伊藤淳(清瀬教会主任司祭)
人間vs.悪魔/“エクソシスト”は現代に存在した!/ヴァチカン騒然!1200年も続く秘儀“悪魔祓い”外部に閉ざされてきた神秘の現場、世界初公開/本当に悪魔はいるのか?社会が抱える闇とは?さまよえる現代人必見、究極の「癒し」を体感/神父、我を救い給え/ヴァチカン騒然‼ 現代のエクソシストの実情に迫った衝撃のドキュメンタリー!
…チラシに並べられた宣伝文句の数々である。子供の頃、かの伝説的映画『エクソシスト』を観て夜中にトイレに行けなくなった経験を持つ者(私です)にとって、怖いもの見たさの感情を再燃させるに十分過ぎるこのキャッチーなコピーにのせられ、私はおそるおそる試写室の椅子に身を沈めた。
そして94分後、顔をそむけることも悲鳴を上げることもなく、無事に試写室をあとにすることができた。全然怖くなかった。むしろ面白かった。これなら、時々テレビでやってる日本の除霊の番組の方がよっぽど怖い。
この作品はドキュメンタリーであり、映し出される悪魔祓いの映像はすべて本物である。それなのに、あるいはそれゆえに、恐怖に震え
あがるような場面はひとつもない。首がぐるぐる回転したり、ブリッジの体勢で階段を降りたりするような悪魔の所業は、幸か不幸かまったく映っていないのである。この映画に出てくる悪魔憑きに限って言えば、それらは超常現象などではなく、常識の範囲内で説明可能なもののように私には思えた。
監督のフェデリカ・ディ・ジャコモは、本作で第73回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門最優秀作品賞を受賞しているが、審査員も監督自身も、この作品を怪奇現象をとらえたものとして評価しているわけではないだろう。この映画が描こうとしているのは、悪魔祓いのおどろおどろしさではなく、日常の営みの中で負わされてしまった精神的、霊的な悩みや苦しみや痛みを癒してもらうべく、特異なかたちで希求する人々の姿であり、その苦悩になんとか寄り添い力になろうとする、善良で純朴なエクソシストの姿なのだ。それゆえ、テレホン悪魔祓いとか、合同祓魔式とか、国際エクソシスト講習会とかいったアップトゥデイトな悪魔祓いの様子が、当事者たちの真剣さとは裏腹に、時にユーモアさえ醸し出す結果になっている。
それにしても、キャッチコピーにある「ヴァチカン騒然」というのはいったい何事か。何が原因でどのような騒ぎになったのか。そのあたりの説明は映画の中にはないので、一言ふれておく必要があるだろう。
この作品、確かにヴァチカンでは評価されなかった。それは、この映画に登場するエクソシスト神父の悪魔祓いが、公式な典礼規定から逸脱しているからであり、しかもそれを映画に撮らせ、公開してしまったからである。つまり、「大変だ!門外不出の悪魔祓いの秘儀が暴かれてしまった‼」と大騒ぎになったわけではなく、「これがカトリック伝統の悪魔祓いだと誤解されると困るなぁ…」と少しだけ心配されたのである。その程度の反応が、「ヴァチカン騒然」の真実なのである。コピーは煽り過ぎなのである。
もう一言、加えておきたい。
友人の精神科医にこの映画の内容を伝えて意見を求めたところ、映っていたような悪魔憑きは、精神医学ではトランス及び憑依障害とされ、適切な治療によって快癒する可能性が十分にあるものだと教えてくれた。そして、悪魔に憑かれた(とされる)人とエクソシスト神父との間に共依存関係が生じて症状が悪化してしまわないか心配だと、同じ神父である私を気遣ってちょっと遠慮がちに付言した。
ヴァチカンより精神医学界の方がよっぽど騒然としそうな問題作ではある。
監督:フェデリカ・ディ・ジャコモ
原題:LIBERAMI/2016年/イタリア・フランス/94分/日本語字幕:比嘉世津子/配給・宣伝:セテラ・インターナショナル
11月渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開