《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 22:神が語る? キリストが語る?


神が語る? キリストが語る?

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答五郎……聖書と典礼とのつながりのいちばん特徴的なことは、典礼で聖書が朗読されたり、歌われたりするところにあることは知っているだろうか。その朗読ということの意味なのだが……。

 

 

 

瑠太郎……聖書はキリスト教の大事な経典だから、典礼ではそれを尊重して読み上げる、のですよね。

 

 

 

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答五郎……はて、瑠太郎くんの言い方だと、典礼で聖書を読むことはただ儀礼的な意味、つまり儀式を重々しくするための役割しかないということになるのではないかな。

 

 

 

聖子……わたしなんかは、司祭の説教が楽しみなので、説教の前に、一応、大事な聖書を読むのね、という感じで聞いていますけど……。

 

 

 

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答五郎……というと、「ことばの典礼」の中心は説教だということになるかな。

 

 

 

聖子……説教の前まで、聖書朗読や歌のときは、皆、手元にある冊子……『聖書と典礼』ですか、それを見ているのに、説教になると、みんな司祭のほうを見て、じっと集中して聞いていますよ。いざ本番という感じで。「お座りください」と、腰を落ち着けられることもあるのでしょうね。

 

 

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答五郎……たしかに、それはたしかにミサでよく見る光景だし、率直に感じられるところだろうね。では、「ことばの典礼」の「ことば」とは、司祭の説教を指しているのだろうか。

 

 

 

瑠太郎……そういえば、司祭の説教も、「きょうの福音で、イエスさまは……」というふうに切り出すことが多いように思えます。福音朗読が前提となっているのでしょうね。

 

 

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答五郎……ということは、どういうことだと思う? 「ことばの典礼」の中心は?

 

 

 

聖子……言いたいことは、福音朗読が中心ということなのでしょう。

 

 

 

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答五郎……聖子さんは、ズバリ言ってくれる人だね。そう、結論からいうと、福音朗読が「ことばの典礼」の中心というか、頂点・山場というべきものなのだよ。

 

 

 

瑠太郎……たしかに、福音朗読のときにはいろいろと動きが出てきますね。なによりも皆立ちますよね。 また「主に栄光」とか「キリストに賛美」という句を前後に唱えます。

 

 

 

聖子……それに、第1朗読、第2朗読とちがって、福音朗読は司祭がしますよね。

 

 

 

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答五郎……そう、いろいろほかの聖書朗読と違うしるしがあるだろう。ただ、それでも、第1朗読、第2朗読、福音朗読を含めて、典礼では、聖書が朗読されるということがとても大事なのだよ。

 

 

 

聖子……どうしてなのかしら。聖書はなにより本で、文字で書かれたものだから、文字を目で見て読むことが第一のことではないのかしら。

 

 

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答五郎……いや、朗読ということに本質的な意味があるのだよ。ヒントとなるかどうか、こういうことばがある。「キリストはご自身のことばのうちに現存しておられる。聖書が教会で読まれるときは、キリスト自身が語られるからである」(『典礼憲章』7)。

 

 

瑠太郎……聖書朗読のとき、キリスト自身が語る?

 

 

 

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答五郎……別の言い方もある。「聖書が教会で読まれるときには、神ご自身がその民に語られ、キリストは、ご自身のことばのうちに現存して、福音を告げられる」(『ローマ・ミサ典礼書の総則』29)。福音以外の朗読も神が語ること、福音朗読はキリスト自身が福音を告げることといわれているのだよ。

 

 

聖子……聖書朗読が大事ですよということを強調するために、そういう言い方をしているだけなのではないですか。実際には、朗読当番の人が読んでいるし、司祭が読んでいるわけだから。

 

 

 

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答五郎……もちろん、そうだね。目に見え、耳で聞こえるかぎり、実際に行われているのはそういうことだ。だから、神が語る、キリスト自身が語るというのは、聖書朗読の意味に関する発言だと理解する必要がある。

 

 

 

瑠太郎……聖書そのものが「神のことば」だということを教会では教えられているようですね。聖書そのものが神のことばなのだから、聖書を朗読することは、神が語ること、キリストが告げることになるということでしょうか?

 

 

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答五郎……それは明晰な考え方だね。だが、もう一つ、聖書朗読は神が語ることであるという意味にはもう一つの側面がある。「聖書が教会で読まれるとき」という言い方が示していることなのだが。「教会」とは何を意味していると思うかな。

 

 

 

聖子……教会堂で、聖堂で、という意味ではないのですか?

 

 

 

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答五郎……さっき聖書が典礼で読まれるときと言い換えたのに気づいていたかな。ここで教会とは、建物ではなく、信者の集まりのことを指している。「神の民」と呼ばれることもある。この民の集まりである典礼の中で聖書が読まれるとき、神が民に語りかけるということになるのだよ。

 

 

瑠太郎……正直いうと、お話がまだよくわかりません。ぼくなんか、聖書をまず文学作品として興味をもったものですから。神のことば、神が語ることといわれても……。

 

 

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答五郎……無理もない。自分も長年ずっとこのことを考えているのだけれど、まだ謎なのだよ……。

(つづく)
〔企画・構成 石井祥裕/典礼神学者〕


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