ミサはなかなか面白い 48 「賛美と感謝をささげましょう」


「賛美と感謝をささげましょう」

答五郎……こんにちは。ミサの「感謝の典礼」について、前回までは「供えものの準備」といわれる部分を見たね。その部分をしめくくるのが奉納祈願だった。そして、すぐに「主は皆さんとともに」「また司祭とともに」の対話に入るだろう。

 

 

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問次郎……ミサの最初のあいさつと似ているので、また何か新しいことが始まるなという感じですね。

 

 

答五郎……ここでは対話はそこで終わらずに「心をこめて神を仰ぎ」「賛美と感謝をささげましょう」と続く。

 

 

女の子_うきわ

美沙……「賛美と感謝をささげましょう」とみんなが唱えているところで、ミサって、なるほど、信者の共同体が賛美と感謝を神にささげることなのだなあと感じました。

 

答五郎……実をいうとね、このような対話句は日本語版でのアレンジなのだよ。原文では直訳すると「主は皆さんとともに」「またあなたの霊とともに」「心を上に」「主に向けています」「わたしたちの主である神に感謝をささげましょう」「それはとうとく、正しいことです」となっている。

 

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問次郎……なんだかぎくしゃくしていますね。それを日本語版らしくアレンジしたというわけですね。

 

 

答五郎……細かく原文の意味と日本語文の違いを論じるときりがないが、ともかく共通してはっきりしていることは三つのあるのではないかな。

 

 

女の子_うきわ

美沙……主がともにいること、神に心を向けること、それから感謝をささげることでしょうか。

 

 

答五郎……解釈はいろいろありうるけれども、まず主キリストが司祭と信者のみんなと一緒にいること、ここからの祈りは父である神に向かってささげる祈りであること、そして、その祈りは、なによりも感謝の祈りであることがいわれていると思うのだ。

 

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問次郎……日本語版は「賛美と感謝をささげましょう」というふうに「賛美」を加えているのですね。

 

 

答五郎……どうだろうね。「感謝をささげる」のもとになっていることばは、ギリシア語ではエウカリスティアの動詞形だけれど、そのもとにあるヘブライ語の意味合いは、感謝の気持ちをことばで表すだけではなく、神にいけにえをささげるという行為のことも指していたし、神の恵みが素晴らしい、ありがたいということから神をほめたたえるという意味合いも当然に含まれているのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙……そのような意味合いを出すために日本語としては補ったというわけなのでしょう。でも、賛美の意味がはっきりと出るのはよいことだと、思います。

 

 

答五郎……日本語で便利なのは、「感謝の祈りをささげる」「感謝をささげる」というように、祈りや気持ちをささげるというふうにいえることだ。原語の雰囲気をよく伝えているなあとつくづく思う。ともかく奉献文と呼ばれる祈りは感謝の祈りであるということが、この原文でも日本語文でも共通の「感謝をささげましょう」によってよく表されているだろう。

 

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問次郎……前に(ミサはなかなか面白い 42 根底にあるイエスの食事の記憶)、感謝の典礼全体にはイエスが弟子たちとともにした食事の記憶が根底にあるといわれましたね。そこで、イエスが食べ物を取りながら、天を仰いで、賛美の祈りを唱えたり、感謝の祈りを唱えたりしたことの記憶がここにあるというわけですね。

 

答五郎……おお、そうだ。でも、実は記憶だけではないのだよ。天にいるキリストは、いま典礼のしるしのもとでここにいて、現にこのミサを司式しているというべきなのだ。だから初めに「主は皆さんとともに」「また司祭とともに」と対話で確認しただろう。

 

女の子_うきわ

美沙……キリストがミサの中にいるという感覚にはなかなかなれませんね。一生懸命見たり聞いたりしているのですが。信者さんたちは、キリストのことを感じているのですね。

 

 

答五郎……いやあ、なかなか、そういう意識になれないことが多いよ。具体的には、その日のその教会でのその神父さんの司式のほうに目が行ってしまってね。

 

 

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問次郎……司式者の背後にいる感じなのですかね。

 

 

答五郎……いやあ、たしかに司式者の発話の中で主キリストのことばが語られるときがあるから、そのときはそうだけれども、司式者自身も共同体の代表として、キリストに祈りをゆだね、父である神に祈るという役割のときもあるよ。その変化を見るとき、ほんとうにミサはなかなか面白いものだなあ、味わい深いものだなあという気になるよ。

 

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問次郎……さっきから気になっているのですが、この初めの対話句の原文では、最後に信者さんたちが「それはとうとく、正しいことです」ということになっているのですね。このフレーズ、どこかで聞いたことがあるような……?

 

女の子_うきわ

美沙……そのあとの祈りの冒頭で、ときどき、「……まことにとうとい大切な務め」というときがありますよね。

 

 

答五郎……そう、その祈りは叙唱というのだよ。広い意味で考えるときの奉献文に含まれるところなのだ。冒頭の対話句が第一の部分としたら、叙唱は第二の部分にあたり、対話句の最後のことば「とうとく、正しいこと」を受けている。対話句の終わりでは会衆が、叙唱の初めでは司祭が、同じように、この祈りが信者全体、つまり神の民である教会が行うべき尊い、大切な正しい務めだという自覚が示されているのだよ。これを神の民の祭司としての務め、祭司職ということがあるのだ。

 

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問次郎……「さいししょく」……ときどき聞くことばですね。この次、あらためて教えほしいです。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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