小平正寿(カトリック田園調布教会協力司祭)
やがて夫のピエトロ・ディ・ベルナルドーネがフランスから戻ってきて、男の子が生まれたことを知り、大いに喜びました。しかし、洗礼名を洗礼者ヨハネとしたことを知ると、そのようなラクダの毛衣を着たようなものは好まんと猛反対しフランシスコと名付けるように強制しました。フランシスコとはフランス人、またはフランス人のようなという意味です。それはこの子がフランス人のように優雅で物腰の良い人間になってほしいという望みからでした。彼はそれほどフランスに傾倒していたのです。
やがて幼少期を迎えたフランシスコは近くのサン・ジョルジョ小学校に通うようになります。司祭たちからの教育と共にフランス語やラテン語を学んでいくことなり、のちにフランシスコがフランス語で神を賛美したり、母親の出身地であるプロヴァンス地方の吟遊詩人をまねて歌うようになる素地を受けて行くのです。
(続く)