末森英機(ミュージシャン)
いとおしさを、こめて「よき小さなイスラエル」よ、と呼んでおこう。すわってオリーブの木にもたれかかり、麻酔にかけられたような、蝶に春をかいでいる、とても貧しい靴屋だ。靴つくりなのに、彼は裸足だ。他人(よそ)のためには、とてもよい靴をこさえている。
靴を渡されるひとはすべて、深くお礼のことばをかけた。笑み崩れながら、彼は決まってこう云った。「すべては、創り主の思し召し」。初めての注文にも、うなずきながら「すべては創り主の思し召し」。修繕がくれば「すべては創り主の思し召し」。雨が降って外で作業ができなくても「すべては創り主の思し召し」。注文も直しもないときに、たくさんのサンダルをつくって、それを頭にのせて、人通りのある市場へ売りに出かけた。牛の枷(かせ)のようなその重みも「すべては創り主の思し召し」と足もとをふらつかせながら、ほほえむ。一日中売り歩いたが一足も売れなくてもやはり、「すべては創り主の思し召し」。