大瀬高司(カルメル修道会司祭)
間もなく教皇フランシスコが来日される。報道ベースで今回の来日実現までをなぞってみると、2018年9月12日、教皇は日本からの面会者たちに対して「来年、日本を訪問する意向がある」と表明。同年12月17日、謁見した前田万葉枢機卿に対し「来年末に訪日」の意向を明らかにされた。年が明けて2019年1月23日、中米パナマ訪問に向かう機内で、訪日時期を11月と名言。6月15日の報道で、来日の具体的日程は11月23日から4日間を想定していることが明らかになったと朝日新聞が報道した。教皇庁、日本政府、日本司教団による調整が進み、9月13日公式発表に至る。
日本の現・安倍政権は(2012年12月~、第2~4次)、教皇来日を積極的に働きかけてきた。その意欲は、2016年3月にカトリック信徒で日本経団連出身の第2次安倍内閣顧問・参与の中村芳夫氏を駐バチカン特命全権大使として派遣し、2017年に駐バチカン日本公使派遣(外務省発表では日本とバチカンの外交開始)75周年を機会として教皇来日を働きかけたことに見ることが出来る。しかし、この招きは実現しなかった。
というのは、日本とバチカンの相互外交はサンフランシスコ講和条約発効(1952年4月28日)に伴ってバチカンへの公使派遣を再開するとともに、1949年3月から既に駐在していた第五代教皇使節M. デ・フルステンベルグ大司教を「駐日ローマ法王庁大使」(外務省)として、即ち教皇の代理である教皇使節を宗教使節から外交使節として初めて公に認めたからである。
教皇庁にするならば、2017年の招きは相互外交開始65年目でしかない。今回の教皇訪日は、1919年11月26日、バチカンが教皇の代理である教皇使節を日本に駐在させるべく任命をしてから丁度100年目にあたるからなのである。しかも、極東北部で最初の教皇使節は北京に派遣されるべきであるという当時の趨勢であったにもかかわらず、バチカンは最初の派遣先を東京(日本)としたのである。
本年初頭、フランスでは第一次世界大戦の(パリ)講和会議100年を祝った。この大戦後、二度と祖国を戦場にしたくないとの思いが込められ、アメリカ合衆国ウィルソン大統領の提案で国際連盟が組織された。しかし、提案元の合衆国はこれに加盟せず、連合国であった日本は1933年3月に離脱、それに続いたドイツ、イタリアと同盟を結んで再び戦争への道を歩んでしまった。
このことに隠れているが、ソビエト連邦は日本が脱退した翌年、国際連盟に加盟したが、1937年、フィンランド侵攻を理由に国際連盟を除名されている。第二次大戦後、今度こそと創立された国際連合は第二次世界大戦の戦勝国によって主軸が形成され、常任理事国の利害による玉虫色裁定が続いている。1989年にベルリンの壁は崩壊し、文化大革命(1966~76年)後、近代化によって国力を増した中国の存在感は、1981年2月に聖ヨハネ・パウロ2世教皇が来日した時には想像できないものであった。
教皇フランシスコが日本訪問の希望を表明して間もない昨年10月11日、カトリック信者である台湾の陳建仁副総統はバチカンを訪問し、教皇に直接訪台を訴えた。この訴えは中国の愛国教会に対する教皇と中国の関係(2018年9月22日に暫定合意)を危惧してのものと考えられる。しかし、バチカン広報局は10月18日「(教皇の)台湾訪問は検討していない」と発表している。
台湾のカトリック教会は、元をただせば北京に駐在しているはずの教皇使節(現大使)及び枢機卿(当時は中国初の枢機卿トーマス・ティエン・ケンシン、1946年北京大司教~一時合衆国亡命を経て~1960年台北大司教区管理者)が「暫定的に」台湾に亡命したようなものであり、台湾カトリック教会の正統性は北京を発祥としている。今回、教皇はタイ訪問の後、台湾には立ち寄ることなしに来日される。
1870年、自らを「バチカンの囚人」と呼んでバチカンから一歩も出なかった福者ピウス9世が中断せざるを得なかった公会議を引き継いだヨハネ23世、バチカン公会議をまとめたパウロ6世は「旅する教皇」と呼ばれ、聖地をはじめとして世界20の国と地域を訪問した。「空飛ぶ教皇」ヨハネ・パウロ2世に至っては、訪問先は100を優に超える。
年齢からして、教皇フランシスコの海外訪問は、今後、ごく限られたものになるであろう。教皇が健康に恵まれ、機が熟すならば、北京に教皇使節を任命して100年目にあたる2021年、教皇の中国訪問の大きな機会が到来する。今回、台湾には立ち寄らないで日本を訪問されるのは、2年後の機会を見越しておられるのではないか。これを「台湾無視」としか取らない人々が存在するが、私にはむしろ、教皇フランシスコは台湾、香港、政府非公認教会、世界に存在を増し続ける華僑同胞を包括した目線で福音宣教を捉えていらっしゃるように見える。
教皇の来日を日本のこと、身近な連関だけでとらえるのではなく、弟子たちに福音宣教を託された主の聖心に思いをはせる機会としてみてはいかがなものであろうか。