末森英機(ミュージシャン)
「あなた以外の、生き物が、流す涙を、あなたは見たことがないのですか?」
「身体を蹴られているんですよ」
「他人(ひと)の不幸は、あなたの不幸ではないのですか?」
「ひとが苦しめば、あなたも苦しい?」
「ひとの痛みは、わたしの痛み、主人を守る犬のようにぶつかってゆくことはありますね?」
「寒さのなかで、置き去りにされた、よそ者をどうしますか?」
6年間、通わせていただいた、東北の被災地で、しっかりと胸に結びつけて帰京した言葉。けっして、忘れられない言葉のひとつひとつに、それを語っていらっしゃる、ひとりひとりの胸にも、最後の審判のような朝がきっと来る。そのためにも、苦しんでいるひとと、苦しむ。悩んでいるひとと、悩む。喜んでいるひとと喜ぶ。それが、おおきな弱さをたすける。ひとの、幸せのために生きるという、確信になる。愛は、ほかのひとのなかに、住まうということが、見えてくる。ひとびとの、なかの神。こころを、没頭することができる。愛ゆえに、流れる涙をこらえなければならない、ひととの邂逅(であ)いもある。
信じることで、奇跡をもったひとびとがいる。神にふれることも、見ることも、ぢかに知ることもなく、ただ信じることで。ひとのすばらしいところ、神を愛することができるということ。「目が見もせず、耳が聞きもせず、ひとの心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに準備された」(Ⅰコリント2:9)愛ゆえに、愛ゆえに。