ガウデンツィオ・フェラーリ『キリストの磔刑』『キリストの生涯と受難の物語』(部分)
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
ガウデンツィオ・フェラーリ(Gaudenzio Ferrari, 生没年1475頃~1546)は、ピエモンテ州ヴァルドゥッジャに生まれ、ピエモンテ地方やロンバルディア地方などの北イタリアで活躍した芸術家です。十字架の道行を立体化した彫像と、フレスコ画で有名なサクロ・モンテ(聖なる山)の礼拝堂群の絵画や彫刻群を制作したことで知られています。
彼は、建築、風景、絵画、彫刻を総合する形でこの礼拝堂を造りました。これは北イタリアやオーストリア地方で盛んな受難劇と関連しています。今でも10年ごとにオーヴァーアマガウなどの村で全員が参加する受難劇が演じられていますが、ガウデンツィオの作品はそのような情熱から生み出されたものであり、またそれを後世の人々にまで伝えるという役割を果たしています。
キリストの磔刑を描くこのフレスコ画は、サクロ・モンテに向かう人々の出発地となるヴァラッロの郊外の聖堂にあります。
【鑑賞のポイント】
(1)一見して、この絵の印象はとにかく劇的です。絵の前に立つ人をそっくり包み込もうとするほど、この絵に登場する人物たちは雄弁な身振りや直接的な感情表現にあふれています。つまり受難劇の序曲のような役割をしています。しかし、混乱と騒音に満ちているという印象も同時に覚えます。
(2)イエスを取り囲むようにたくさんの天使たちが描かれています。ある天使は泣き、顔を覆って見るに堪えないほどの嘆きのポーズを示しています。イエスの広げた両手の近くにも、杯を差し出し、イエスの胸、あるいは手から流れる血を受け止めている天使がいます。
(3)しかし、イエスの左右にいる、十字架にかけられた盗賊たちの頭上にも天使と悪魔が描かれています。イエスの右(私たちから見て左側)の盗賊の頭上には、無垢な魂を表す幼子が天使によって天へと運ばれる様子が描かれており、この盗賊は安らかな顔つきでお辞儀しているような姿をしています。イエスの左(私たちから見て右側)にいる盗賊の上には、彼を踏みつけるような姿で悪魔が描かれており、回心することなくイエスを罵った盗賊の姿を表しています。この盗賊の顔は横に背けられて、イエスを見ようとせず、絵の前に立つ人々の方に視線を向けているように見えます。
(4)白い馬が2頭描かれていますが、右側の馬の前で、両手を大きく広げて十字架を仰ぎ見ているのが使徒ヨハネであるといわれています。また左側の下部には悲しみのあまり気を失ってしまっている聖母マリアと、聖母を抱きかかえる女性たちの姿が描かれています。そして、イエスの十字架の根本にいるのがマグダラのマリアです。
(5)右側の一番下の部分にはサイコロを振って、分け前を決めようとしている兵士たちの姿が描かれており、十字架という救いの出来事よりも利益に心を奪われている様子が風刺のように描かれています。
(6)まるで戦場の混乱の中にいるような十字架の周囲ですが、多くの人がやはりイエスの十字架を見つめようと上を向いている姿で描かれています。