《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 40:朗読後の「神に感謝」


朗読後の「神に感謝」

124594

答五郎……さて、「ことばの典礼」だけでも20回目になるが、きょうはもう一度ふり返ってみて、さらに気になるところがあったら考えてみよう。

 

 

 

聖子……見学していて気になったのは、朗読後のところね。

 

 

124594

答五郎……はぁーん。あそこか。

 

 

聖子……ええ。第1朗読や第2朗読で、朗読が終わると隣にいる、……侍者だったかしら、侍者が「神に感謝」と言うと、みんなが「神に感謝」と言うのが多いかしら。でもある教会では、侍者が「神に感謝」と言ったあと、黙っていることもあるわ。また、ある教会では、朗読者自身が「神に感謝」という場合もあって、さらにみんなが「神に感謝」と答えているところもあるし……。

 

124594

答五郎……そう、たしかにいろいろなやり方があるね。気になるかい。

 

 

聖子……そう言われると……。朗読の中身のほうが大事なのよね。でも、終わったあと、「神に感謝」と言ってよいのか、よくないのか、迷ってしまって、ほんとに落ち着かないわ。

 

 

 

瑠太郎……福音朗読のあとには司祭が聖書を掲げながら「キリストに賛美」といって、皆も「キリストに賛美」と声を出して答えていますね。

 

 

聖子……それで、なんとなく元気も出るというか、しまるというか。ずっと黙っていたわけだから、声を出して答えたいというのも自然な感情でしょ。

 

 

 

124594

答五郎……実はね。こういう事情があるのだよ。日本語版『ミサ典礼書』、今行われているミサの基だが、ここでは、朗読が終わると、朗読者は何も言わず、侍者が「神に感謝」と言う、ということになっているのだが、会衆はこれを唱えるというふうにはなっていないのだよ。

 

聖子……実際そういうふうにやっている教会もあるわけだから、『ミサ典礼書』に忠実というわけね。 でも、どうしていろいろなやり方になっているのかしら。決まりを無視しているというわけ。

 

 

 

瑠太郎……侍者が言うのは決まりに従っているにしても、一同がさらに「神に感謝」と言うのは、自然な心理からなのではないでしょうか。今のミサは、いろいろなところで、会衆の応唱ですか、この一同の元気な答えというのが大事な部分になっているようですし。

 

 

124594

答五郎……朗読後のほんの一言に関してなのに、日本の教会では、不思議に大きな討論のテーマになることがあるのだよ。

 

 

瑠太郎……朗読の中身のほうが重要だと思うのですが。

 

 

 

124594

答五郎……たしかに。実は、ここのところ、『ローマ・ミサ典礼書』ラテン語版、つまり教皇庁の典礼秘跡省から出されている各国語版の底本では、ここの部分は、朗読者が「Verbum Domini 」=「主のことば」(「主である神のことば」の意味)と唱え、それに対して会衆が「神に感謝」と答えるというふうに規定されているのだよ。

 

聖子……そうなの。じゃ、朗読者は何も言わず、侍者が「神に感謝」と言い、会衆は言わないという規則は日本の教会だけで決めたことだったの?

 

 

 

124594

答五郎……そうなのだよ。どうしてかというと、神のことばを聴いて、沈黙を保ったまま黙想することができるように、という意図だったらしい。

 

 

聖子……それだったら、いっそのこと、朗読が終わったらなにも言わないほうがよかったじゃない。

 

 

 

124594

答五郎……それは一理ある。たしかに侍者が「神に感謝」と言うことにしたために、どうしてもみんなも唱えないと落ち着かないというふうに思われたらしい。他の司式者との対話句と同じようにね。もっとも、ラテン語版には、「神に感謝」を会衆が唱えることになっていて、大方の各国語版も同じようにしているから、外国人の司祭方をはじめ、それを当たり前と思う人が多くいるから、そのやり方が続いているとも考えられているよ。

 

 

聖子……結局どうしたらいいの? まちまちのままでいいの?

 

 

 

124594

答五郎……とうぶん続くだろうね。近い将来期待されている日本語版『ミサ典礼書』の改訂では、ここの部分は、ラテン語版と同じように、朗読者が「神のことば」(たとえばだけどね)と唱え、会衆が「神に感謝」と答える形にしていくことが予想されている。

 

瑠太郎……ずっと聞いていたのですが、むしろ重要なのは、やはり聖書朗読の中身だと思います。今回、いろいろと学び、教会で聖書が読まれるときは、神が語る、キリストが語る、聖書朗読、とくに福音朗読の中にキリストがおられるのだということが、ぼくにとっては、重要でした。

 

 

124594

答五郎……たしかに、答唱詩編でも、アレルヤ唱でも、福音朗読のあとの説教でも、信仰宣言でも、そして共同祈願でも、そこにキリストがいるということを意識することが大事だね。

 

 

瑠太郎……ことばで行われるこの式の流れを通じて一貫しているのは、やはりそこにキリストのことば・声・祈り・教え・行いの跡がはっきりと示され、響いて、自分たちを刺激し、力づけていくということではないでしょうか。

 

 

 

聖子……それだけ大事なら、やっぱり「神に感謝!」とみんなで叫びたいわね。

 

 

 

124594

答五郎……ありがたい二人の言葉だ。では、少し休んで、次からは、「感謝の典礼」という部分を見ていくことにしよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

one + seventeen =