新ながさきキリシタン地理 2


二つのキリシタン神社――枯松神社と淵神社・桑姫社

倉田夏樹(南山宗教文化研究所非常勤研究員)

 

日本には、そして世界にも勿論、
三つだけのキリシタン神社というものがあるらしい。
その中の二つが長崎市にある。

一つは、最近テレビでも取り上げられるようになった
有名な枯松神社である。

枯松神社(〒851-2326 長崎市下黒崎町枯松頭)

場所は、遠藤周作文学館がある外海・出津地方の
すぐ手前にある黒崎地方にあり、
黒崎教会前のバス停で降りて、
山道を20分ほど登ると枯松神社はある。
バス停前には、「外海潜伏キリシタン文化資料館」があるので、
そこに行けば、枯松神社の話が聞くことができる。

こちらは外海出身の日本人預言者バスチャン
の師であるサン・ジワン(西洋人)を祀った祠であり、
潜伏キリシタンたちが集まり、
オラショ(口承の祈り)を伝承した場である。
禁教時代に箱物は作れないので、
枯松神社は明治に入って建立された。
祈りの岩を前にして、オラショの伝授がなされた。
祈りの岩より上に登ると、
大きな石の上に白い小石がおもむろに置いてある。
皆でその白石を十字架の形に配列して祈り、
祈りが終わると石をばらして立ち去ったという。

キリシタンは目に見える証拠を残さない。

枯松神社への途上の山道に咲くやまゆり

バスチャンと言えば、
日繰り(教会暦)と予言が有名だ。

潜伏キリシタンには、
浦上―外海―五島ルートと、
平戸―生月ルートの二つがあり、
後者には、日繰り(教会暦)が伝わっていないと言われる。
外海地域では、日繰りをたよりにミサが行われた。

バスチャンの予言とは、
迫害が厳しくなった折にバスチャンが遺したもので、
以下の内容である。

「七代経てば、黒船に乗って神父がやってきて、
毎週でもコンヒサン(告解)することができ、
どこででもキリシタンの教えを歌って歩けるようになる」

フランス人宣教師プティジャンの「信徒発見」は、
ちょうどそれから七代後だったということである。
長崎側では、これを「神父発見」と言う。

まさに「彼待つ」神社というところか。
枯松神社はバスチャンの墓という説もある。

黒崎の中心地域は松本地区といい、
住民の姓も、
松本、松下、松山、松森、松谷、松尾などなど、
ほとんど松がつく姓だそうだ。
「枯松」を中心とした地区ということなのだろう。

もう一方のキリシタン神社、
淵神社・桑姫社は、
もっと市街地にある。

淵神社・桑姫社(〒852-8012 長崎市淵町8-1)

桑姫とは、キリシタン大名の大友宗麟の孫娘であり、
桑姫自身も「マギセンシャ」という霊名を持つキリシタンである。

豊後・大分の地から、長崎の淵地区に来て、
養蚕の文化を伝えたため、桑姫の名がついた。

宣教師をはじめ、
キリスト教をもたらした人は同時に、
文明をも、もたらしたように思う。

ある意味、宗旨とは関係なく、
万民に役に立つことを伝えるのであろう。
「ド・ロさまそうめん」などというのは、その典型だ。

ちなみに、三つ目のキリシタン神社は、
東京都にある。

伊豆大島にある、オタイネ明神である。
朝鮮半島から連れてこられて徳川家康の側室となった
キリシタン・おたあジュリアを祀った社である。

東京近郊の方は、行ってみるのもいいかもしれない。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

nine + seventeen =