佐藤真理子
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
ヨハネの福音書14章16-17節
もうすぐペンテコステ、つまり聖霊降臨祭がやってきます。聖霊は、人格化された愛です。聖霊とは、人の内に住む神の姿です。聖霊は聖書の原語では息や風という意味も持った言葉が使われています。風は目には見えません。しかし私たちは肌で、また風にそよぐ木々や葉、舞い落ちる花びらを見て、その存在を知ることができます。
聖霊も同じです。目に見えるものではありませんが、確かにその存在を感じ、そして人を動かし、根本的に全てを変化させることができる神の力です。
私の好きな讃美歌に、「聖霊来たれり」という歌があります。その歌詞の中に「目に入るもの皆輝く」という言葉があります。この言葉の語ることを私は体験したことがあります。それはまさに聖霊が私に降った体験でした。
物心つく前からキリスト教を知っていましたし、神様の存在を信じていましたが、神様と本当に出会ったと言える体験を、はっきりと覚えています。
それは母が病気になったことをきっかけに起こりました。母はヨハネの福音書の「この病は死で終わるものではなく、神の栄光をあらわすもの」というみことばによって本当に力を受けていました。私は母の中に生きる神の力を見ました。その後、私は出会う人一人一人の一番美しい部分を見ているようなキリスト者の方に出会いました。どうしたら自分もそのようになれるだろうと思った時、一人一人の人間は自分そのものなのだと神が語る聖書の場面が浮かびました。例えば、キリスト教を世界に伝えた使徒パウロはかつてキリスト者に対して熱心な迫害をする者でした。そのパウロに向かって、十字架に掛かって死んだあと、復活したイエス・キリストはこう語ります。「なぜ私を迫害するのか。」この出会いによってパウロは迫害者から伝道者へと変わります。キリストにとって、パウロが迫害していたキリスト者達は自分そのものだったのです。また、新約聖書マタイの福音書25章には「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」という言葉があります。一人一人が他の人間に対してしたことを、神は自分に対してしたことだと捉えるのです。
私は、「私に出会った人はイエス様なのだ」と思いました。そう思うと今まで目に入らなかったバスで一緒に乗り合わせる人や道端のホームレスの方などが急に近しい存在として感じられるようになりました。私の中に暖かいものが宿り、過去の辛い記憶が自分にもたらされた赦しとともに癒されました。そして、目に映る景色は、全て輝いて見えました。「目に入るもの皆輝く」です。
キリストは、キリスト者となることを「霊によって生まれる」と表現しています。まさに私が新しく生まれた体験でした。私に聖霊が働いたのです。そして私は神を伝える者へと変えられました。
聖書の始め、創世記には、人に神の霊が与えられ人は生きるものとなったと語られています。神の霊である聖霊は、いのちの源です。人に罪が入ってから、人は霊的に死んだ者となりました。しかしキリストは十字架にかかる前、全ての人のために聖霊を遣わすことを約束します。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」ヨハネの福音書14章26節
聖書には人は聖霊によってイエスを主と告白すると語られています。私たちが神を信じるのは、まさに聖霊の御業なのです。また、神は私たちを子供とする霊を与えてくださったことも、聖書に示されています。この聖霊によって、私たちは神を誰よりも親しい父親として「アッバ」と呼ぶことができます。アッバとは中東で今も使われている、父親に対しての親密な表現です。
この聖霊によって、神は私たちを子供とし、最愛のイエス・キリストと共にすべての良いものを与えてくださったのです。
聖霊はキリストについて教える、私たちに内住する神です。この聖霊は、キリストが十字架にかかって復活した後に与えられました。新約聖書の使徒の働きには約束された聖霊が世に下り一人一人のもとに降った時のことが書かれています。その場には大勢の人がいましたが、その時皆が聖霊で満たされました。キリストの弟子たちはキリストの生前、キリストを裏切る行動を起こすような弱さを伴っていました。しかし、この聖霊を受けたのち、彼らは別人のように何者も恐れずいのちをかけてキリストを宣べ伝える者となりました。聖霊が彼らを変えたのです。彼らを通して神が余すところなく働くようになったのです。
使徒の働きという書物にはキリストの弟子たちがあらゆる場所に福音を宣べ伝える姿が描かれています。聖霊は彼らを導く役割を負います。行くべき場所に導き、また行ってはならない場所には行かないようストップをかけ、宣べ伝えるキリスト者を励まし、強めます。
聖霊は今も変わらず全く同じ役割をキリスト者に対して果たします。キリストへの信仰を与え、人を真理へと導きます。また人を癒し、愛する人へと変えます。弱さを神の働く機会と変え、愛による強さを人に与えます。人を行くべき場所に導き、人の歩みを神の栄光をあらわすものへと変えるのです。
聖霊は私たちの祈りも導きます。どう祈ればよいかわからないような時が訪れたとしても、聖霊によって、私たちは人の言語を超えた祈りをすることができます。
聖霊は生きる神の力です。もし悲しみや不安に苛まれることがあるなら、あなたの中にあたたかな聖霊の強い力が感じられるまで聖書の御言葉を読み、祈ってください。聖霊に満たされた時、人は喜びと平安を知ります。人に最も奥深い不変の幸せを与えるもの、最も奥深いところからの不変の喜びを与えるのが聖霊です。聖霊は人にとって最も大切な不可欠な存在です。求めれば必ず与えられることが、聖書に約束されています。
「ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも求める者は手に入れ、探す者は見いだし、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
ルカの福音書11章9―13節
聖霊はだれよりも近くであなたを助ける助け主であり、慰め主です。あなたを決して離れません。キリスト者とは聖霊によって生きる者です。
聖霊を求めて祈りましょう。
「聖霊、来てください。」
佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団沼津泉キリスト教会所属。上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
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