現代美術界の巨匠であり、ドイツ最高峰の画家、ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画である。監督のドナースマルクは、リヒター自身の著書や伝記に魅せられて映画化したという。映画ではリヒターがクルトになって描かれている。
映画はナチス政権下のドイツを舞台にはじまる。クルト少年は叔母エリザベトの影響から、芸術に親しむ日々を送っていた。エリザベトは芸術に造詣があり、自らも感性の思うままに活きていた。エリザベトはクルト少年の前で全裸になって、「真実はすべて美しい」と表現するのだった。そうした自由奔放な行動が、精神のバランスを崩したかのように見られ、エリザベトは病院へ連れ去られてしまう。そして、安楽死政策という名の下に、ガス室で命を奪われる。
終戦を迎えたクルトは、東ドイツの美術学校に進学する。そこで出会った美しいエリーと恋に落ちる。そのエリーの父親は、元ナチ高官のゼーバントといい、叔母のエリザベトを死へと追い込んだ張本人なのだった。しかし、誰もその残酷な運命に気付かぬまま二人は結婚する。
やがて、東ドイツのアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に、エリーと西ドイツへ逃亡する。新たな芸術の道を開かれ、美術学校で創作に没頭する。ところが、伝説的存在のフェルデン教授から作品を全否定され、創作活動に行き詰る。だが、魂に刻むエリザベトの言葉「真実はすべて美しい」を信じ続けたクルトは、ついに自分だけの表現方法を発見し新作を完成させる。それは、罪深い過去を隠し続けた義父を震え上がらせる作品でもあった。
主人公のクルトは、ナチの第三帝国政権下、東ドイツ、西ドイツとそれぞれの置かれた体制の思想に振り回される。自らの芸術観はどこにあるのか、独創性とはなにか。絵を描きながら、自らの「真実はすべて美しい」を追求しつづける。
主人公のクルトについてドナースマルクは「誰にでも起り得る人生における困難から、善いものを生み出す錬金術のような能力が、私たち人間にはあることを証明してくれる人物だ」と分析する。そして、「偉大な芸術作品というものはどれも、トラウマを希望に変えることができると私は信じている」と語り、「戦後直後の復興の時代に、いかに芸術が貢献したかを描こうとした」と言う。
さらにドナースマルクは「芸術は抑圧されず、無理強いにも屈しないし、完全に自由だ。もし、条件を押しつけられたりすれば、芸術は芸術でなくなる。だからこそ、ナチの蛮行とその後のドイツの人々の罪の意識という最も悲惨な歴史の中から、1960年代にデュッセルドルフで偉大なアートが、まるで奇跡のように立ち上がることができたのだ」と解説する。
映画のなかで印象的なのは、妻エリーの全裸のシーンである。クルトはそこに「目をそらさないで。真実はすべて美しい」というエリザベトの記憶を重ねる。映像に美しく照らし出される裸体を前にするクルトの姿は、数奇な人生に翻弄されながらも、真実を求め続けるという揺ぎない精神の確かさを感じさせてくれる。
デュッセルドルフ芸術アカデミーのフェルデン教授が生徒たちに向けて講義するシーンも見所だ。「自由があるのは芸術家だけ 戦後自由の感覚を取り戻せるのは芸術家だけだ ゴミ収集業者であろうと 農民であろうと 芸術家になり得る 外からの影響を受けずに 個の力を伸ばせ 諸君が自由でないと 誰も自由にはなれない 自分を解放することで 世界を解放する 諸君は聖職者だ 革命家であり 解放者でもある」と力説する。
この言葉は、芸術家へ向けたものに留まらず、いまを生きるわれわれ一人ひとりがどのように生きたらいいのかを考えるヒントにもなっているように思えてならない。
鵜飼清(評論家)
10月2日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
©2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG
脚本・監督・製作:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演:トム・シリング、セバスチャン・コッホ、パウラ・ベーア、オリヴァー・マスッチ、ザスキア・ローゼンダール