《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 28:詩編は力強い賛美


詩編は力強い賛美

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答五郎 ……今回は「ことばの典礼」の8回目になるね。前回は、使徒の手紙がいつも神のことば、あるいは信仰を伝える使命をもった人のことばとして、その根底にはいつも神のことばが響いているというところまで考えたね。

 

 

瑠太郎……直接、神のことばでないようなところに、神のことばの響きを感じるというのは、難しいような気もしますが、とても深いことのようでもあります。

 

 

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答五郎……そのことを考えるために最良のものが、実は、ミサの答唱詩編なのだよ。

 

 

聖子……第1朗読のあとの歌ね。短い句の繰り返しと長い詩の部分を交互に歌うところでしょう。

 

 

 

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答五郎……答唱句と詩句とのことだね。たとえば?と聞きたいだろ。2017年8月6日は主の変容の祝日だ。この日の答唱詩編を見てごらん(『聖書と典礼』を指す)。

 

 

 

聖子……「栄光は世界に及び、すべてを越えて神は偉大」が答唱句。そして、詩句部分は「神は王。世界よ、喜びおどれ。島々は叫びをあげよ。神は雲と霧を従え、正義とさばきが王座を支える」とこれが前半。詩編97・1ね。つづいて「天は神の正義を告げ、諸国の民はその栄光を仰ぐ。神よ、あなたは世界の上に高く立ち、すべての神々を越えて偉大なかた」。詩編97・2ね。

 

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答五郎……そう。ちなみに、答唱詩編の日本語は典礼用に訳されたもので、旋律がついた歌になっている。それで『典礼聖歌』の番号と節の指示がある(典礼聖歌25①②)。答唱詩編は基本「歌」だということも大きな特色だ。ところで、瑠太郎くん、ことばの形式としてはどうだろうか。

 

瑠太郎……はい。これは、神を信じる人々が、神のことを歌っていて、神はどのような方かを告げて、最後には「神よ」と呼びかけている、全体として賛美の歌ですね。

 

 

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答五郎……そうだね。神のことばか人間のことばかといったら、人間のことばということだね。

 

 

瑠太郎……はい。ただ、前回の使徒のことばのように、人間のことばといっても、神の民、つまり神を信じる人々のことばですから、その根底には神のことばがあるということでしょうか。

 

 

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答五郎……そう。この賛美の根底にあるのは、神が王であること、正しい裁きをくだすかたであること、世界の上に立ち、すべての神々を越えていることのなんらかの経験なのではないかな。

 

 

 

聖子……信じている神のことを理想的に述べているだけではないのかしら。

 

 

 

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答五郎……もちろん、ある民の頭の中で考えていることだけのように、はたからは見えるかもしれない。

 

 

瑠太郎……やはり、神が正義のかたであることについてのついては、何らかの経験、つまり神の働き、その力、そのありさま、そのことについての神自身からの教えがあって、民もそれを知った、それに出会ったということなのではないでしょうか。

 

 

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答五郎……なんか、瑠太郎くんの言うことのほうが深くなってきているよ。たんなる考えととるか、その信仰に共感して受け入れるかは、詩編を見る人の態度しだいでもある。これは案外重要なことなのだけれど、ともかく、詩編の特徴として、全体として、これは「賛美の祈り」と総称される。ニュアンスはさまざまで、神の民が神にささげる賛美や感謝、願い、悔い改め、信仰告白などがあっても、全体としては神への賛美だといえるだろうね。

 

 

聖子……あたしなんか、詩編は、一行一行、短く区切れているのがいいわ。目に入りやすいし。わかりやすい。「神は王、世界よ、喜びおどれ」なんて力強いわね。答唱句も歌になっていて、いくつかもう覚えているわよ。「♪主はわれらの牧者♪」とか……。

 

 

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答五郎……「世界よ、喜びおどれ」とか「諸国の民よ、…」と賛美を呼びかけるような言い方も多いよ。神のことを万人に告げ知らせるという側面があるのも、詩編の賛美の特徴の一つかな。ちなみに、「主をたたえよ」という短い呼びかけから「ハレルヤ」という慣用句が生まれ、ローマ典礼では「アレルヤ」になっているのだよ。

 

 

聖子……福音朗読前の「アレルヤ唱」のところの「アレルヤ」ね。

 

 

 

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答五郎……ともかく、こういうふうに、詩編のことばは、神の民が神に向かうことばでもあり、神に向かう気持ちをもって万人に向けて発していることばでもある。どこか使徒のことばと似てないかな。

 

 

瑠太郎……たしかに、使徒のことばもいつも神のこと、キリストのことを思い、神と対話しながら、「わたしたち」として語ったり、どこかの教会の人に「あなたがた」と語りかけたりしています。

 

 

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答五郎……つまり神との対話を根っこにした人間の間でのことばでもある。それが「祈り」なのではないのかな。

 

 

 

瑠太郎……祈りというと、静かに神に願い事をささげるイメージだけど、それだけではないのでしょうか?

 

 

 

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答五郎……そう、願い事だけでも、静かに心の中ですることだけでもなく、このように、神に向かいつつ人々にも向かう、だから、声を発して力強く叫ぶ、歌うというかたちにもなっているのだろうね。

 

 

 

聖子……そう、キリスト教で祈りというと、みんなで声を出すというところが、ちょっと驚くのよね。

 

 

 

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答五郎……それが典礼の祈りの姿だよ。典礼が祈りだということを知る上では、詩編を見ていくことがとても大切なのだよ。それはまた聖書というものの姿を深く考えさせてくれると思うよ。次も続けよう。

(企画・構成:石井祥裕/典礼神学者)


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