ミサこそ最高の祭り
問次郎……巷はすっかり、クリスマス・モードですが、クリスマスという英語は、キリストのミサを意味するというのは本当ですか?
答五郎……たしかに今でもミサは英語でマスだ。そこで、キリストのミサの省略形がクリスマスと考えられているようだ。ただ、中世の英語に由来する元の言葉をみると、ドイツ語かとも思えるような状態だよ。実際にはクリスチャンのミサ、キリスト者のミサという意味の言葉だったらしい。
問次郎……でも、キリスト者のミサといったらどのミサもそうですよね。
答五郎……そうなんだ。ラテン語ではナティヴィタス。誕生祭という意味。ナティヴィタス・ドミニで主の誕生祭の意味。主の降誕と訳される。このラテン語から、フランス語のノエル、スペイン語のナビダッドという名前も生まれている。
問次郎……中世の英語では、どういう意味で、キリスト者のミサと言ったのでしょうね。
答五郎……たぶん、ここでのミサは、祭りといった意味なんじゃないかな。キリスト者が祝う典型的な祭りという意味、あるいはキリストのことを盛大に祝う祭りという意味だったのかもしれない。当時までタイムトラベルでもしなくてはわからないことだが。
問次郎……ミサがお祭りというと、ちょっと意外な気もします。日曜日ごとにそんなに頻繁にキリスト者は祭りをしているということになるのですよね。
答五郎……それは本当だよ、日曜日、つまり主日はいつもほんとは祭日で、ミサで祝うんだよ。
美沙……「わたしたちはいま、主イエスの死と復活を記念し、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンとぶどう酒の杯をささげます」という言葉が耳に留まっていますが……。
答五郎……よく聞きとどめていたね。それは奉献文というミサの中心の祈りの中ではっきりと唱えられてい
る。そのとおり、ミサはいつでも、主イエスの死と復活を記念してささげるものなんだ。
問次郎……ミサはいつも主イエスの死と復活を祝う祭りということになると、それは、クリスマスのミサでもそうなのですか。
答五郎……もちろん。ミサであるかぎり、いつも中心にはキリストの死と復活が祝われている。
問次郎……そうすると、ミサはいつもいわば復活祭なんですね。
答五郎……はは、言ってみればだがね。
問次郎……クリスマス、降誕祭のミサもやはり復活祭。混乱しそうですが、ミサってなるほど面白い、興味深いものだという気がしてきます。それをいうなら、ミサはいつもキリストの祭り、キリスト者の典型的な祭り、つまりクリスマス。ミサはいつもクリスマスだともいえませんか。
答五郎……はっはっは。英語の名前にこだわれば、そうもいえるかもしれない。クリスマスだからミサに行こうというような気持ちで、毎週のミサに行って祝えたらよいかもな。
美沙……毎週が復活祭、毎週がクリマスス、いずれにしても、ミサはキリスト教では大事だということを言おうとしているなら、それらの一見、意表をつく表現も理解できます。先日、ミサはキリスト自身だと言われたそうですね。
答五郎……うん、そんなふうに考えていきたいんだ。ところで、面白い話がある。ある人が、降誕祭とか復活祭とかキリスト教でいう二大祭日には、いったいどれだけ特別で盛大な式典が行われるのかと思って見直してみたらしい。すると、「なんだ、ただのミサか」と思ったらしいんだ。
問次郎……もっと、何かの儀式が盛りだくさんつまった大きな典礼を予想していたのでしょうか。
答五郎……たしかにほかの祝祭日には、枝の行列とか光の行列がミサの冒頭を彩る場合もある。また、洗礼式とか堅信式とか叙階式とか、別な大事な儀式が間に挟まれる場合もある。でも、全体はやはりあくまでミサだ。降誕祭も復活祭も、ここぞという意気込みでミサを祝うんだ。「ただのミサか」ではなく、「このときこそミサだ」という意識でね。
美沙……最高最大の祭りもミサ。すなわち、ミサこそが最高の祭りということなんですね。
答五郎……美沙さんの答えも最高だね(笑顔)。さて、そんな最高の祭りを主の降誕という日に味わってみよう。きょうは、三人でミサに行こうか。
二人……はい!
(つづく)