ピエロ・デッラ・フランチェスカ『モンテフェルトロの祭壇画』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
この絵の作者、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 生没年1420頃~1492)は、アレッツォに残されている『聖十字架伝説』の作者として有名です。サンセポルクロという町に生まれ、裕福な商人の一族のもとで成長します。ピエロは1439年にはドメニコ・ヴェネツィアーノ(Domenico Veneziano, 1410頃~1461)とともに芸術家として働き、光と色彩の調和に強い関心を示しました。1452年にはアレッツォのサン・フランシスコ聖堂の主祭壇の壁画装飾を手掛け、5年の制作期間を経て、『聖十字架伝説』を完成させました。
1469年にはラファエロの父であるジョヴァンニ・サンティ(Giovanni Santi, 1435頃~1494)の客として、ウルビーノに滞在し、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公爵(Federico da Montefeltro, 1422~1482)の知遇を得て、公爵と妻バッティスタの肖像画を描きました。その絵の成功から、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公爵の墓廟を飾るために『モンテフェルトロの祭壇画』の制作を始めました。
彼はフラ・アンジェリコやフィリッポ・リッピと同時代に活躍した人ですが、その画風はどこか、醒めたような静けさがあり、哲学的なものを感じさせる独特なものでした。人物たちの表情は神秘的な霊気を感じます。また背景として描かれている建物は幾何学や建築学にも通暁していたことを思わせるものです。この祭壇画には15の謎があるとも言われています。
【鑑賞のポイント】
(1)まず目立つのが背景の建物の天井の装飾です。アーチ型の天井はルネッサンス期に流行したもので、一番奥に貝殻装飾がありますが、これは万物の創造のシンボルであり、そこにつるされた卵はダチョウの卵という説があります。当時、ダチョウの卵は受精を必要とせずに孵化するという動物説話があり、マリアがイエスを聖霊により身ごもったことを表しているというのです。またこの絵が墓廟の祭壇画であることを考えると、卵はイエスの復活のシンボルであるとも考えられます。
(2)聖母は両手を合わせて膝の上に眠る幼子イエスを静かに見つめているように見えます。その幼子の姿は眠っているというよりは「死んでいるかのような姿」で青ざめて、ぐったりしているように見えます。そして受難の象徴である赤い珊瑚の首飾りをつけています。
(3)(向かって)左側にいる3人の聖人のうち左端は、洗礼者ヨハネです。公爵の妻バッティスタはこの絵に描かれていませんが、この洗礼者=バッティスタ・ヨハネが妻を暗示しています。その隣には苦行者の姿でヒエロニムスが描かれており、その二人の間に顔をのぞかせているのがシエナのベルナルディーノ(Bernardino da Siena, 1380~1444)です。彼はフランシスコ会の有名な説教者で、この時代に大いに尊敬されていました。
(4)(向かって)右側には聖痕を示し、水晶と宝石で飾られた十字架を持つフランチェスコ、その右隣には福音を持つ聖ヨハネ(左側の洗礼者ヨハネと対をなしています)がおり、その両者の間にドミニコ会の最初の殉教者ピエトロ(Pietro, 1205頃~1252)が顔をのぞかせています。フラ・アンジェリコの絵の中にも頭を斧で打たれたピエトロの姿がよく登場しています。
(5)聖母子のすぐ後ろにいる4人はよく見ると、両肩に小さな羽根の形が描かれており、4大天使たちであることがわかります。左からガブリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエル(旧約聖書偽典『エノク書』に登場し、世の終わりを告知する天使)です。