなかったのですが、それは大胆な試みでしたね。

私が編集長を引き受けたときは、そのような形態や進め方の転換期にあって、それをさらに前に進めようかどうしようかというところだったのです。ただ、誌面形態としては、やはり縦書きの右から頁を開くスタイルに戻しました。多くの読者が慣れなかったのですね。内容的には、かかわっている人たちの意見をまずよく聞き、取り入れての企画に苦心しました。2018年の1年間は、毎月紙面が変化しているという状態でした。バックナンバーをぜひ、ご覧になってください。1年間の試行錯誤の後、2019年1月号にストンと落ち着き、現在の形に落ち着いています。

 

『聖母の騎士』2021年12月号

――紙面形態の大変革としては、『キリスト新聞』が有名ですが(伝統的縦書き紙面からタブロイド版への移行)、『聖母の騎士』という伝統ある雑誌がずいぶん思い切った改革をしていたのですね。

現在の『聖母の騎士』は小規模体制ですから、紙面レイアウトはほぼ一人のスタッフが担当するほか、企画、執筆依頼、原稿整理、校正とすべては今のところ編集長が担当しています。それはコルベ神父様のときから変わらぬ伝統かもしれませんね(笑)。紙面は、シンプルに読みやすく、を目指して、凝ったことはほとんどしていません。自分が美味しいと思えるラーメンを、お客さんにも、というようなラーメン屋の店長のような気持ちで毎回作っています。とくに世の中で問われている問題に対して、カトリック的価値観、倫理観を提示しようということは、心がけているところです。

 

――『聖母の騎士』は長崎のものというイメージですが、購読者の範囲や年代はどうですか?

地域的に見れば、長崎が特に多いということはありません。全国的です。マリア様ファンは全国にいらっしゃるからでしょうね(笑)。年代層では、やはり8割以上が60代から80代。帰天したので購読辞めますという連絡がよく来ます。ある時代にある程度の年代の方に定着して、そのまま年代が高じていっている感じですね。全体として、増えていくという時代ではないと思います。紙媒体の雑誌は。

 

“存在の手渡し”の大切さ

――AMORも、キリスト教系の新聞・雑誌の編集経験を持つメンバーが主体で、基本、紙媒体雑誌のイメージを根底にして、その上で今後、さらに多角的に展開できないかと模索しているところです。この雑誌という紙媒体メディアの特質はどこにあるとお考えですか?

結局、コルベ神父のところに戻ると思います。コルベ神父は、この雑誌が雑誌だけど、家庭に置いておく御絵になるようにと考えていたんです。『聖母の騎士』が日本の全家庭に配られれば、その家にマリア様がいることになる、と。雑誌がそこに実際にあることが大事だということです。“存在の手渡し”が原点なのです。

 

――そういえば、『聖母の騎士』の大きさはA5判で変わりませんね。

それをいじろうと思ったことはないですね。この紙型で90年続いています。もちろん内々に議論はありました。大きい方がもちろん情報量を増やせるなど。でも、ゼノさんが創刊当初、雑誌を配るときに、ちょっとしたかばんにも詰められるようにして、電車の中で読んでね、というふうに手渡しで配っていったということがあります。手渡しするのによい大きさ……これを守っています。

 

――コルベ神父様は、紙媒体メディアの本質性をよく見ていたのですね。手渡しできる、表紙や内容を通じてマリア様がいつもいる、そのことを示すことのできるメディアということですね。さすがにメディア宣教、マス・メディアの保護の聖人となっている方ですね。ところで、AMORをご覧になっていかがですか。

ごめんなさい、いつもすべての雑誌や新聞、そしてキリスト教系のインターネットメディアを見ているのに、今回初めて知りました(笑)。でも、とても見やすい、感じのよい、健康的でちゃんとしているウェブマガジンだなという印象です。すぐ“お気に入り”に入れましたよ!

 

両形態のメディアの協働へ

――ありがとうございます! そのように、コルベ神父以来の伝統と本質性を受け継いでいらっしゃる立場として、インターネットメディアと紙媒体メディアの協働の中で福音宣教ということについてはいかがでしょう。

情報メディアとしては、インターネットメディアのほうは軌道修正しやすいというか、事態への即応ができるという面があると思います。今回のパンデミックのことに関しても。紙媒体は、遅くなる点、記録性が特徴になります。たとえば、バチカン通信などの情報をネットで閲覧し、あとで、カトリック新聞で確認するというような具合に。

紙であることのよさは、それを置いておけばどこにあるかわかるということがあります。ネット情報だと、場合によってどこにあるか分からなくなったり、ということがありますしね。AMORの場合は、これまでのすべての記事をウェブで残してくれているというところがありがたいです。ぜひ、消さないでほしい、残していてほしいと思います。

今、『聖母の騎士』はウェブ版にも力を入れたい気持ちはありますが、まだ本格的に体制が整っていない状況です。修道会のホームページからの紹介リンクを通じてつながっていますが、各紙誌の紙媒体とウェブサイトの連動や相互性には期待したいです。インターネットメディアならではという点では、やはり音声と動画が優れた特徴になりますので、そこで特色を発揮して、大いに発信していくのがよいのではないでしょうか。

 

――たしかに、その点は、AMORでも目下課題となっているところです。きょうのお話を聞いて、我々も、それぞれの雑誌の様子をいつも見ながら、多くの人の参加の場となって、人々が福音に近づける、そこで互いに出会える場にしていきたいと思います。きょうは、一つの歴史ある雑誌の根底にどのような精神が流れているかを教えてくださり、ほんとうに、ありがとうございました。

 

おわりに

山口神父様との対話を通して、ずっと浮かんできたのが、コルベ神父様やゼノさんたちのおよそ90年前の働きです。そこにあった思いを伝えていただけたことが重要でした。紙媒体のよさをあらためて知った気持ちとともに、ウェブマガジンという形の存在意義、可能性や固有の使命にも対しても逆に、大きなヒントをいただけたと思います。

これからも他の紙誌の編集者の皆さんとの交流の中で、いっしょにメディアと福音宣教ということを考えていければ、と感じました。

 


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