エンドレス・えんどう 5


 世の中には時々、不思議なことがあります。前回に続き、『深い河』に描かれていることの中で、もう一つ、〈不思議なこと〉について、考えてみましょう。

 病により死を前にした磯辺の妻は、ある夜、夢を見ます。それは、慣れない一人暮らしをする磯辺が薬缶の湯を沸かしたままガスの日を消し忘れ、空焚きになっているさまを目撃し、「危ない!」と必死に叫ぶ夢でした。翌日、見舞いに行った磯辺は、妻からその話を聞き、正夢だったため愕然とします。

 このエピソードを、遠藤は〈ドリームテレパシー〉と呼んでいます。この箇所を読んだとき、僕は八年前の冬にみた夢の中で聴いた、同居していた祖母の叫びを思い出しました。

 それは、夜明け前の出来事でした。私は夢の中で(現実かのような)その声を、確かに聴いたのです——。祖母の姿は見えませんでしたが、何処かの渦に吸い込まれそうな祖母が、必死に僕の名前を叫ぶのが聴こえ、目が覚めました。その三十分後に電話のベルが鳴りました。

祖母の入院する病院に駆けつけると、すっかり痩せた祖母はいくつもの管に繋がれ、肩で微かに息をしていました。目は閉じられ、もう会話はできません。〈婆ちゃん… 呼んでくれたんだな〉僕は直感しました。約一時間後、祖母は静かに息を引き取りました。病室の外の休憩所では、テレビで長唄の番組を放映され、生前の祖母がよく観ていた番組でした。奇遇にも、一つの魂が冥土に入ってゆくことを語る唄が静かに流れていました。窓外に広がる七里ガ浜の海を見つめながら、僕は心の中で呟きました。〈婆ちゃん、長い人生、本当にお疲れ様でした。婆ちゃんの畳の部屋で、よく文学や信仰の話をしたよね。いつも「何かを知りたい」と願う僕に、婆ちゃんはヒントを遺して、逝ったんだね…ありがとう〉

 あれから年月を経て、僕は『深い河』を読んでいます。そこには死を前にする患者(磯辺の妻)と、窓外に立つ樹の対話が描かれています。

(服部剛/詩人)


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