スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 35


古谷章・古谷雅子

5月28日(日) カリオン・デ・ロス・コンデス~テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオス(2)

歩行距離:25.8km
行動時間:6時間

この日も、終点のレオンまでの配分にメドがたったので、カルサディジャ・デ・ラ・クェサから9km先のテラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスで切り上げることにした。そうなると昼頃には着くので、たまにはきちんとした昼食を食べようということになり、次の村レディゴスはバルにも入らずに通過した。道中や宿泊予定地に城も教会もないというのは珍しい。体を休めろということかもしれない、と都合よく考えた。

テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスという地名は、12世紀にエルサレムを守るために組織されたテンプル騎士団の支配下にあったことによる。その頃の巡礼路は現在よりも700mほど南にあったという。2つのアルベルゲがあるが、村の手前の新しい建物の方に入ってみた。最近できたアルベルゲは個室があるものが多い。ここも自動車旅行の家族やグループも想定していて、快適そうだ。早く着いたのでシャワー・トイレ付きの2人部屋を確保できた。広い庭に洗濯場、物干場が整備されている。

日課作業を済ませてから村の中に行ってみた。人口は90人ほどなので、独立したバルやレストランがあるわけではなくそれぞれのアルベルゲで食べることになる。村の中のアルベルゲは田舎風で質素だが楽しいしつらえで、メニューも地元食が主だ。昼食はこちらでとることにした。ジャガイモ入りトルティージャ(卵焼き)や季節の野菜とチーズの入った田舎風パイ、パン、ビール。既に食堂は祝祭かと思うほどたくさんの人がビールやワインでデキ上がっていたが、この人たちは1日にどれくらい歩いているのだろうか?

ランチタイムが一段落したところで私たちのそばのテーブルでシェフ自身が昼食を始めたが、グラスに赤ワインを注いで周りを気にせず優雅に食べることに専念していたのも日本人には珍しく思われた。村を歩いてみたが、目当てにしていた6月末には使徒サン・ペドロ祭が行われるという煉瓦造りの教会の入り口は漆喰で塗り込められ普段は使われている様子はなかった。

この国には2時頃の昼食後シエスタ(午睡)の習慣があるが、貧乏性な私たちはその間も活動し、その代りに早々と就寝してきた。この日は部屋に戻り、初めてノンビリとシエスタをした。またレオンに到着する日もほぼ見通しがたったので、インターネットのホテル予約サイト経由でレオンの宿泊の予約を済ませた。前々回レオンでは当日見つけたアルベルゲのドミトリーに泊まったが、設備も雰囲気も非常によくないところだった。大きな街に着いて解放感からけじめのなくなりがちの若い巡礼者たちを避け、今回はブルゴスのオスタルで薦めてくれたところを予約できた。

夕食はアルベルゲの食堂で一斉開始だが、テーブルはグループ別。本日の定食はサラダかカスティージャ風豆スープ、メルルーサ筒切りのソテーか肉、ヨーグルトかアイスクリーム、ミネラルウォーターやワインはいつも通り好きなだけ。ワインが飲み放題といっても、理由はある。巡礼路に限らず、スペインは水事情がよくない。中世の「巡礼案内」には「巡礼は、悪しき水を飲まぬことが肝要である」と書かれているそうだ。ところによっては水が有毒で命にかかわった。旅人は煮沸などもできない。だから得体のしれない水ではなくワインやビールが日常の飲み物になっていたのだろう。「悪しき水」は追剝(おいはぎ)や野犬と並んで巡礼が出会う危険の一つでもあったのだ。昔から整備されていた泉でも、今は「飲めない」と表示されていることも多い。私たちは必ず水のボトルを購入し、持ち歩いた。

ついでに言えば、昔は渡河も難儀だった。渡し守はしばしばわざと船をひっくり返して盗賊と化したそうだ。巡礼路の架橋は寄進の対象になるほどのありがたい事業だった。昔の巡礼が異様に長い杖を持っていたのは縋りつくためだけではなく、追剥や野犬と戦う武器であり、渡渉する時の道具でもあったからだ。

 


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