神さまの絵の具箱 12


末森英機(ミュージシャン)

 恩知らずの罪は、わたしである。罪はわたしの冠である。罪の誇りを冠っている、わたしである。したたり落ちる血しおこそ、汚れた血統(ちすじ)の、これはたまものである。なにもかも押し流す涙を生む。 海を越えるのに、渡り鳥の羽根はいらない。海峡を渡るのに蛍のひらめきも、燐をまきちらす蝶の翅もいらない。海図を読まず、羅針盤に頼ることもない。港へと操る舵取りすら役に立つまい。恩知らずの罪の冠(かしら)だから、無我夢中(ねっしん)になってすべきことは、謀(たばか)り、偽証(いつわり)を自然(きまま)に編むことだけだ。十字架を愛することを急(せ)いて、覚えなければならない、あなたがたとは違う。この世のいのちに微塵もひかれずに、恩知らずの罪は罰あたり者を冠(かしら)に据える。ここでも、あそこでも悲しみや苦しみを、蜜のように胸の巣箱にあつめ「ただ、愛します」と言わんばかりの、信仰深きあなたがたとは陰の深みが違う。死も生きる。天国なんかいらない。忘れないでください、と言わない。わたしは恩知らずの罪にある。星で目がくもることはない。涙で胸がくもることもない。どんなしるしを見せられようと、立ち合わせられようと。どれだけの驚きで、月が砕けようと、太陽が落ちようと。この罪はひとえに秘密を教えてくれる。いちばん不足しているひとり子を選んだそのわけを。わたしは、恩知らずの罪の頭である。なにものこらないほど愛して、傷をいただき、その砕かれた骨をもう一度たがやそうとされる。あなたがたが下界にさがそうとも、すぐには手に取れない。ユメ見る奴隷のように。「人間の肉と血はしばしばいたずらを働く」(ゼカリア3:1−5)


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