主よ、あわれみたまえ
答五郎……さて、次は「主よ、あわれみたまえ」のところだ。ミサの開祭の中でたぶんかなり印象深い部分ではないかな。
問次郎……なんといっても皆で歌いますし、簡単な歌詞で「あわれみたまえ」の繰り返しですからね。
♪「主よ、あわれみたまえ。」「主よ、あわれみたまえ。」「キリスト、あわれみたまえ。」「キリスト、あわれみたまえ。」「主よ、あわれみたまえ。」「主よ、あわれみたまえ。」
いろいろ旋律がありますよね。
答五郎……いったいどういう意味だと思う。「~~たまえ」というぐらいだから文語形式だけれど、現代語的にいえば……?
問次郎……「主よ、あわれんでください」でしょうか。つまり、神さまにあわれみをお願いする歌ですよね。
答五郎……さて、実は、そこに一つ大きなテーマが隠されているのだ。『ミサ典礼書』でここの部分の表題はどうなっているか、『典礼聖歌』でこの歌のところがどう総称されているか見てごらん。
美沙………「あわれみの賛歌」となっていますね。
問次郎……はぁ。でもあわれみのお願いとあわれみの賛美では、内容とタイトルにギャップがあるような気がしますが。
美沙………『典礼聖歌』で「ミサ曲」とあるところは、次の「栄光の賛歌」「感謝の賛歌」「平和の賛歌」全部、賛美の歌になっていますね。
答五郎……そうなのだよ。これらは、ミサの式文にいつもあって、栄光の賛歌は、待降節と四旬節には歌わないけれども、そのほかはいつも歌われる。ミサの式文上の賛歌というべきものだ。あわれみの賛歌は、前回見たように、回心の第三形式としても組み込まれることがあるよね。
美沙………「あわれみの賛歌」はミサ曲の伝統で「キリエ」と呼ばれるものですよね。
答五郎……そう、ヨーロッパの音楽には「ミサ」という楽曲形式があって、それが日本語では一般に「ミサ曲」と訳されて、結構知られている。大作曲家の作品もあるからね。ミサ曲にはさっき言った式文上の賛歌が含まれている。その最初が「キリエ」でこの「あわれみの賛歌」。「主よ、あわれみたまえ」を原語で「キリエ・エレイソン」というが、冒頭の「主よ」が「キリエ」だ。
問次郎……キリエというのはラテン語から来ているのですね。
答五郎……いやぁ、実はラテン語ではなくてギリシア語なのだよ。ラテン語のミサでも、これだけギリシア語の詞で歌っているというのがキリエの面白いところだ。♪「キリエ、エレイソン」~「クリステ、エレイソン」~「キリエ、エレイソン」とね。
問次郎……「エレイソン」が「あわれみたまえ」の意味なのですね。
答五郎……実は、そこも微妙でね。「主よ、われらをあわれみたまえ」と「われらを」という目的語が入っていたら、はっきりと「わたしたちをあわれんでください」という願いの意味になるというらしいのだが、「主よ、あわれみたまえ」は、主に重点が置かれた言い方で、「主よ、あわれみをくださる方!」「主よ、あわれみ深い方!」といった意味のほうが強いというのだ。つまり主とかキリストとか対する賛美の叫びらしいのだよ、本来は。
美沙………その意味で、「あわれみの賛歌」というタイトルになっているのですね。
答五郎……ああ、そのニュアンスを理解できるように、日本語の「ミサ典礼書」でそうしたという。
歴史的にも、古代ギリシア世界で王や皇帝がある町を訪れるときに民衆の歓呼のことばとして叫んでいた言葉の形式らしい。ミサの式の発展とともに、ギリシア語圏の教会ではこのことばがミサの中で、連願、つまり(短い意向に対して短い応唱を繰り返す形式の祈り)の応唱の一つとなり、やがて、ミサの中で主である神、そして主であるキリストを、賛美をもって迎える歌となった。それがローマにも5世紀末に伝わったというわけだ。もちろん、「主」も「あわれみ」も旧約聖書以来の聖書的な信仰のエッセンスが凝縮されている言葉だということは明らかだ。
問次郎……そういう経緯が、ラテン語の典礼でもギリシア語を残してきたというところに反映しているわけですね。
答五郎……他の賛歌もだいたいは、東方からローマや西方教会全般に入ってきているのだけれど、この歌だけがギリシア語として残っているのは、短い簡単なフレーズの繰り返しだからだろうね。だから、意味がわかっていれば、現代の日本でだって、キリストを賛美する定番の歌として原語のまま「キリエ・エレイソン……」と歌っていいということもいえるかもしれない。
問次郎……現代語にして「主よ、あわれんでください」としてしまうと、あまり賛美の響きが感じられませんね。
答五郎……「あわれみ」と「あわれんでください」でもずいぶん語感が違うしね。また、「あわれみ」が「いつくしみ」と訳される場合もある。いずれにしても、聖書的な神の特徴をずばり言い表すことばで、ミサの意味を知る上でもとても大切なことばだよ。次の栄光の賛歌でも出てくるし、引き続き考えていくことにしよう。
(つづく)
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)