《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 36:共同祈願の「共同」って?


共同祈願の「共同」って?

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答五郎……さて、「ことばの典礼」を扱って16回目になるね。テーマを共同祈願に移そう。見たことは?

 

 

瑠太郎……日曜日のミサに行くと行われていますね。僕が行ったところでは、信徒席のところで、一人の人が『聖書と典礼』にある例文を読み上げていました。

 

 

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答五郎……その読み上げるところは「意向」という。ここが共同祈願だと思われることもあるけれど、司祭の招きがあり、いくつか意向が唱えられ、そのたびに一同が応唱し、最後に結びの祈りがあるという流れ全体が共同祈願なのだよ。

 

 

瑠太郎……招きと結びの祈りがあるところは、集会祈願、奉納祈願、拝領祈願とも同じですね。

 

 

 

聖子……そこに、意向がいくつかあって、それぞれに一同が応唱するというところが独自よね。

 

 

 

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答五郎……短い応唱が何度も入るような祈り方を連願ともいうのだけれど、ある意味で共同祈願の形式は、公式祈願と連願が組み合わさった形といえるね。ところで、共同祈願の「共同」ってどんな意味だと思っていたかな。

 

 

 

聖子……信者一同が応唱して、皆が一緒に祈っている雰囲気がよく出てくるからじゃないの。

 

 

 

瑠太郎……それに意向を信徒が唱えるところにも、信者の共同の参加が表されていると思います。

 

 

 

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答五郎……たしかにそうだね。しかもその意向って、『聖書と典礼』に載っている例文を使うことが多いかもしれないけれど、ほんとうはミサをささげている共同体が自分たちで作っていいところなんだよ。すると、そこにも共同参加がよく表されるから、共同祈願というのかもしれないね。

 

 

聖子……思わせぶりね。質問する意味が知りたいわ。

 

 

 

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答五郎……実はね、ミサ典礼書のラテン語の原文では、共同祈願は「オラチオ・ウニヴェルサーリス」という。「すべての人のための祈り」といった意味なんだよ。

 

 

瑠太郎……では、共同祈願とは日本のミサ典礼書独自の名前ですか。直訳すると万人祈願でしょうか。

 

 

 

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答五郎……そうなるかもしれない。ともかく、これについては、新約聖書に重要な箇所があるんだ。「テモテへの手紙 一」の2章1~2節を読んでもらえるかな。

 

 

聖子……ここね。「それで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」。少し難しい言葉もあるわね。「執り成し」って。

 

 

 

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答五郎……簡単にいうと、ある人々のために、そのことを神にお願いするというときに、祈る人がその人々のことを神に執り成すということになる。そのような、だれかのために祈るという趣旨を表すために、英語では、共同祈願のことを「インターセッション」つまり「執り成しの祈り」と呼ぶことがある。日本でも他教派ではその意味で「代祷」(その人たちに代わって、その人たちのために祈ること)と名付けている場合があるんだよ。

 

 

聖子……いろいろな名前があるのね。

 

 

 

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答五郎……もっとも、一テモテ書のいう「願いと祈りと執り成しと感謝」をひっくるめて「祈り」と考えていいとすれば、この箇所は、「すべての人のための祈り」という性質をよく教えてくれる箇所となるだろうね。

 

 

瑠太郎……「すべての人」の意味はなんなのでしょうか。

 

 

 

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答五郎……参考になると思うのは、ユスティノスの『第一弁明』という2世紀半ばの書だな。「ことばの典礼」の流れの基本が語られているなかで、この祈願が「共通の祈願」とか「公同の祈願」と訳されるような名前で述べられているんだ。「ここに共に集って、自分共と、照明にあずかったその人と、また全地に居るすべての人々のために、公同の熱い祈りをささげること」、つまり、「自分たちや今洗礼を受けた人たち、そして全世界のすべての人のために祈ること」とね。

 

瑠太郎……そうだとすると、日本語の「共同祈願」もすべての人のための祈りという意味だともいえますね。

 

 

 

 

聖子……みんなで祈るから「共同祈願」という理解でいいじゃない。

 

 

 

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答五郎……いろいろな名前があるという話だけど、ミサ典礼書のラテン語原文には、実は「オラチオ・ウニヴェルサーリス」のほかに、「オラチオ・フィデリウム」つまり「信者の祈り」という名前も併記されているんだよ。

 

 

 

聖子……まだあるの? こんがらがらない?

 

 

 

瑠太郎……それに「信者の祈り」って、ミサの祈り全体が「信者の祈り」なのではないですか。

 

 

 

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答五郎……たしかに。ただ、その中でもとくに、入信して信者の仲間の一員、つまり教会の一員となって初めて信者としての祈りの役目を果たすということが強調されているようだよ。それは意向を唱えるだけでなく、応唱をもって皆が祈りをささげるというところに示されているのだろうね。

 

 

聖子……みんなでみんなのために祈る、それが共同祈願でいいじゃない。

 

 

 

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答五郎……ほう、そうだね。では、次回は、その「みんなのため」、「すべての人のため」ということをさらに詳しく考えていこう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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