アート&バイブル 16:洗礼者ヨハネの命名


ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回は、初期ルネサンス時代に活躍したドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio, 生没年 1449~94)の作品を紹介したいと思います。ギルランダイオの名前は通称であり、一種のあだ名です。彼の父親も画家であり、また彫金家として、父の作る「花飾り=ギルランダイオ」が有名だったので、ドメニコもギルランダイオと呼ばれるようになりました。

ギルランダイオは、ミケランジェロの最初の先生として知られていますが、盛期ルネッサンスの三大巨匠、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロに比べると日本ではあまり知られていない画家かもしれません。しかし当時は大変人気がありました。その証拠として、システィナ礼拝堂の壁画にギルランダイオの「モーセの生涯」と「キリストの生涯」が対になって左右の壁に描かれています。その後、弟子のミケランジェロによる『天地創造』の天井画や正面祭壇を飾る『最後の審判』があまりにも有名になったために、ギルランダイオの名前は霞んでしまいましたが、フレスコ画を得意としていたギルランダイオのもとでミケランジェロが修行したことは、このシスティナ礼拝堂でのフレスコ画制作に役立ったことは間違いありません。

ギルランダイオの代表作は実はフィレンツィエのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂にありますが、この聖堂もダヴィンチのモナリザの制作場所となったことやマザッチョの遠近法を駆使した壁画などが有名なために、またもやギルランダイオの名前が霞んでしまっている印象があります。ところで、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂にはトルナブオーニ家の礼拝堂があり、そこに「聖母マリアの生涯」をテーマにしたギルランダイオの作品があります。制作を依頼したのは、ジョヴァンニ・トルナブオーニという人物で、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王)の叔父であり、当時のフィレンツェにおける有力者でした。この礼拝堂には、「洗礼者ヨハネの生涯」も「聖母マリアの生涯」と対になるように同じ場所に描かれています。これはシスティナ礼拝堂の「モーセの生涯」と「キリストの生涯」の対称性と合致するもので、当時の、そしてギルランダイオの得意なやり方であったのかもしれません。

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』(1486〜90年、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂トルナブオーニ礼拝堂)

洗礼者聖ヨハネの誕生と命名について、ルカ福音書には次のように述べられています。

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(ルカ1・57〜66 新共同訳)

 

【鑑賞のポイント】

(1)父であるザカリアは中央に座り、羊皮紙(聖書では書き板)のようなものに名を書き記しています。母であるエリザベトは右から2番目のザカリアと視線を合わせている女性です。その他の人物は特定できませんが、幼子洗礼者ヨハネは当時の習慣に従って、こけし人形のように布でぐるぐる巻きにされています。ザカリアの左側にいる男性たちは当時のフィレンツェ風の衣装で描かれている人物もおり、この人も注文主であるトルナブオーニ一族の一人かもしれません。

(2)建物の内部の装飾は豪華であり、大理石の柱にはフィレンツェ風の大理石モザイクの装飾を思わせるものが描かれています。

(3)背景、遠景にはトスカーナの田園風景が描かれており、アルノ川の流れも描かれています。モナリザの背景やラファエロの聖母子の背景にもよくトスカーナの風景が描かれています。

 


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