《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 37:「すべての人」へのまなざし


「すべての人」へのまなざし

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答五郎……こんにちは。ちょっと休んでしまったが、元気かな。前回から「ことばの典礼」の最後の部分にあたる「共同祈願」のことを考え始めたね。

 

 

瑠太郎……はい。「共同祈願」の「共同」には、結局「すべての人のために」信者「みんな」で祈るという意味が込められているのだということがわかりました。

 

 

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答五郎……では、その「すべての人のため」ということをもう少し詳しく見ていくことにしよう。共同祈願の形式として「招き」と「結び」の間に、いくつか「意向」があり、それに対して短い「応唱」があるということは、もう見学してもうわかっているだろう。

 

瑠太郎……はい。祈りの意向をいくつかのべて応唱を繰り返すところは連願的な部分でしたね。日曜日のミサではだいたい4つあるようですが。

 

 

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答五郎……『聖書と典礼』の例文が4つとなっていて、最後が「それぞれの共同体のために祈る」となっているから4つなのだが、そのもとは『ローマ・ミサ典礼書』の総則70にある。読んでもらえるかな、聖子さん。

 

 

聖子……はい。「意向は通常、次のような順序で行う。a)教会の必要のため b)国政にたずさわる人々と全世界の救いのため c)困難に悩む人のため d)現地の共同体のため。ただし、堅信、結婚、葬儀などの特別な祭儀においては、特殊な機会を考慮して意向の順序を定めることができる」
つまり、日曜日の意向が4つになっているのもこのa)b)c)d)に沿っているのね。

 

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答五郎……a)やb)については、前回読んだ「テモテへの手紙 一」2章1~2節の中の「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」や、ユスティノスが『第一弁明』で記す「ここに共に集って、自分共と、照明にあずかったその人と、また全地に居るすべての人々のために、公同の熱い祈りをささげること」という表現が背景にあると考えられるだろう。そこに困っている人への祈り、現地の共同体自身のためというある特定の人に向けての祈りもある。

 

 

聖子……すべての人というと、いつも全体のことを考えるのかと思っていたけれど。

 

 

 

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答五郎……すべての人というとき、あらゆる状況にある人々すべてということを考えているのだと思うよ。でも、あらゆる状況すべてに言及することは、この短い祈りの中ではできなくて、そのときどきに、ある状況のことを考えていってもいいわけだよ。

 

瑠太郎……あくまで大枠というか基本原則なのですね。

 

 

 

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答五郎……そうだね。だけれど、この4つの意向の順序は意識する必要があると思う。ほんとうは、各教会で手作りの意向をささげてよいわけなのだけれど、なかなか大変なのが実情だから、つねに、このような意向の類別を意識できるようにするために、『聖書と典礼』も例文を示すことにしているのだよ。

 

聖子……つまり、全部が教会のため、全部が世界のため、全部が困難を抱える人々のため、全部が現地の共同体のためになってはいけないということね。

 

 

 

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答五郎……具体例があるといいかな。次の日曜日10月22日は年間第29主日(B年)になるのだけれど、その日の『聖書と典礼』の意向の例文を見てみよう。ちなみにこの日の福音朗読はマタイ22章15-21節。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(21節)という有名な言葉があるところだ。瑠太郎くん、例文を読んでほしい。

 

瑠太郎……はい。意向1は「キリストとともに歩むわたしたちが、一人ひとりの近くにおられる主の愛を感じとり、あかししていくことができますように」、意向2は「人々が自分だけの価値観にとらわれず、他者の考えにも耳を傾け、世界の将来にふさわしい道をともに求め、協力することができますように」ですね。

 

 

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答五郎……意向1が、キリスト者であるわたしたち、いわば全教会の使命にとって必要なことを願う内容、意向2が、一般の人々が世界全体のために協力し合えるようにと告げているね。

 

 

聖子……ここにあることは、だれにとっても大事なことよね。みんなに共通のよいことのために、教会も祈っているのね。

 

 

 

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答五郎……祈っているということは決して口先だけのことではなく、行動や実践のための決意表明の意味ももつわけだよ。実はこの二つの意向にも示されているような教会へのまなざしと、世界へのまなざしは、第2バチカン公会議(1962~65年)の『教会憲章』と『現代世界憲章』の二つに基づくものだということもいえるのだよ。

 

瑠太郎……少し学んだことがあるのですが、教会が近代世界に対して自己を閉ざしていたような態度をあらためて世界に向かって自らを開き、すべての人の救いと世界がともによくなることを目指して奉仕する姿勢になったということですね。

 

 

聖子……第2バチカン公会議があったから、ミサの共同祈願ができたってことなの?

 

 

 

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答五郎……いやあ、たしかに第2バチカン公会議前のミサにはなかったのだが、むしろユスティノスが語るように初期の教会で行われていたのだよ。だから、共同祈願は復興されたというべきなんだ。その際の教会と世界へのまなざしの向け方を、この公会議は率先して示したということになるだろうね。次は、意向3について考えてみよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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