全てを益とする神 ローマ8章28節


佐藤真理子

神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

(ローマ8章28節)

 今これを読んでくださっている方は、それぞれいろいろな状況の中で日々を過ごしていらっしゃると思います。

 

 聖書に登場する人物は、順風満帆といった人生を歩むことは殆どありません。真直ぐに神を信じたものほど迫害に遭い、迫害者から逃げたり、大きな試練を通りながら歩みます。「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願うものはみな、迫害を受けます。」と第二テモテの3章にあるとおりです。しかしそのような信仰のある人々は皆、生ける神の介入により、代えがたい喜びを得て生きています。ヨセフもまた例外ではありませんでした。

 

 ヨセフは旧約聖書の族長時代に生きた、ヤコブの子供の一人です。イスラエルに生まれたヨセフには兄弟が多くいましたが、ヨセフの兄たちは父親が彼をだれよりも愛しているのを見て、ヨセフを憎んでいました。ある日ヨセフは二つの夢を見ます。一つは畑で束を作っているとヨセフの束が起き上がり、兄たちの束が周りに来てヨセフの束を伏し拝むというもので、もう一つの夢は、太陽と月と11の星がヨセフを伏し拝むというものでした。これらの夢についてヨセフが兄たちに話すと、兄たちはますますヨセフを妬むようになりました。そこでこの兄たちはヨセフを殺すことを企てます。

 

どうにかそのことは思いとどまったもののヨセフの兄たちは彼を穴に放り込み、ミディアン人の通りがかりの商人に売ってしまいました。商人はヨセフをエジプトへと連れていきます。ヨセフはエジプトの地で、王であるファラオに使えるポティファルという人物に買い取られます。ポティファルは神がヨセフとともにいてすべてを成功させてくださるのを見ました。ヨセフによってポティファルの家は祝福されました。ところがポティファルの妻はヨセフに毎日言い寄るようになりました。ヨセフが彼女から逃れようとすると、彼女はヨセフを貶め家から追い出してしまいます。ポティファルは妻に騙されヨセフを監獄に入れました。しかし「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうように」されました。監獄でヨセフは一緒に拘留されていた者たちの夢を聞き、その意味を解き明かします。ヨセフはそのうちの一人に、やがて王ファラオが元の地位にあなたを戻すだろうと語りました。ヨセフが語った通り、その人は王に仕える地位に戻りました。しかし「あなたが幸せになったときには、どうかわたしを思い出してください。」とヨセフから言われていたにも関わらず、その人はそれを忘れてしまいました。

ところがある時エジプトの王ファラオは不思議な夢を見ます。王がその意味を強く知りたがったとき、ヨセフと一緒に監獄に入っていた人はヨセフのことを思い出しヨセフのことを王に告げます。それでヨセフは王の夢の解き明かしをすることになりました。ヨセフは神によって見事にその夢の意味を解き明かし、王は飢饉に備えることができました。

王はヨセフに感銘を受け、エジプトを監督する地位につかせました。やがて飢饉に苦しんだヨセフの兄たちは穀物を買いにヨセフのもとへやってきます。ヨセフは自分を追放した兄たちと和解します。ヨセフはイスラエルにいる父や弟、自分の家族をエジプトで養うことにしました。ヨセフは兄弟たちにこう語ります。

 

「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと5年は、耕すことも刈り入れることもないからです。神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。」(創世記45:5-8)

 ヨセフの子孫であるイスラエル人はこれ以降エジプトに住むことになります。エジプトで奴隷とされてしまったイスラエル人はモーセによって救出され、この歴史はやがて救い主キリストへとつながっていきます。

 ヨセフは自分を殺そうと企て商人へと売ってしまった兄たちにこう語ります。

 

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)

 ヨセフは自分に悪を図った兄たちの行動の背景に、自分を愛している神の御手を見ました。そして神の御計画に信頼しました。ゆえに、兄たちを赦し愛することができたのです。

 このヨセフの歩みに関して、賛美歌アメージング・グレースの作者ジョン・ニュートンはこんなことを語っています。

「ヨセフの歴史の中にこのような偶然の出来事――これらの出来事はその一つ一つがそのあとの彼の発展的な歩みに必然的な影響を与えることになります――を私たちはどれほど多く挙げることができることか。もし彼が夢を見ていなかったならば、もし彼がその夢を人に告げていなかったならば、もしミディアン人が一日早く、あるいは一日遅く通り過ぎていたならば、…… このようにヨセフの最初の夢とキリストの死との間に、まばゆいばかりに燦然と輝く結果とともに、ひとつの関連を、見て取ることができるかもしれません。この上もなく偉大な出来事と実に些細な出来事との結びつきは、深遠で計り知れないものですが、非常に強いものです。信じる者にとって、次のようなことを知ることは何と心地よい考えでしょう。人間のありとあらゆる種類の妨害の意図の真っただ中にあって、主が何としてでも達成せずにはおれない一つの変わらざる意図を実現するために役立ててしまえるほど、主は賢明で、力強く、誠実であられること、を。」(ジョン・ニュートン著 中澤幸夫編訳 『「アメージング・グレース」物語 ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝』彩流社、2006、P113-114より)

 新約聖書のローマ人への手紙8章28節にはこのようなみことばがあります。「神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ヨセフの歩みにはまさにこのみことばが真実であることが示されています。またこの言葉は、信じるすべての者、私たちに向かって語られた言葉でもあります。

 ヨセフの歩み、聖書にあるすべての人の歩みをみるときに、一見悪いことさえも、また悪を働く人との出会いさえも、神が素晴らしいご計画のために用いることがわかります。そして私自身も自分の歩みを振り返るときに、まさにその通りだったと思うのです。自分が出会うすべての事、すべての人の背後に、すべてを動かす愛の神の御手をみる歩み、それが信仰による歩みです。自分にとって心地よい出来事や人との出会いはとても受け入れやすいものですが、人生には勿論受け入れがたいこともあります。しかし、必ずそれを良いことのための計らいとして用いる神がいるのです。神はあなたを愛しています。だから、あなたにとって素晴らしいことのために用いられることだからこそ、受け入れがたいことも存在するのです。失望せずに、神の愛を、神の全能性を、神の御手を、神のご計画を信頼し続けましょう。聖書はあなたに約束しています。

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

ローマ人への手紙5章5節

 

佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団沼津泉キリスト教会所属。上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。

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