アート&バイブル 82:大祭司の前のキリスト


ヘラルト・ファン・ホントホルスト『大祭司の前のキリスト』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

この絵の作者、ヘラルト・ファン・ホントホルスト(Gerard van Honthorst, 生没年1592~1656年)は、ネーデルランド(ユトレヒト)出身の画家ですが、長年ローマで暮らしていました。そして、彼はこの絵でもわかるように「夜のシーン」が得意で、「夜のヘラルト」というあだ名で呼ばれています。

夜や暗闇の中では、一つ二つのわずかな光(通常は一本のローソク)が情景や人物に深みを与えます。その意味で、ホントホルストは、「夜の画家」と呼ばれるフランスのジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593~1652)を先取りしたような画家なのです。ホントホルストのこの作品は、カラヴァッジョ(Caravaggio, 1571~1610年)のようなキアロスクーロ(強烈なほどの光と影の明暗)よりも柔らかく、しかしその分、深みを感じさせる場面となっています。

この絵を見ながら、聖書の箇所を読んでみると、人物たちの声が聞こえてきそうです。マルコ福音書14章53~64節です。

人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来ます。祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたのですが、得られません。証言が互いに食い違っていたからです。

そこで、大祭司は立ち上がって真ん中に進み出て、イエスに尋ねます。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」。しかし、イエスは黙り続け、何も答えません。そこで、重ねて大祭司は尋ねます。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」。イエスは言います。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」。すると大祭司は、衣を引き裂きながら言います。「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒瀆の言葉を聞いた。どう考えるか」。一同は、死刑にすべきだと決議したのです。

 

ヘラルト・ファン・ホントホルスト『大祭司の前のキリスト』(1618年 キャンバス油彩 272cm×183cm ロンドン ナショナルギャラリー所蔵)

【鑑賞のポイント】

(1)大祭司カヤファは指を立てている仕草をしていますが、これはイエスを非難しているポーズです。イエスが有罪とされたのは、安息日を守らないというモーゼの律法への違反、神殿侮辱罪、自分をメシアと認め、かつ神の子と称したことなどですが、イエスが本当のことを言ったから殺されるという悲劇がここにあります。

カヤファたちはユダヤの律法でイエスを裁き、死罪に価すると決めましたが、当時はイスラエルを占拠していたユダヤの総督ポンティオ・ピラトのみが死刑を宣告し、それを執行できる権限をもっていたため、イエスはピラトのもとに連行されていきます。これによって、イエスはユダヤ人たちと異邦人たちの両者から、死を宣告されたことになり、全人類の罪を担うキリストであることが証しされるのです。

(2)イエスの表情はカヤファの表情とは対照的に静かで、落ち着きがあります。周囲にいる人々の唇に力を入れて結び、沈黙している様子も緊迫感があります。イエスのために口を開かず、黙っていることもまた一つの罪なのです。

 


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