キリスト教を通しての「民間外交」(エキュメニカル運動)――2020年SIGNIS ASIA大会(ウェビナー)から考えること


倉田夏樹(立教大学日本学研究所研究員、南山宗教文化研究所非常勤研究員)

ウェビナーで開催された初のシグニスアジア大会

人類共通の関心事であり、乗り越えなければならない「危機」である新型コロナウイルス感染症(Covid-19)に直面して、さまざまな国・地域の人々が祈り、連帯して行動している。パンデミックが分断をもたらしていると同時に、そうした国際的な連帯は、オンラインなどを通してもより強まっている側面がある。

コロナ禍中にあった昨年2020年11月18日から19日、シグニスアジア大会がオンライン(ウェビナー)で行われた。テーマは「Covid-19:メディアとコミュニケーションの役割」。パンデミックがもたらす影響について、カトリックの参加者によって話し合われた。シグニス(SIGNIS)とは、ローマ教皇庁公認の「コミュニケーションのための全世界カトリック協議会」(2001年設立)で、「しるし」の意味である。ラジオ、テレビ、映画、インターネット・メディアなどに携わる130か国以上の人々や団体が参加する非政府組織(NGO)である。

シグニスアジアのウェビナー大会では、インドのマギマイ博士の名コンダクト(指揮)の下、アジアの諸地域から交響曲のように、アジアのカトリック教会の諸問題が切り結ばれた。日本からは、片柳弘史神父(イエズス会)が参加し、コロナに際して「日本の一地方」(中央ではなく)からの発信がなされた。マギマイ博士は、日本のカトリックの人口に対しての割合が0・42%であるのに対して、インドの割合が1・7%であることを指摘した。改めてマギマイ博士が強調したのは、「識字率」(literacy rate)の問題であった。インドは多言語国家であり、図表が示すように識字率自体が72%と、他のアジアと比べても高くない。そうした背景から、インドにおけるカトリックメディアは、活字新聞よりも、インターネット、テレビ、ラジオが盛んなのだそうだ。

アジア各国の識字率

日本では長らく、信徒の高齢化、教会の次世代への継承の難しさばかりが議論されてきたが、識字率は100%である。この点はあまり触れられておらず(当たり前の現実として享受されている)、「アジアにおける日本」として考えた時に、大変恵まれている点であることに気づく。高齢化している日本の信徒だからこそ、カトリックメディアにおいては、オンラインに対しては保守的で、紙媒体の新聞や雑誌が盛んである背景もある。日本国内を見る際に、単一言語・識字率100%の点から、カトリック福音宣教メディア論を建てる必要があるかもしれない。

 

カトリックのエキュメニカル運動

エキュメニズムは、教会一致運動という邦訳が一般的だが、教派はキリスト教の豊かさであり、特に教派を特定の一つに強引に合流させようとするものではない。教会(教派)間対話運動が実を呈するかもしれない。ギリシャ語のオイクメネー(οἰκουμένη/全地)を語源とすることから、教派間対話運動であり各国間の代表対話運動でもある。エキュメニズムというと、異なる教派間の対話運動と思われるが、原語の「全地の対話」が指すように、カトリック同士の対話であっても広義でのエキュメニカル運動が成り立つと筆者は考える。カトリック同士のエキュメニカル運動は、同じ教派間の対話であり、各国間の代表対話運動である側面がある。

シグニスについて説明を加えたい。シグニスの別称カトリックメディア協議会(World Catholic Association for Communication)とは、アクシオン・カトリック(Action catholique)の成果として、JOC(Jeunesse ouvrière chrétienne/カトリック労働者連盟)などとともに、1927年にベルギーで設立されたUCIP(International Catholic Union of the Press /国際カトリックプレス連合)、翌1928年に、オランダで設立されたOCIC(Office Catholique Internationale du Cinéma/国際映画視聴覚カトリック組織)、ドイツで設立されたBCIR(Bureau Catholic International de Radiodiffusion)〔BCIRは、1946年にUnda(International Catholic Association for Radio and Television)となる〕などを前身とするローマ教皇庁(バチカン)福音宣教省の組織である。2001年に、OCIC(オシック)とUnda(ウンダ)が合併しシグニスと改称された。

世界各国の都市をホスト都市として、1927年にはBCIRのケルン大会、1930年にはUCIPのブリュッセル大会などが開催されて以来、シグニスとなってからも、シグニスワールド、シグニスアジアが主催する形で、大会(Assembly)が行われてきた。近年の大会は下記の通りである。

シグニスワールド シグニスアジア
2001年:ローマ大会
2005年:リヨン大会
2009年:タイ・チェンマイ大会
2013年:ベイルート大会(中止)
2014年:ローマ大会
2017年:ケベック大会
2022年:ソウル大会(予)
2007年:東京大会
2015年:スリランカ大会
2016年:ミャンマー・ヤンゴン大会
2018年:バンコク大会
2019年:クアラルンプール大会
2020年:ウェビナー(オンライン)大会

 

プロテスタントのエキュメニカル運動

前職において私は、人文・宗教書(プロテスタント)についての書籍(単行本)編集に携わった。近代の組織的・制度的なエキュメニカル運動は、プロテスタントの側で始められた感がある。1910年に英国(スコットランド)で始められたエディンバラ会議を端緒として、WCC(World Confference of Churches/世界教会協議会)、CCA(Christian Conference of Asia/アジア・キリスト教協議会)というメンバーシップがある。どちらも、人々の心と信仰の分かち合いの場と言える。シグニスワールドがそうであるように、さまざまな国・地域で大会を行ってきた(下記参照)。オリンピックと同じく、世界が平和でないと開催されない事情がある。カトリックのシグニス大会とプロテスタントのWCC/CCA大会は構造が似ていることを指摘したい。どちらも、信徒運動の傾向があり、プロテスタントがエキュメニカル神学なら、カトリックはメディアを使った福音宣教を主軸としているところが注目点である。

WCC大会 CCA大会
1948年:成立
1948年:アムステルダム大会
1954年:米エヴァンストン大会
1961年:インド・ニューデリー大会
1968年:スウェーデン・ウプサラ大会
1975年:ケニア・ナイロビ大会
1983年:ヴァンクーヴァー大会
1991年:キャンベラ大会
1998年:ジンバウェ・ハラレ大会
2006年:ブラジル・ポルトアレグレ大会
2013年:釜山大会
2022年:カールスルーエ(予)
1973年:EACCから名を変えて成立
1973年:シンガポール大会
1977年:マレーシア・ペナン大会
1981年:インド・バンガロール大会
1985年:ソウル大会
1990年:マニラ大会
1995年:コロンボ大会
2000年:インドネシア・トモホン大会
2005年:チェンマイ大会
2010年:クアラルンプール大会
2015年:ジャカルタ大会

2022年は、全世界で蔓延している新型コロナウイルスによって延期になっていた大会が開催される年で、カトリックのシグニスワールド・ソウル大会の他、WCCのドイツ・カールスルーエ大会の他、聖公会の諸教会の集まりであるランベス会議など、さまざまなエキュメニズムの大会が開催される年で、「ポスト・コロナ」に際して、どのような声明が出るか、目が離せない。カトリック側を見ても、コロナという全―世界的な危機に際して、公会議開催の可能性も否定できない。

 

「民間の外交官」としてのエキュメニスト

日本国内で定められている「通訳案内士」という資格には、「民間の外交官」であるという謳い文句がある。通訳案内士は、「日本代表」として日本を訪れる外国人観光客に、日本の歴史・地理、クールジャパンなど最新の日本について案内する。エキュメニカル運動の成員をエキュメニスト(Ecumenist)と呼ぶが、エキュメニストもまた「民間の外交官」である。「民間外交」(エキュメニカル運動)として、私はかつてプロテスタント誌の編集長として、以下の2つに参加した。一つ目は、2012年6月に行われた「下北核半島スタディツアー」。二つ目は、2011年8月に行われた「第13回東北アジア・キリスト者文学会議」(長崎で開催)(こちらも参照)である。前者は「脱原発」について、後者は「東北アジアのキリスト教文学」と、必ずしも「エキュメニカル運動」として企てられたものではないが、内実は「エキュメニカル運動」そのものであった。

こちらは、WCCなどが主催のイベントとはまた異なっている日本発の集まりだが、前者には、韓国の伝説の民衆神学者とも言われる金容福(キムヨンボク)さんや、WCC本部(スイス・ジュネーヴ)から、ジョナサン・フレリクスさん(アメリカ人)が参加しており、ツアーの途中には連帯し共同宣言文が出された。

フレリクスさんとは、下北半島を北上するバスの席が隣同士で、サッカーのユーロ2012年の話や、日本の福音宣教、ポストフクシマの話など、いろいろ冗談も含めながら、語り合うことができた。韓国からも、牧師や信徒伝道者、マスコミ関係者が参加しており、両者とも、表面には出さないが「3・11を経験した日本人が原発に対してどのように対処しているか」を具に見ている側面があったように思われる。翻って、そこにあったのは「のんきな日本人」であったかもしれない。「蛇のように賢く」(マタイ10:26)行動することもまた必要だ。

後者は、「東北アジア・キリスト者文学会議」という名前であるが、参加者は韓国と日本から来たキリスト者であった。実際顔を合わせると、日本と韓国の間には相変わらず深い溝があることがわかる。こうした国を超えた集まりに参加する人びとであるので、変な先入観を持っていない人びとであることが多いが、酒を介した時にポロリと本音がでたり、空気が荒れたりすることもある。このあたりは繊細なところがあるので、日本側としては細心の注意を要する。

大会(Jamboree)は、出会いの場であるとともに、連帯できる同志や、まだ世に出ていない当地の秀英、鍛えがいのある若者を見つけるところ(Boy / Girl Scouts)でもある。東アジアの人々がいがみ合えばいがみ合うほど米国の国益に与すると書いていたCIAの職員がいたことを思い出す。政府間の外交では、歴史の中で生じた軋轢に対するお詫びや訂正というものはそう出るものではない。宣言も、事務手続きのような文が並ぶだけである。その点、民間外交で、目に見える実際のつながりから、二国間の歴史について語り合うことは重要だ(それは、いきなり目に見える謝罪するということを必ずしも意味しない)。そのためには、東北アジアの現代史についてよく知っていなければならない。

中には、心荒れて、日本側に「謝れ!」とどなるように言い放った韓国の参加者がいたりもした。そして、すぐに「そういうことを言う場ではない!」と諫めた韓国の参加者もいた。韓国の参加者は、前述した2つの集まりでも、日韓の間の溝を埋めるべく、慎重な行動をしていた人びとがいたことが印象に残っている。食事の前後に、持ちネタ(まさに、芸は身を助く)を発表したり、詩を吟じたり、韓国人は芸達者な印象がある。日本側から、韓国側にとって有利になる言葉を戦略的に引き出そうとする国益的したたかさを持っている態度を感じる時もあった。日本側は、どうも出た所勝負で、あまり準備がない印象がある。

 

日韓エキュメニズムの柱となる尹東柱

詩人尹東柱

いささかの緊張感を感じる日本と朝鮮半島を結ぶ紐帯となりうる人物に詩人・尹東柱(ユンドンジュ)がいる。現代の延世大学校(延禧専門学校)出身のキリスト者・詩人で、現在の北朝鮮、あるいは中国吉林省生まれとも言われるが、「韓国人詩人」として定着しており、現在の韓国国籍者にとっても、北朝鮮国籍者にとっても、「国民的詩人」であるという。

戦中に日本に留学し、帝国立であることから、合格した東北帝国大学ではなく、キリスト教学校である立教大学に進学し、朝鮮人の自主独立運動家に対する締め付けが厳しくなり、京都の同志社大学に移り、やがて逮捕され、1945年2月16日に福岡の刑務所で壮絶な死を遂げる。日本人が尹東柱を引用するだけで、「言葉にならない申し訳なさ」が伝わる。尹東柱こそ、東アジア連帯への大きな鍵ではないだろうか。2022年には、シグニスワールド・ソウル大会がある。

1月7日、日本において緊急事態宣言が菅義偉総理から発布され、東京都など都市部はロックダウン状態に入り、再び「危機」の時代に突入したと思われたが、1回目の緊急事態の時のような深刻さを人々にもたらすことはなく、3月21日には解消になった。私たち日本のキリスト者にとって苦しい局面であることに変わりはない、何としても「平和を実現する者は、幸い」(ルカ5:9)の聖句を大事とし、共生できる世界を人々の手で作り上げることが、宗教の別なく、万民共通の急務と言いうるだろう。全力を尽くし、「平和のために働く人」として、それぞれの持ち場で仕事を行わなければならない。エキュメニストには、「平和のために働く人」の意味が強く込められている。

立教大学のシンボル「フルール・ド・リス(百合の花)」が印字されているレポート用紙に書かれた尹東柱の詩

2020年代の時代の転換点の第一歩として、2021年1月20日に米国ではバイデン民主党政権が誕生し、翌1月21日には、核兵器禁止条約が発効された。しかし当然ながら、前オバマ米国民主党政権が、口頭では狂言綺語、美辞麗句を並べながら中東都市を爆撃した歴史も忘れてはならない。今を生きるキリスト教徒としては、決して希望を失わず、平和を求め、絶えず自らの内奥とこれからをみつめて公平・公正に働く時である。苦しい時にこそ人びとの真価が問われている。コロナでつながりにくかったり、つながりやすかったりする不思議な時世であるが、それぞれのやり方でともにコロナを乗り越え、「民間外交」(エキュメニカル運動)をとおして、歴史を超えた真のアジアの連帯が俟たれる四旬節である。

 

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