佐藤真理子
高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8章39節)
これを書いている今、全国各地で豪雨の被害が広がっています。これ以上被害が広がることの無いよう毎日多くのクリスチャンが祈りを捧げていることと思います。
自然災害は、多くの人が心を痛める出来事です。
2011年、東北で大きな地震が起こった時のことです。テレビを通して津波の惨状を目の当たりにした私は大きな衝撃を受けました。
その後、私はカリタス・ジャパンというカトリックの救援活動団体を通して東北へとボランティアに行きました。
そこで目にした光景は、やはり衝撃的なものでした。崩れた建物、積み上がった車など、悲惨な光景が広がっていました。傾聴のボランティアでいろいろな方のお話を伺うと、ますます心が痛みました。がれき撤去や誰のものかわからず集められた写真を綺麗にする作業も、やりながらいろいろな思いに駆られました。
ボランティアをしながら、神様のなさることへの疑問が自分の中でふつふつと沸き上がりました。自然災害は、戦争などと違い、人の過ちで起こるものではありません。それなのに、絶大な被害を引き起こし、多くの人を悲惨な状況に陥れてしまいます。
そこに滞在しているうちに、私の中で「神様がわからない」という思いが大きくなっていきました。
そしてある時、外に出て一人で「神様どうしてですか。」という祈りをしました。
その日の夕方、カリタス・ジャパンに協力している教会でミサが行われることになっていたので、私も出席することにしました。その時に聖書朗読で読まれたのは、次の言葉でした。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦痛ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。
「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださる方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、そのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8章35〜39節)
この時のことは生涯忘れることができません。私の祈りへの答えが、ローマの8章なのだと分かりました。この言葉が、地震に対して「なぜか」と問うた私の疑問への神様の答えだったのです。
「どうしてこんなことが起こったのか」
その理由や合理的な答えを得ることはできませんでしたが、私にとってこのみことばは、それ以上の答えでした。
どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
「何が起こっても、神の愛から人を引き離すことはできない。」
それが神様の答えなのだと思いました。
今豪雨による災害で苦しんでいる方々、新型コロナウイルスによる被害を受けている方々、またいろいろな事情でつらい状況に立ち向かっている方々のために祈りたいと思います。イエス様は、苦しみを知らない方ではありません。血を流すほど苦しみながらゲッセマネで祈り、むち打ちで痛めつけられ、十字架に釘打たれて亡くなりました。しかし、その後復活し、世の終わりまで私たちと共にいることを約束されました。
「なぜですか神様」と問いたくなる出来事に出会わざるを得ないとき、聖書が人に与える確信は、次のことなのです。
「何があっても、どんなものも神の愛をあなたから引き離すことはできない。」
佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団沼津泉キリスト教会所属。上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love
佐藤真理子さんが、東日本大震災の被災地に訪問していたとは思いませんでした。被災者の言葉を聞いてくれて、気持ちを分かってくれて、ありがとうございます。被害を受けた方と同じ東北人である私もボランティアの方に感謝の気持ちを覚えます。言い忘れていましたが、私のハンドルネームは「そっぽ」です。人は大きな困難に遭遇した時、神様を見失う思いに襲われるかもしれませんが、災難に耐える事で、一層神様との繋がりが強くなるものかもしれません。
コメントありがとうございます。時に私達はヨブ記のような出来事に出会いますが、試練を通して神様の愛が輝くのだと思います。