スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 45


古谷章・古谷雅子

6月4日(日) サンティアゴ市内見物

2015年と2016年の旅では、エル・カミーノ歩きと、それ以外の活動との組み合わせで最初から欲張りな日程を決めていた。2015年はピレネー山脈での登山や渓谷歩き、トレド、コルドバ、バルセロナ、マドリッドの美術館巡り等。2016年はセゴビア、クエンカ、アビラ、そしてまたプラド美術館等。歩くことをどれだけ続けられるか確信が持てなかったし、エル・カミーノに対する私たちの気持ちが中途半端だったこともある。

今回はエル・カミーノの完歩と巡礼路にまつわることを見聞きするだけと割り切ってきたが天気にも恵まれて日程にあと2日のゆとりができた。港町ビーゴへの遠足は明日にして、今日は休養を兼ねてサンティアゴ市内で過ごすことにした。

まず市内のインフォメーションオフィスで、市街の南、サル川河畔にある「サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・サル参事会教会 Colegiata de Santa Maria la real de Sar」、通称サル教会のことを尋ねた。資料館が開くのが11時だということなので、旧市街西にあるアラメダ公園を散策しながら行くことにした。16世紀に貴族が寄贈したものが時代を追うごとに拡張され、様々なモニュメントや聖堂が建てられている。起伏があり眺望が素晴らしい。大聖堂と街並みが一望できる。公園内を通る3つの歩道は、建設当時は庶民用、貴族用、学者や聖職者等の知識階級用とに峻別されていたという。

公園の南西出口から3kmほど、途中鉄道を横切るとサル教会はすぐだ。12世紀に建てられた小ぢんまりしたロマネスク建築でサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の「栄光の門」を作ったマテオ師匠の工房が請け負ったという。素朴な中にも洗練された趣があるが、なんといっても建物全体が土台ごと著しく傾いていて、外壁を17~18世紀に補強した力強いアーチ状の柱(飛び梁)が支えているのが個性的だ。おかしいと言えばおかしいが、石の建築というのはこのような異様なものも時間を吸い取って調和していくものだと感心した。

着いた時ミサが始まったところで途中から入るのはためらわれたので、先に外観と資料館を見た。資料館からはひっそりとした中庭の回廊に出ることが出来た。整備などしていない庭だがそれがかえって古い回廊を引き立て、きわめて瞑想的、抽象的な空間となっていた。そしてマテオ工房の作の柱頭の装飾は本当に美しく、また面白く、好ましい。ただ、傾きを抑えるための後世の補強が回廊にも施されていて、専門家が見ればロマネスクの真髄がやや損なわれているかもしれない。

面白かったのはミサの後だった。内部は自由に見られる。日曜日なので土地の人々があまた参集していたが、大人がぞろぞろ外に出て社交をしている間、子供たちが中に残る。スペインでは普段から子供たちのオシャレ度が高いと思っていたが、教会ファッションは一段と可愛らしい。さあ、楽しいことがはじまるよ、という雰囲気の中、まずは歌だ。聞いたことがあるなあ、あっ、「幸せなら手をたたこう」だ(帰国して調べてみたところ、このメロディーはアメリカ民謡ではなく実はスペイン民謡、日本語の作詞者の木村利人氏によれば聖書の詩編第47編の1節からヒントを得たものだそうだ)。歌で盛り上がった後は大人のリーダー1名に子供が5~6人ずつのグループに分かれ、聖書の理解を問答したり工作をしたりしていた。外に出ると、敷地内にチュロス(細い揚げパン)の屋台が出ていた。これも子供たちの楽しみなのだろう。こうやってこの教会は住民に支えられていることがわかる、ほのぼのとした時間だった。

市街に戻ると、バリアフリーのレースが行われていて大聖堂前のオブラドイロ広場がゴールになり大にぎわいだった。午後は街中、図書館、歴史的建造物に囲まれた自然公園サンドミンゴス・ボナバル公園等を回り、結局20km以上歩き回ったことになった。貧乏性のせいで休養になっていない。エル・カミーノを歩いている方が楽なくらいだ。夜は宿近くのイタリア料理店で早目の夕食、8時前に戻り、帰国に向けて荷物の整理をした。

 


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