石井祥裕
聖書は半世紀前からすでに新時代に入っていた! ――このことを気づかされる2019年の幕開けです。カトリック教会での現在の聖書模様に目を向けてみましょう。
一つの書物としての聖書と朗読箇所としての聖書
表題に記した「典礼聖書」とは、キリスト教の礼拝で読まれる聖書のこと。カトリック教会では、「朗読聖書」と呼ばれているものです。典礼用聖書とも呼ばれますが、簡単にいえば、主日(日曜日)や毎日のミサで朗読される聖書の箇所を、その部分を切り取り、典礼暦に従って配列したものです。朗読台で使われる朗読聖書のほかに、ミサに参加する信徒が手元で朗読聖書の内容を参照するために、日本では、『聖書と典礼』(オリエンス宗教研究所編集・発行)や『毎日のミサ』(カトリック中央協議会出版部編・発行)のような冊子が発行されています。
そこで、よくいわれるのは「カトリック信者は書物として聖書と接するよりも、冊子として接することが多く、それを聖書だと思っている」「本としての聖書をもってミサに来ない」、最近では「冊子も時代遅れだよ」「スマホやタブレットで見えるように発信してほしい」などの声も。いずれにしても、聖書に親しむべしといわれても、信者はおもに朗読箇所として聖書と会うということです。
だいぶなじんだA年、B年、C年……現代型朗読配分は50年前に始まる
2019年の典礼暦は主日の朗読ではC年という配分周期です。このA年、B年、C年という主日朗読の3年周期システムはもうだいぶなじみとなりました(各年が何年になるかは、紀元元年をA年と仮定しての順序によります)。この方式のほかに、主日の朗読が第1朗読、第2朗読、福音朗読という3つの朗読で構成されるということも第2バチカン公会議後の典礼刷新による大きな改革でした。
聖書の宝庫がより広く開かれるよう、幾年かを一定の周期として朗読されるよう1963年の『典礼憲章』(51)が求めたことに従い、典礼憲章実施評議会で準備されたミサの聖書朗読配分は1969年4月30日、教皇認証を得ました。その内容を『ミサの朗読配分』として典礼聖省(当時)が公布したのが1969年5月25日の聖霊降臨の主日でした。そこでは次のように記されています。
「典礼聖省は、教皇の特別の命に従い、1969年11月30日の待降節第1主日から使用し始めるよう定めて、この『ミサの朗読配分』を公布する。そこで、1970年の典礼暦から、主日の朗読はB年、年間週日の第1朗読は第2年のものが適用される」
(日本カトリック典礼委員会編『朗読聖書の緒言』改訂版 カトリック中央協議会 1998年 7ページ)
この配分はさらに1981年に改訂されて配分内容も増補されました。現在の典礼はそれに従って行われていますが、原則は1969年に公布され、1970年の典礼暦から施行されているので、この2019年~2020年でちょうど半世紀を迎えることになります。聖書朗読の方式は典礼暦と表裏一体で、さらにミサの式次第や祈願の配分とも連動しています。すなわち、典礼暦年、朗読配分、ミサの式次第などを土台とする現在の典礼生活自体がその本格始動から半世紀を迎えるというわけです。
神のことばに出会う扉
朗読箇所を見ていくにあたっても、原語・原文からの分析、背景の解説は必要ですし、一つの文書を冒頭から終わりまで丹念に通読していくことはもちろん基本の読み方です。聖書入門、概説、注解は必要な参考書・指導書ですし、また通読が聖書と接する基本のかかわり方であることはいうまでもありません。その上で、あくまでその上で、典礼は、ある部分を取り出して、しかも、第1朗読(復活節では使徒言行録を朗読しますが、それ以外は旧約聖書の朗読)、第2朗読(使徒の手紙や黙示録)、そして福音朗読から朗読します。そこに無類の意味があるのです。
第一に、朗読のために取り出された箇所を通じても、旧約聖書と新約聖書の全体にその一つの典礼の中で触れることができます。三つの朗読箇所の関連を考えるとともに、さらに答唱詩編として歌われる詩編との関連も考えていくと、だんだんと聖書の世界の中に引き込まれていきます。それは、究極的には「神のことば」との対話への招きです。聖書朗読の「声」を通して、聖書そのもの、そして「神のことば」の神秘そのものへと開かれて、引き入れられていくことになります。三つの朗読はいわば三つの「扉」です。朗読はとかく聖書全体に対して従属的なこと、第二次的なこと、ついでのことのようにと思われがちかもしれません。しかし、そこにこそ、生きた神との対話、交わりがあるといえるほど重要なものです。
このような朗読の重要さに気がつき、古来の教会の実践をも参照しながら配分されている現代の「典礼聖書」は、聖書の世界と接するためのまったく新しい時代を切り開いたといえます。それは、あくまで一つのモデル、サンプルにすぎないといえますが、そこからどのようにでも展開していける「踏み台」です。朗読聖書の底本をどの翻訳版にするか(現在のカトリック教会は1988年以来『聖書 新共同訳』)という検討課題はいつも日本の場合つきまといますが、半世紀経験してきた「聖書との典礼的な出会い方」の新しさや重要さはまだあまり気づかれていないといえるかもしれません。ようやくこれからが本格的な探求の始まりとなるのではないでしょうか。
(典礼神学者)