もう一つの「【初】聖体」


聖パウロ修道会 ブラザー井手口満

今回のテーマは「初聖体」ということで、私の「初聖体」について振り返ってみたいと思います。

私が正式に「初聖体式」をいただいたのは、小学5年生のころだったと思います。周りの人と比べると、遅い方だったと思います。私の家族は、父の仕事の関係で転勤が多く、ちょうど周りの人が初聖体を受けるころには、カトリック教会がない長崎県の対馬という所に住んでいました。その後、私が小学3年生のころ福岡に転勤し、ようやくカトリック教会に行くようになり、福岡市のカトリック吉塚教会に通うことになりました。

この教会は、父、母、上の姉と兄が洗礼を授かった教会でもあり、私も隣接する保育園に通っていましたし、みんな家族のようなアットホームの雰囲気が醸し出されるような所でした。ですから、神父様をはじめ周りの信者さんは何年振りかに帰ってきた私たちを「お帰りなさい」というように温かく迎えてくれました。

私は、この教会の「日曜学校」で「公教要理(カテケジス)」をシスターから教わり、「初聖体」の準備をいたしました。初聖体前の子どもにとって大人たちがミサの中でいただいている「聖体」は、未知のものでした。また、子供心にまだ大人の仲間入りができないということに寂しさもあったと思います。当時は、今と違って、聖体拝領の時に司祭の「祝福」というものもありませんでしたので、大人たちが聖体拝領に行くのを自分の席で待っていました。

ある日の「日曜学校」の時、シスターが「今度初聖体を受けますから、その準備をしましょう」と言って、聖体を受ける左手を上に、右手は左を受けるようにする手の組み方を教わり、聖変化されていない「ホスチア」を1人ひとりに配ってくれました。そして、初聖体を受ける人たちは、「告解(ゆるしの秘跡)」をするために、全員神父様のところに連れていかれました。私の「初聖体式」は、なぜか神父様とシスターが私の家に来られて、家庭ミサをしてくださり、そこで行われました。これが私の正式な「初聖体式」でした。

さて、正式な「初聖体」があるということは、そうではない「【初】聖体」があるということです。私が幼稚園の年少の頃(私が小学校に行く前に3回転勤があったようです。)は、長崎県佐世保市の教会に両親と共に通っていました。両親からは、「ミサ中は、落ち着きがなくあちらこちらに行っていたのに、なぜか聖体拝領の時には、自分たちと一緒に列にならんでいたな」と言われていたのを覚えています。その日も両親と共に聖体拝領の列に並び司祭の前まで来ました。すると何を間違ったのか、神父様が私の口に聖体を入れてくれたのです。まさにイエス様が私の口の中に飛び込んできたと言ってもいいでしょう。その時の「聖体」の味は、「牛乳瓶の【蓋】」のようだったのを、今でも鮮明に覚えています。これが私の「【初】聖体」の思い出です。

あれから50数年たちますが、あの時の「聖体」の味に出会ったことがありません。よほどインパクトがあったのでしょう。しかし、「初聖体」と聞くとき今でもあの幼稚園の頃の「【初】聖体」のことが思い出されます。

 


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