洗礼者ヨハネが活躍する季節


待降節(アドベント)の意味をもっと知りたいと思うとき、カトリック教会の日曜日(主日)のミサで読まれる聖書朗読の内容を無視するわけにはいかない。すると、一つ面白いことが見つかる。待降節の第2主日と第3主日の福音朗読では、洗礼者ヨハネが話題の中心になっているということである(カトリックの主日ミサの朗読配分は、A年、B年、C年という3年周期で構成されているが、このことはどの年も同じ)。待降節をクリスマス、つまりキリストの誕生を祝う準備の季節とだけ考えていると、ちょっと意表をつかれてしまう。

洗礼者ヨハネは荒れ野に現れ、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と告げ、人々にヨルダン川で洗礼を授けたことで注目される人物。やがて

15世紀末のビザンティン・イコンパリ ルーヴル美術館蔵 先駆者聖ヨハネ (東方教会では、洗礼者ヨハネははっきりと先駆者と呼ばれる。これは、神の召命に応えている図。ザロメの願いで斬られることになる自分の首が前に置か れ、受難が暗示されている。このことでも彼はイエスの先駆者である)

15世紀末のビザンティン・イコンパリ ルーヴル美術館蔵 先駆者聖ヨハネ(東方教会では、洗礼者ヨハネははっきりと先駆者と呼ばれる。これは、神の召命に応えている図。ザロメの願いで斬られることになる自分の首が前に置かれ、受難が暗示されている。このことでも彼はイエスの先駆者である)

イエスも彼から洗礼を受けて、独自に「神の国」を告げ知らせ始める。洗礼者ヨハネは、言うならば、イエスの公的デビューのきっかけとも弾みともなった人物、そしてイエスが救い主であることを「わたしよりも優れた方」と最初に証しした人物である。そんなイエス登場の先駆者としての活躍が待降節の第2主日、第3主日の福音朗読で語られていくのである。

待降節は、神の救いの完成を待ち望み、それに向けて「目を覚ましていなさ

い」という呼びかけ(待降節第1主日の福音朗読)とともに始まる。そのとたん、眼差しは一転、時を遡ってイエスの宣教活動の始まりに向かい、洗礼者ヨハネが思い出されていく。その後になって、いよいよ待降節第4主日からイエスの生涯そのものの始まり、つまり降誕をめぐるエピソードが展開されていく。そこでの中心はもちろんマリアやヨセフ、幼子イエス。おなじみのシーンとなる。クリスマスの福音や聖歌、絵画、馬屋の模型などを通して我々の心を強くとらえるのは、この聖家族の姿にちがいない。しかし、その前に、待降節が洗礼者ヨハネを、そのイエスの先駆者・最初の証人としての活躍を思い起こす季節でもあることを心に留めておきたい。

救いの歴史と教会の暦が味わい深く絡み合っている。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

eighteen + fifteen =