第41回日本カトリック映画賞授賞式&上映会レポート


2017年5月20日、第41回日本カトリック映画賞授賞式&上映会(主催:SIGNIS JAPAN、後援:カトリック中央協議会広報)が、中野ZERO大ホール(東京都中野区)にて行われました。

1976年に始まった日本カトリック映画賞は、毎年、前々年の12月から前年の11月までに公開された日本映画の中で、カトリックの精神に合致する普遍的なテーマを描いた優秀な映画作品の監督に贈られます。今回の受賞作は、片渕須直監督『この世界の片隅に』(原作は、こうの史代さんによる同名の漫画)です。

受賞理由について、日本カトリック映画賞を選ぶSIGNIS JAPAN(カトリック・メディア協議会)の顧問司祭である晴佐久昌英神父は「今年ほどこんなに誇らしく、幸いな気持ちで受賞理由を述べるのもめずらしいくらいの大きな喜び、というくらい、この映画が大好きです」と話し、一番の受賞理由として、「最初に映画を観たとき、今という時間や生活、そして一人ひとりを大切にしなければと思いました。一人ひとりのうちに秘められた尊さをもっと大切にしたい。その気持ちを皆さんにも味わってほしい」との思いを語りました。さらに主人公のすず(CV:のん)が自分にとっては実在の人物で家族同然だと述べた上で、「この世界の片隅に誰が住んでいるのか。この世界の片隅に、どうでもいい人がいるわけではない。その人が幸せでなければ私も幸せになれない。この世界の片隅に幸せが訪れない限り、誰も幸せになれない。こんな当たり前なことにもう一度気付かせてくれた。わたしはこれからすずさんと一生いっしょに暮らしていくことになります」と熱く思い入れを語りました。

この映画が教えてくれる福音的なメッセージとして、「これらの小さなものの一人を軽んじないように気をつけなさい」(マタイ福音書18章10節)という言葉を引用し、「聖書の時代も今この現代も、この世界の片隅の一人ひとりが軽んじられている。しかしこの世界の片隅こそが、この宇宙の中心なんです」と話し、他者や弱者を大切にするまなざしや思いを新たにしてくれるこの映画への感謝を述べました。

 

授賞式の様子(土屋至・SIGNIS JAPAN会長より、表彰状が手渡される)

クリスマスみたいなのをやれるのが平和だと思う

晴佐久神父と片渕監督の対談は、「日本カトリック賞と聞いてどう思いましたか」という晴佐久神父の質問から始まりました。片渕監督は「そんな賞があるんだなと思った」と正直に答えましたが、実は家系がカトリックと縁があるとのこと。ひいおばあさんがカトリックの信者で、ご自身も教会に所属の幼稚園に通っていたそうです。

それを受けて、「冒頭で賛美歌が流れていたことと何か関係があるのですか」と晴佐久神父が聞くと、「そういうわけではなく、クリスマスのシーンを表現するために賛美歌を使った」ということです。原作は翌年の昭和9年の1月から始まっているため、このシーンはアニメオリジナルです。これについて監督は「クリスマスみたいなことをやれるのが平和なんじゃないかなと思って」と話しました。このクリスマスのシーンは非常に重要な意味を持っています。

 

理不尽さと救い

次に、晴佐久神父が「映画を観て、普段の生活が突然壊される恐ろしさや理不尽さ、機銃掃射(きじゅうそうしゃ、機関銃で敵をなぎ払うように射撃すること)のリアリティを感じました」と感想を述べると、監督は「本当は日常だけを描きたかったんです」と話しました。しかし、「原作はあえて戦争も描いているので、それによって日常のかけがえのなさや意味深さが見えてくると思った」と続けました。

また、「すずさんと晴美さんが歌を歌ってるところから始まって、それがラッパの音になって、それから大きな音が聞こえてきて、大砲の音が鳴って」というような戦争の描写についても、「音によって戦争が発展していくのは、漫画では表現できないこと」であり、色についてもそれが同じであると監督は言います。空が爆発しているシーンは非常に色とりどりで、晴佐久神父は「きれいだなと思っちゃった」と話しました。実際にお二人が戦争を体験した人から聞いた話には、赤く染まった空がきれいだったとか、B29がきらきらしていたという感想もあったそうです。

できあがった2時間の映画を通しで見たあとに、監督は「すずさんを救いきれていないような気がした」と感じたそうです。生き残ってしまった人が自分のせいで誰かが死んでしまったのではないか、と罪の意識に苛まれてしまう「サバイバーズ・ギルト」というものがあります。監督は、すずさんの背負ったものが大きすぎると感じ、エンドロールにもアニメーションを入れました。「あのエンドロールのおかげで、私たちも本当に救われた気持ちになる」と言う晴佐久神父に対して、監督は「本当にあそこまでそろって一本の映画なんじゃないかな」と応えました。ここもアニメオリジナルのものです。

 

片渕監督と召命

この映画によって救われたのは、すずさんや観客だけではありません。晴佐久神父が「監督のこの映画を作ろうと思ったモチベーションはすごいなと思いました。それはただのエゴや仕事を超えた何か、これはどうしても作らなければっていうような思いが自分の中にあったのではないかと思ったんですが、いかがですか」と尋ねると、監督は「一つはこれを作ることで、自分自身としても救われるんじゃないかなという気がしました」と答えています。

片渕須直監督(後ろは幸田和生・SIGNIS JAPAN顧問司教)

監督は原作を知ったときから、これは多くの人に観てもらえるものになると思っていたそうですが、「こういう映画を形にすることができるなら、自分が今まで生きてきたこと、経験してきたことが色んな意味でその映画の中で結実できるというか、自分がここまでやってきたことが無駄じゃなかったんだなという意識を抱けると思った」と続けました。

また、この映画を作るための資料集めが苦にならなかったという「オタク気質」な監督は、戦闘機や飛行機がお好きだそうで、その知識も豊富です。そのような積み重ねがこの映画につながっており、「このために僕は存在していたんだろうかって思ったくらい」だと話します。それに対して、晴佐久神父が「カトリックではそれを『召命』って呼ぶんですよ。神に選ばれて使われているんだって考えです」と言うと、監督は「誰かに使われているんじゃないのかなっていうふうな気持ちは本当にしました」と語ります。

 

どこにでも宿る愛

映画の最後のほうで流れる歌に、「どこにでも宿る愛」という歌詞が出てきます。「周作さんという旦那さんとすずさんは本当にたまたまの偶然みたいなもので出会ったかもしれないけれど、出会ったがゆえに愛情が芽生え、育っていくこともある」と監督は話し、「一番最後の広島で見つけてきた孤児ともたまたまの出会いなんですけど、そこに宿る、宿っている、育っていく愛があったろうなと思う」と続けました。

原作では、この言葉はすずさんの失われた右手の言葉として出てくるそうですが、「そういう意味では、悲劇は悲劇だけれども、決して悲劇で終わらず、失ったかに見えるものが非常に大きな働きをしている。希望になりますね」と晴佐久神父は話しました。

 

一人ひとりの大切さ

印象に残ったシーンとして、「群集のシーンが忘れられない。本当に一人ひとりが生きているというか、ちょっと駅ですれ違っているような人、ちょっとおしゃべりしているような人も、その一人ひとりにすずさんと同じ場面や人生というか、喜びや悲しみがあるんだなと思った」と語った晴佐久神父。それについて監督は、「自分は映画の中に存在している群集のほうかなって思ってしまうので、自分もここに存在しているから気にしといてね、という感じで」とコメント。

それを受け、晴佐久神父は「一人ひとりを大切にして作られている映画だなという気持ちになったし、僕らも自分中心で生きているけれども、ふっとすれ違った一人ひとりがとても尊い人生を生きているんだなと感じさせてくれた」と話しました。さらに、一人の司祭としてこの映画を選んでよかったことでも、「この作品の奥に一人の人間の美しさっていうものを私たちはきちんと見ることができる、表現することができる、そういう希望や励ましをもらったのが大きかった」と、動くすずさんに出会えたことの喜びを熱く語っていました。

 

晴佐久神父とアニメ

監督は幼稚園に上がる前からアニメーションを見始め、東映の長編アニメーションや鉄腕アトムというタイトルが出ると、同世代かもしれない、と晴佐久神父が反応(片渕監督は1960年、晴佐久神父は1957年生まれ)。さらには「映画を観ていてカット割りが本当にテンポよくって、こんなに観ていてゆったりしたほがらかな気持ちで観ていながら、よく見るとカット割りは本当に細かくきちんとつながれていてびっくりした」と話しており、受賞理由でも『君の名は。』に触れるなど、晴佐久神父はアニメーションにかなり詳しいようです。「カット割り」は映像関係の専門用語ですが、神父様の口からそんな言葉が出ることに少し驚きました。さすがはSIGNIS JAPANの顧問司祭。

晴佐久昌英神父

晴佐久神父が指摘したように、テンポが速いのには理由があります。原作の漫画は週刊連載でたくさんのエピソードから成っているのですが、それをできるだけ全部入れようとしたためにこのようなテンポになったそうです。晴佐久神父が「本当にテンポがぽんぽんと、もっと観ていたい、美しい絵なのに、あっという間に過ぎていく」と名残惜しそうに言うと、「すずさんのある一日を長く描いて、代表的な何日しか描かないという方法もあったのですが、すずさんがお嫁に来てからその先の丸二年間、こういう毎日があったんだよっていうことを紹介したかったんです」と監督は述べました。

そして、晴佐久神父が「ずーっと長く愛されますよ。『この世界の片隅に』以前以降って言われるくらい、大きな影響力を持っていて、特にこの年代(70代や80代、時には90歳を越えた方もいたようです)の方たちがアニメを観るっていう(のはなかなかないこと)」と絶賛すると、片渕監督は「そういうのは本当にありがたいなと」と述べ、続けて「アニメーションには色んな可能性がまだ秘められていると思っていますので、こういう映画も作れるし、また別のタイプのも作れるでしょう。色んなジャンルがアニメーションという技法で表現できるし、作られると思いますので、もしそういうのを見かけたときは是非ご覧になっていただけたらありがたいかなと」とアニメーションの可能性を語りました。

 

映画の見どころ

対談の様子

最後に、大切に観てほしいシーンを聞かれた監督は、意外にも「服」に注目してほしいと答えました。その理由を「すずさんは色んな服を着ているように見えますが、実はそんなに多くの数を持っているわけではない。小さいころにおばあちゃんがくれた椿の柄の着物や、お義姉さんモガ(モダンガール)だったんですね、と言っていたお義姉さんの服がどうなっていくのかというように、服の上にも歴史があるので、その服の運命を観てほしい。びっくりするくらいドラマチックです」と語りました。

最盛期よりは上映館数が減ったものの、今回のようなホールでの上映や、季節柄8月にも再上映の可能性があるとのこと。最後に、監督は「何度も観ることで、また違ったものが見えてくると思います。群集の一人ひとりに色と表情がついていて、世界の切れ端がこの映画の中にあります。画面の真ん中だけでなく、端っこにもたくさんのドラマが潜んでいるのかもしれません」と述べ、晴佐久神父が「画面の片隅にも注目ということですね」と締めくくりました。

(文:高原夏希、写真:石原良明/AMOR編集部)

 


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