ミサ全体が信仰宣言!
答五郎……ミサの信仰宣言で唱える信条についての3回目だね。前回は、ミサの流れ、というか「ことばの典礼」の流れでいうと、聖書朗読で告げられた神のことばに、この宣言をもって応えるという意味があることを見たね。
瑠太郎……はい、キリスト教で長く伝わってきた信条を唱えるということで、ミサが信仰宣言の集いでもあるという面があることを学びました。
答五郎……ちなみに、この信条は日本の多くの教会では、読み上げるというか、覚えている文言を一斉に唱えるというやり方で行われていることが多いと思うけれど。
聖子……ええ、あたしが見学したかぎり、いつもそうだったわ。
答五郎……実はね、典礼書で「唱える」というときは、実は「唄う」(歌う)ということでもあるんだよ。それなりの節をつけて、叙唱や奉献文が歌われている例は、わりとあるだろう。ほんとうは集会祈願などの祈願でも、ただ読み上げるというかたちのものはむしろ少ないのだよ。「祈りましょう♪~~」という形でね。
瑠太郎……でも、信条は長いですし、覚えるのが大変なのではないですか。
答五郎……そうともいえるけれど、逆に旋律がついていることで覚えられるようになるという面もあるよ。実はね、日本のカトリック教会では、ニケア・コンスタンチノープル信条に二つ、使徒信条に三つ、新しい旋律が作られて、今年(2017年)の4月16日から使用できるようになっているのだよ。
聖子……ええ、そんなにたくさん! でも、あんまり聞かないわね。
答五郎……まだ知られていないのかもしれないし、単純に唱えるものとずっと思われていたのだろうね。日本語の信条が歌われるものとして知られるようになるのは、これからなのだろう。
瑠太郎……ミサの他の祈りもそうですが、ただ唱えるだけだと、次々と先へ急ぐ感じがします。歌うことで、その言葉一つひとつにとどまって心を込めることができるのではないでしょうか。
聖子……でも、歌っているとこの信条の部分がずいぶん長くなるんじゃないの。それで、早く済ませたくて、ただ唱えているのではないかしら。それに旋律を覚えるのも大変でしょ。
答五郎……そうなのかな。でも、そんなに早く簡単に済ませて負担が少ないほうがいいという価値観で、みんなミサに来ているのかな。そうだとしたら、何のために来ているのかな、何のためにミサをささげるのかな……と問いかけたくなるよ。
瑠太郎……そうですよね。神のことばにとどまり、心をこめて祈り、神と心を通わせるというのがミサの祈りで、そこは、日常の時間とは違う永遠の時間が流れているはずです。そことの交わりがミサの醍醐味なのではないでしょうか。
聖子……瑠太郎くん、なんか難しいような、かっこいいようなことをいうわね。
答五郎……ずいぶん深く考えてくれているようだね。いずれにしても、新しい旋律が生まれた機会に、信条の内容にも多くの人が関心をもつようになって、これら伝統的な信条から、キリスト教について新たに学んでいけるとよいかもしれない。
瑠太郎……答五郎さん、でも、初めの話のように、ミサ全体が信仰宣言なのですね。
答五郎……おおっ、そうなんだ。信仰宣言という意味を広く深くとれば、信条を唱えることだけが信仰宣言ではなく、ミサに集まり、神のことばに耳を傾け、それに応えて信仰を宣言し、祈りをし、主の食卓に参加するというミサ全体が最高で最大の信仰宣言なのだということだよ。
瑠太郎……熱いですね。つまり、言葉だけでなく、みんなが心を一つにして、一体になって行動しているミサの行為全体が信仰宣言という意味をもっているということですね。
聖子……「体で行う信仰宣言」っていうわけ? 面白いわね。
答五郎……全体として、信仰宣言であることから、個々のことばの部分だって、それぞれにいつも信仰宣言だということだよ。特にいろいろなところで会衆が言う部分は、短くても信仰宣言だなというところがいっぱいある。たとえば、祈願の結びのところで会衆が応える言葉……。
聖子……「アーメン」!
答五郎……そう、これだって「ほんとうに(この祈りのとおりになりますように)」といった意味があるから、信仰宣言といえるだろう。特に聖体拝領のときの「キリストの御からだ」といわれて応える「アーメン」は、聖体のキリストに対するはっきりとした信仰宣言になるよ。
聖子……それって、はっきり言う人もいれば、おとなしくしている人もいるわ。
答五郎……たしかにいろいろだね。でも、もっとも短い信仰宣言だと理解できたらはっきり応えるようになるのではないかな。
瑠太郎……「感謝の典礼」のなかの会衆のことばは、それぞれに信仰宣言のようですね。「信仰の神秘~」のあとの「主の死を思い、復活をたたえよう」とか、聖体に対して、「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧。あなたをおいてだれのところにゆきましょう」と言うところも拝領前の信仰告白となっていますね。
答五郎……ああ、もちろん、それら個々の文言にも信仰宣言の意味合いは含まれていて、でも、体で行うことも含めて、全体が信仰宣言なのだというところを意識すると、ミサがさらに面白くなるのではないかな。次回からは共同祈願を考えることにしよう。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)