写真でアート(アットホーム編)


太田有美子(写真家)

ここ数年毎年夏が暑くなる気がする。最高気温が30度を超えるのは当たり前、35度にもなることが珍しくなくなった。フリーの写真家として独立して数年が経つ。ジャンルは自然風景、コロナで外出自粛、活動は停滞した。熱中症対策で夏場はなおさらだ。しかし何かしら撮っていなければすべての感覚が鈍ってしまう。そこでこの夏は「おうちdeフォト」にシフトを図った。

外出を自粛し台所に立ち調理をする時間が増えた。その作業の途中で包丁片手に東側の窓に調理途中の野菜を透かしてみたりする。今までは急いで作業をしていてそんな時間はなかった。その一瞬にみる色や形を感じる時、それはほっこりする楽しい時間だった。アスパラの皮を剥いた後、その皮がシンクに散らばったり、輪切りにしたミョウガの中に小さな輪が沢山あったりすることに気が付くのだ。そしてすぐにそれを写真に撮る。見た形、感じたものを撮影して画像にしていく。なかなか実現できないこともある。泡にできた紋様はタイミングを逸して微妙な光の差し込み方によって一瞬にして消えてしまったりすることも度々あった。日々の生活は実は少し見方を変えるだけでアートにあふれている。例えば庭の草には虫食いの穴があり、それはハートのような形に見えたりする。その隣に絡まっている蔓が大小あって、それが頭を合わせた親子のように見えたりするのだ。着眼点をどこに持つかだけ、発想を転換するだけでいろいろに見える。大切なのは固定概念を廃止すること。美術の番組でよく例え話にでてくるのは、リンゴは丸くて赤いというように、頭ですでに出来上がっている考え方から離れたときに新たな発見と面白味、さらにはその人独自の物の見方が生まれるという話だ。きちんと感じたものを写真に展開できたとき、充足感で自分の心が満たされ、その成果に心うきうきしてくるものだ。それをこの夏実感した。

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カメラは今やスマートフォンに付属のものとなり一人一台持っている道具となった。いつでも押せば何かは写る。ポケットにしのばせておくだけでなく、まな板の上に広がる野菜や日頃見慣れた日常風景にカメラを向けてみてはどうだろう。よく写真は切り取りの芸術といわれている。どんな部分をどんな風に切り取るのか、まったく自由なのだ。画像はその一例。さあ、どれが何か判るかなあ。上の段から左から右の順番に、ミョウガの輪切りにした断面、中性洗剤の泡の表面、水を入れたコップに浮かんだお盆の紋様、真ん中の段へいって、キュウリの横断面、ブロッコリースプラウトと枯れ枝、プラスチックスプレー容器の中の結露、最後に一番下の段、アスパラガスの皮、キャベツの芯、濃いお抹茶の湯のみの表面にできた泡。「おうちdeフォト」してみませんか。単なる野菜を切ったりする単調とも思える台所作業が新たな発見につながる。そして次第に心がわくわくしてきて、明るい気持ちになれると思うのだ。人間の心は決して複雑ではなく、ただ単純に何かいいものを発見した、形にできた、その気持ちが大切なのではないか。

新しい生活様式が叫ばれる今、写真でアートしてみませんか。自分自身の心を前向きに保ち自己免疫力を高め、モチベーションをアップさせた上で、正しい感染症対策をし、皆で明るくこのコロナ禍を乗り切りましょう。

*アウトドア編はこちらです。

 


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