『ローマ法王になる日まで』トークディスカッション付き特別上映会レポート


2017年4月27日、上智大学において、6月3日より公開される映画『ローマ法王になる日まで』のトークディスカッション付き特別上映会が開催されました。

上映終了後のトークディスカッションは「宗教対立やテロが頻発する現代に大きなメッセージ! 現在のローマ法王・フランシスコの半生から『平和な社会』を考える」と題し、本作の監督であるダニエーレ・ルケッティ氏、上智大学神学部教授でカトリックセンター長のホアン・アイダル神父、イエズス会日本管区長のレンゾ・デ・ルカ神父が登壇しました。二人の神父はアルゼンチン出身で、サン・ミゲルの神学校時代に、ローマ教皇フランシスコ(当時ベルゴリオ神父)から直接指導を受けています。

 

ダニエーレ・ルケッティ監督

バチカンと世界との間の壁に穴を開けた人物

まず、監督から二人の神父へ、二人の神父から監督へと、交互に質問が交わされました。ホアン・アイダル神父からは、「ヨーロッパ人から見た教皇とは、どんな印象ですか。南米人だなと感じるようなことはありますか。また、今までの教皇との違いなどあれば、教えてください」という質問がありました。

それに対して、ダニエーレ・ルケッティ監督は、「フランシスコ教皇は、ダイレクトな形で人々とコミュニケーションを取っているという印象があります。また、無宗教の人とも話をすることができる。このようなことによって、バチカンと世界との間の壁に穴を開けたと思います」と答えました。また、映画本編(つまり神父や補佐司教時代)の人物像についても、「人々のために有益なことをしようとした人だが、必ずしもヒロイックではない」と述べています。

アイダル神父も「自分の感情を抑えて人々のために、というのは素晴らしいことですが、自分自身の苦しみを生むものでもあったでしょう」と話し、「結び目を解(ほど)くマリアに出会ったことによって、初めて他人のことだけではなく、自分のことも考えていいと思えるようになったのでは」と続けました。この「結び目を解く聖母マリア」というのは、映画本編で非常に重要な意味を持っています。

 

ホアン・アイダル神父

教皇は右でも左でもなく、キリストの側にいる

次に、会場にいた学生からの質問へと移り、その中に「教皇はポピュリストなのですか」という質問がありました。ポピュリズムとは、「民衆の情緒的支持を基盤とする指導者が、国家主導により民族主義的政策を進める政治運動。1930年代以降の中南米諸国で展開された。民衆主義。人民主義」(『大辞林』第三版より)であり、政治的な意味を持っていますが、「ポピュリストが組織や国(の利益)よりも人を大切にする、という意味であれば、そうでしょう」とアイダル神父は答えました。ルケッティ監督は「貧しい人のいる地区に実際に赴くという活動は、あまりヨーロッパの教会ではやっていないように思われます。アルゼンチンでは、政治の力が及ばないことも教会がやっている」と貧しい人を助けるベルゴリオ神父の姿を賞賛しました。

また、映画の中でベルゴリオ神父が「あなたはどちら側の人間か」と聞かれる場面が二度あるのですが、一度目は「そんなことに意味はない」、二度目は「キリストの側にいる」と答えています。これについて、アイダル神父は「教皇は自分がどう見られるかを嫌い、あまりそういうこと(右か左か)を考えていない。それは見る側の問題であって、教皇は右でも左でもないと思います」とコメント。さらに、「枢機卿時代は保守的だったと言われますが、それにも理由があります」と述べ、「政治家がカトリックだと言いつつ、その精神に反するようなことを行なっていたので、彼は真に教会を守る立場にありました」と続けました。

 

レンゾ・デ・ルカ神父

「平和な社会」をめざして

最後に、司会者から「宗教対立やテロが頻発している現代社会において、ローマ教皇の役割や存在はどんな意味を持つと思いますか」というトークディスカッションのテーマに関する質問がありました。

ルケッティ監督は無宗教だそうですが、「宗教は平和をもたらすことができるものだと思います。そしてそれは、自分の宗教の外に対してもそうであってほしい。文化的スペースを広くし、対話を多く持ってほしい」と宗教間対話、あるいは無宗教の人たちとの対話、そして平和についての希望を述べました。

ルカ神父は「教皇はリーダーとしての存在感が非常に大きいです。現代はリーダーに対する不信が見られるので(教皇には期待できる)」と述べ、アイダル神父は「世界を変えたいという思いはどんなリーダーも同じだと思いますが、それぞれ方法が違います。教皇は暴力ではなく、ゆるしや他者中心ということを大切にします。私たちはそんな教皇に希望を持っています」としめくくりました。

 

上映会・トークディスカッションを終えて

リーダーが変わるとき、人は大いに期待します。しかし、その期待がすぐに落胆に変わってしまうことも少なくありません。ところが、教皇フランシスコは、就任から現在までその人気や期待、信頼を持続しているように思われます。それはやはり、教皇にそれだけの実績があるからでしょう。多くの人々とダイレクトに触れ合うことをはじめ、アメリカとキューバの国交正常化交渉の仲介、ロシア正教会モスクワ総主教との歴史的な対話、アメリカと北朝鮮との対話の呼びかけなど、自ら平和のために精力的に働き、カトリック信徒だけではなく世界に大きな影響を与えています。

しかし、この映画の中のベルゴリオ神父は「必ずしもヒロイックではない」のです。ヒーローのようにカッコよくスマートに物事を解決できればよいのですが、現実はもっと複雑で難しく、それこそ「結び目」がたくさんあります。右か左かではなく、「キリストの側にいる」という立場はシンプルではありますが、いざ実際に行動しようとするとなかなか思うようにいかず、政府ばかりか教会内の様々な立場との間で板挟みになって苦しむことになります。

それは、管区長や補佐司教としての責任感や、仲間や友人などより多くの人を助けたいという気持ちが強くあったからでしょう。何より、カトリックのキリスト者としてふるまおうとしたがゆえに、そのような困難に直面していたのだと思います。そして、それが真に平和を作る人間を形づくったのではないでしょうか。

教皇は現在も世界中に存在する「結び目」を解くために奔走しています。すべての人が教皇のように大きな行動を取れるわけではありませんが、人知れず行なわれた小さなことも、身近な誰かの「結び目」を解いているかもしれません。それを多くの人の目に見える形で行なっているのがフランシスコ教皇であり、だからこそ人々は教皇に大きな希望を持っているのだと思います。

(文:高原夏希、写真:石原良明/AMOR編集部)

 

【登壇者プロフィール】

ダニエーレ・ルケッティ監督
1960年ローマ生まれ。友人のナンニ・モレッティが監督した『僕のビアンカ』(83)にエキストラ出演後、同監督作品で助監督、俳優として関わる。CM制作を経て、映画デビュー間もないマルゲリータ・ブイを起用した長編『イタリア不思議旅』(88)でデビュー、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀新人監督賞を受賞、第41回カンヌ映画祭<あ る視点>部門ノミネートされた。代表作は、エリオ・ジェルマーノにカンヌ国際映画祭の男優賞をもたらした『我らの生活』(10)。他に東京国際映画祭で上映された監督の自伝的作品『ハッピー・イヤーズ』(13)など、コンスタントに作品を発表しているイタリアの名匠である。

ホアン・アイダル神父:上智大学神学部教授・カトリックセンター長
1965年生まれ、アルゼンチン出身のイエズス会員。現ローマ法王フランシスコ(当時ベルゴリオ神父)が1980-86年にかけて院長をつとめたサン・ミゲル神学校神学科・哲学科にて通算4年間直接指導を受ける。

レンゾ・デ・ルカ神父:イエズス会日本管区長
1963年アルゼンチン生まれ、1981年イエズス会へ入会。サン・ミゲルの神学院時代、現ローマ法王フランシスコ(当時ベルゴリオ神父)に3年間直接指導を受ける。1985年来日。上智大で日本語、哲学、神学を学び、長崎に派遣され1997年より日本二十六聖人記念館副館長を務める。2004年より日本二十六聖人記念館館長を務め、キリシタン歴史研究に貢献。2017年よりイエズス会日本管区長。

※本記事ではカトリック中央協議会の方針に従い、作品名などを除いては「法王」ではなく「教皇」という表記で統一させていただきました。

 


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