「聖書」を親しんだ日本キリシタン


デ・ルカ・レンゾ

カトリック教会は聖書を大事にしているとはいえ、単本としての聖書を用いることが少なかったと言えよう。第二ヴァチカン公会議になってから信者たちが聖書を読むことを薦める以前、典礼では毎週聖書を読むが、あくまでも全体の一部を読んだりそれについて説教を聞いたりしてきた。換言すれば、専門家以は外本として聖書を読む習慣がなかったことになる。日本のキリシタン時代も、その習慣に従って聖書全体を訳すことがなかった。しかし、それはキリシタンたちが聖書を親しまなかったというわけではない。以下、訳された聖書の幾つかを紹介したい。

手書きの形でバレト写本(1591年)(『キリシタン研究』7輯とその別冊 吉川弘文館 昭和37年3月)と呼ばれる書物が現存する。当時、どこまで知られていたか分かりにくいが、基本的な祈りのみならず、多くの聖書の箇所が日本語訳で紹介されている。例えば、十字架に付けられたイエスの場面、

「イエスの御母と御大切に思し召す弟子を御覧あってサンタ・マリヤに、如何に女人その身の子を見られよ。弟子に、汝の母はこれなり」とある。新約聖書のヨハネ福音書で「愛する弟子」(ヨハネ19:26)

 

と訳されている。このような箇所がたくさんある。

 

印刷機が導入されてから多くの日本語の本が出されて、引用された聖書の箇所がたくさん含まれている。『コンチリサンの略』(1603年)に、

人の上に大事の中の一大事と言えばアニマ〔魂〕の助かるという事。これによって一切、人間の御助け手にてまします御身ゼズスの御金言に、「いかに人、遍界をたなごころに握るといふとも、其身のアニマを失なわば何の益ぞ」とのたまゑり。又「アニマの助かりをば、いかなる財宝にも、豈かへぬや」とのたまゑり。されば此アニマの助かりの為に、優れたる務めと言ふわ、こんちりさんとて真実の後悔也。

 

『胡无血利佐無能畧:校正』(キリシタン時代に使われていた書物『コンチリサンの略』を明治時代に復刻したもの。国立国会図書館デジタルコレクションより)

 

『スピリツアル修業』(1607年)に出るイエスの園での祈りの場面を紹介しよう。

ガツセマニーといふ森に着き給へば、み弟子たちに仰せけるは・われすフショせん間、この所に確と居られよと宣ひ、ペドロ、ジヤコボ、ジョアンを御伴にて森の奥へ入り給へば、恐れ悲しき御心を受け始め給ひて宣ひけるは・我死するほど悲しきなり・汝達ここに番して居られよとて、三人の居らるる所より少し往き伸び給ひ、跪き給ひ申させ給ふは、如何にパアデレ〔御父〕何事も叶ひ給へば、我よりこのカリスを除き給へ・然れどもわがヲンタアデ〔御旨〕を育て給ふべからず、ただ思召すままにあらせ給へと宣ひて、み弟子たちの居られける所へ帰り給ひ眠られけるをご覧あって、

(海老沢有道編著『スピリツアル修行』 教文館 1994年11月 p.172)

 

参考まで他の書物に出る有名な聖書箇所を出しておこう。

御主ゼズス・キリシトの御金言に、天狗呰悉有てもサンタ,エキレンジャを勝事不叶ビ宣へり

(「聖教初学要理巻之ニ」新村出『南蛮紅毛史料』後編 更生閣 1930年11月 p.27より)

 

御主の御金言に、汝等を請る者我を請る。汝等に聞者我を聞、汝等を侮賎ずる者我を侮る者なり

(「聖教初学要理」下川英利編『教理書の変遷史』1996年11月 p.260より)

 

上述した箇所は代表的なものでありわずかな一部にすぎない。しかし、これだけでも日本のキリシタンたちが聖書を知らなかったわけではなく、断片的とはいえ聖書を日本語でよく親しんでいたことになる。現代の私たちは聖書の幾つかの翻訳をもっても、それを親しんでいるかと問われているような気がする。

これからも、その素晴らしい教えを活かしていきたいと思う。

 


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