アンドレア・マンテーニャ『オリーブ山でのキリスト(ゲッセマネでの苦悩)』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
これはイタリア・ルネサンス期、パドヴァ派の代表格とされるアンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna, 生没年1431~1506)の作品で、イエスのゲッセマネでの苦悩の中で祈る姿を表しています。マルコ14章23~42節とマタイ26章36~46節は、ほとんど並行しています。会話体の部分をマタイに従うと次のような経緯です:
イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に来て言います。「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」。
イエスは、ペトロとゼベダイの子二人(ヤコブとヨハネ)を伴われていきますが、悲しみもだえ始め、彼らに言います。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」。さらに少し進んで行くと、うつ伏せになって祈って言います。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」。
それから、弟子たちのところへ戻って来て見ると彼らは眠っています。そこで、ペトロに言います。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」。
更に、二度目に向こうへ行って祈ります。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」。再び戻って見ると、弟子たちは眠っていました(「ひどく眠かったのである」と福音記者は記しています)。
そこで、イエスは、彼らを離れて向こうへ行き、三度目も同じ言葉で祈ります。それから、弟子たちのところに戻って来て次のように言うのです。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」。
【鑑賞のポイント】
(1)イエスが祈っていると、天使たちが現れて力づけたことがもう一つの並行箇所のルカ22章43節(後代の加筆と見られている箇所)に記されています。この絵の左上に五位の天使たちが描かれており、それぞれ手には受難の道具を持っています。十字架、鞭うたれた柱、海綿(スポンジ)、槍などです。
(2)天使たちの位置の対角となる線上に、イエスを捕らえようにやって来る一団の兵士たちが描かれており、その先頭に銀貨30枚でイエスを裏切ったユダが描かれています。
(3)イエスの足下にいるのは、眠りに沈んでしまっている三人の弟子たち、ペトロ、ヨハネ(髭がない)、ヤコブです。彼らはヤイロの娘のよみがえり(マルコ5・21~24、35~43)、やイエスの変容の出来事(マタイ1・1~8と並行箇所)など、いつも重要な場面でイエスに呼ばれ、そば近くにいるのですが……。
(4)マンテーニャの作品の特徴の一つは、鳥などの動物の姿が描かれていることです。ここでも枯れ枝に禿鷹が不気味な姿でとまっています。禿鷹は死体をあさる鳥として、死や不吉の象徴でした。さらに面白いことに、イエスを捕らえようとしてやって来る兵士たちと眠りこけている三人の弟子たちの間に延びる道に、小さく三羽のウサギが描かれています。これらは何を意味するのでしょうか? ウサギは耳の長い、敏感な動物です。イエスの苦悩に気がつき、様子を見ようと近づいて来たのでしょうか? そして、遠くからは兵士たちの足音が響いてきます。「お弟子さんたち、敵対者たちが近づいていますよ!」と警告しようとしているのでしょうか? ウサギは雌雄同体で、生殖行為なしに子を産むといわれており、また多産の象徴でもあります。このウサギたちは、やがて誕生するキリストの共同体を暗示しているのかもしれません。