スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 44


古谷章・古谷雅子

6月3日(土) フィステーラやムシアへの遠足

宿題の三つ目は、新大陸発見前までは「陸の果てるところ」と思われていた岬へ行くことだった。NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会著『聖地サンティアゴ巡礼(増補改訂版)』(ダイヤモンド社、2013年)から引用すると

「スペインの最西端にある岬フィステーラは地の果てという意味を持つ。中世ではガリシアのこの地が生と死の境目となる場所と考えられていた。巡礼の旅の締めくくりに昔の人は、まず海で身を清め、身に着けていた衣類を燃やし、西の果てに沈む太陽を眺めて、古い自分に別れを告げたという」

サンティアゴからフィステーラまでは、100km近くある。さらにムシアまでは30km、歩くと4日かかる。そのまま巡礼者として徒歩で向かう人もいるが、アルベルゲやモホン等は十分ではない。私たちは一人€40、スペイン語と英語の両方の説明付きのガイドツアー(バス)で行くことにした。30人ほどの参加者だが、徒歩でエル・カミーノを終えた人もいれば一般観光客もいる。ガイドのセニョリータの人柄と素晴らしい天候のおかげで10時間の強行遠足も和気藹々として楽しかった。

バスで走るとガリシア州が如何に緑豊かなところかよく分かる。建物の外見はもちろん異なるが、雨が多いので農村のたたずまいは日本に似ている。途中、14世紀の石橋を残す静かな村プエンテ・マセイラ、海に直接滝がなだれ込むエサロの滝に寄り、昼頃港町フィステーラに到着。海鮮を食べさせる店が軒を並べている。昼食は各自なので、私たちは旅行社の日本人研修生のC子さんと3人でSさんが推奨した「エル・プエルト」という景気のよい店に入った。テントの下のテラス席に座りスペイン語の堪能なC子さんのおかげで首尾よく名物のスープ、盛り合わせ、白ワインを注文した。塩茹でしてオリーブオイルをかけただけの魚貝の美味しいこと、さすがガリシアの海辺だ。ペルセベス(カメノテ)と奮闘していると隣のテーブルの現地の人が親切に食べ方(剥き方)を教えてくれた。最後にリキュールのサービスもあり、昼間から解放感いっぱい。内容は違うだろうが、昔の巡礼もここまで来た人たちは(おそらくパンとチーズぐらいしか食べていなかったのではないか)、海の幸で精進落としをし、ホタテの貝殻を持ち帰ったのだろうか。

それぞれに満足した客を再びバスに乗せ灯台の近くまで行く。まさに陸の果てるところだ。岩場を歩き、岬のモホン0km地点の先で大西洋に向き合う。中世の人はどんな感慨を持ってこの「地の果て」に立ったのだろう。昔のしきたりをなぞる巡礼がいるのだろう、岩場には衣類を燃やすことを禁じる看板があった。それにしても午後の日差しにきらめいて眼下に広がる海は期待以上に美しかった。もし徒歩で来たならこの感激はさらに倍加しただろう。

さらにバスはムシアを目指した。時間の関係からか町で下車せずに岬の駐車場へ。ここが本当のゴールだ、という人もいる。聖母マリアが舟に乗って出現して伝道に行き詰っていた聖ヤコブを励ましたところと伝えられ、「舟のマリア聖堂 Santuario de Nuestra Señora da Barca」がある。新しい建築のような印象には訳がある。2013年12月25日クリスマスの朝、雷がこの教会に落ちて燃え上がり、屋根や内部は丸焼けになってしまったのだ。この年は前述したように7月にrenfeの鉄道事故があり、ガリシアにとっては胸の痛む劇的な年として記憶されているようだ。

今は修復され、また近くの丘には落雷を象徴する割れ目の入った高さ10m以上の巨大な石のモニュメントが作られている。丘から紺碧の海に向かって白い石畳が続いて、フィステーラと同様、というかそれ以上に美しく緊張感のある風景を成していた。茫々たる大西洋、雄大に湧き上がる雲、押し寄せては砕ける波、髪を逆立たせるような強い風。波や風のように激しい動きにシンクロナイズし、日常では感じることのないざわざわとした説明のつかない激情が湧いてくるのだった。

バスがサンティアゴ市内に戻ったのは夜の(といっても明るいが)7時過ぎ。ランチでも見学でもお腹と胸がいっぱい、ということで、宿の近くのレストランで定食を軽く食べる。

 


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