聖人伝2 トゥールのマルティヌス

これは、聖人をこよなく愛する姉・嘉島理華(かとう・りか)と、その弟・嘉島理貢(かとう・りく)と一緒に、聖人について学んでいくノベルゲームです。

 

【注意事項】

※パソコンでのプレイを推奨していますが、スマートフォンからプレイする場合は、全画面表示にすると見やすくなります。
※一文目が表示されるまで時間がかかることがあります。しばらくそのままでお待ちください。
※音が出ます。

 

【参考文献】
池田敏雄『聖人たちの生涯』中央出版社1967年、236-239頁。
ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』第四巻、前田敬作・今村孝訳(平凡社 2006年)、237-259頁。
印出忠夫「マルティヌス 〔トゥールの〕」上智大学新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』(KODオンライン版)。
H. G. J. Beck, “Martin of tours, ST.” New Catholic Encyclopedia 2nd Edition vol.9 (Detroit Gale, 2002) 220.
J. Fontaine, “Martin, hl.” Lexikon für Theologie und Kirche 3.Auflage 6 Bd, (Herder 1996) 1427-1428.
H. J. Thurston S.J., D. Attwater eds., “Bulter’s Lives of Saints: Complete Edition” vol. 4 (Texas Christian Classics 1956), 310-313.

(企画・構成=石原良明:聖書研究者/イラスト=高原夏希:AMOR編集部)

 


聖人伝1 セビリャのイシドルス

これは、聖人をこよなく愛する姉・嘉島理華(かとう・りか)と、その弟・嘉島理貢(かとう・りく)と一緒に、聖人について学んでいくノベルゲームです。

 

【注意事項】

※パソコンでのプレイを推奨していますが、スマートフォンからプレイする場合は、全画面表示にすると見やすくなります。
※一文目が表示されるまで時間がかかることがあります。しばらくそのままでお待ちください。
※音が出ます。

 

【参考文献】
池田敏雄『聖人たちの生涯』中央出版社、1967年、182-184頁。
小高毅「イシドルス〔セビリャの〕」上智大学新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』(KODオンライン版)。
上智大学中世思想研究所編『後期ラテン教父』中世思想原典集成第5巻(平凡社 1993年)505-599頁。
J. T. Crouch, “Isidore of Seville, ST.” New Catholic Encyclopedia 2nd Edition vol.7 (Detroit Gale, 2002) 602-605.
M. Ruf, “Isidor” Lexikon für Theologie und Kirche 3.Auflage 5 Bd, (Herder 1996) 618-620.

(企画・構成=石原良明:聖書研究者/イラスト=高原夏希:AMOR編集部)

 


第41回日本カトリック映画賞授賞式&上映会レポート

2017年5月20日、第41回日本カトリック映画賞授賞式&上映会(主催:SIGNIS JAPAN、後援:カトリック中央協議会広報)が、中野ZERO大ホール(東京都中野区)にて行われました。

1976年に始まった日本カトリック映画賞は、毎年、前々年の12月から前年の11月までに公開された日本映画の中で、カトリックの精神に合致する普遍的なテーマを描いた優秀な映画作品の監督に贈られます。今回の受賞作は、片渕須直監督『この世界の片隅に』(原作は、こうの史代さんによる同名の漫画)です。

受賞理由について、日本カトリック映画賞を選ぶSIGNIS JAPAN(カトリック・メディア協議会)の顧問司祭である晴佐久昌英神父は「今年ほどこんなに誇らしく、幸いな気持ちで受賞理由を述べるのもめずらしいくらいの大きな喜び、というくらい、この映画が大好きです」と話し、一番の受賞理由として、「最初に映画を観たとき、今という時間や生活、そして一人ひとりを大切にしなければと思いました。一人ひとりのうちに秘められた尊さをもっと大切にしたい。その気持ちを皆さんにも味わってほしい」との思いを語りました。さらに主人公のすず(CV:のん)が自分にとっては実在の人物で家族同然だと述べた上で、「この世界の片隅に誰が住んでいるのか。この世界の片隅に、どうでもいい人がいるわけではない。その人が幸せでなければ私も幸せになれない。この世界の片隅に幸せが訪れない限り、誰も幸せになれない。こんな当たり前なことにもう一度気付かせてくれた。わたしはこれからすずさんと一生いっしょに暮らしていくことになります」と熱く思い入れを語りました。

この映画が教えてくれる福音的なメッセージとして、「これらの小さなものの一人を軽んじないように気をつけなさい」(マタイ福音書18章10節)という言葉を引用し、「聖書の時代も今この現代も、この世界の片隅の一人ひとりが軽んじられている。しかしこの世界の片隅こそが、この宇宙の中心なんです」と話し、他者や弱者を大切にするまなざしや思いを新たにしてくれるこの映画への感謝を述べました。

 

授賞式の様子(土屋至・SIGNIS JAPAN会長より、表彰状が手渡される)

クリスマスみたいなのをやれるのが平和だと思う

晴佐久神父と片渕監督の対談は、「日本カトリック賞と聞いてどう思いましたか」という晴佐久神父の質問から始まりました。片渕監督は「そんな賞があるんだなと思った」と正直に答えましたが、実は家系がカトリックと縁があるとのこと。ひいおばあさんがカトリックの信者で、ご自身も教会に所属の幼稚園に通っていたそうです。

それを受けて、「冒頭で賛美歌が流れていたことと何か関係があるのですか」と晴佐久神父が聞くと、「そういうわけではなく、クリスマスのシーンを表現するために賛美歌を使った」ということです。原作は翌年の昭和9年の1月から始まっているため、このシーンはアニメオリジナルです。これについて監督は「クリスマスみたいなことをやれるのが平和なんじゃないかなと思って」と話しました。このクリスマスのシーンは非常に重要な意味を持っています。

 

理不尽さと救い

次に、晴佐久神父が「映画を観て、普段の生活が突然壊される恐ろしさや理不尽さ、機銃掃射(きじゅうそうしゃ、機関銃で敵をなぎ払うように射撃すること)のリアリティを感じました」と感想を述べると、監督は「本当は日常だけを描きたかったんです」と話しました。しかし、「原作はあえて戦争も描いているので、それによって日常のかけがえのなさや意味深さが見えてくると思った」と続けました。

また、「すずさんと晴美さんが歌を歌ってるところから始まって、それがラッパの音になって、それから大きな音が聞こえてきて、大砲の音が鳴って」というような戦争の描写についても、「音によって戦争が発展していくのは、漫画では表現できないこと」であり、色についてもそれが同じであると監督は言います。空が爆発しているシーンは非常に色とりどりで、晴佐久神父は「きれいだなと思っちゃった」と話しました。実際にお二人が戦争を体験した人から聞いた話には、赤く染まった空がきれいだったとか、B29がきらきらしていたという感想もあったそうです。

できあがった2時間の映画を通しで見たあとに、監督は「すずさんを救いきれていないような気がした」と感じたそうです。生き残ってしまった人が自分のせいで誰かが死んでしまったのではないか、と罪の意識に苛まれてしまう「サバイバーズ・ギルト」というものがあります。監督は、すずさんの背負ったものが大きすぎると感じ、エンドロールにもアニメーションを入れました。「あのエンドロールのおかげで、私たちも本当に救われた気持ちになる」と言う晴佐久神父に対して、監督は「本当にあそこまでそろって一本の映画なんじゃないかな」と応えました。ここもアニメオリジナルのものです。

 

片渕監督と召命

この映画によって救われたのは、すずさんや観客だけではありません。晴佐久神父が「監督のこの映画を作ろうと思ったモチベーションはすごいなと思いました。それはただのエゴや仕事を超えた何か、これはどうしても作らなければっていうような思いが自分の中にあったのではないかと思ったんですが、いかがですか」と尋ねると、監督は「一つはこれを作ることで、自分自身としても救われるんじゃないかなという気がしました」と答えています。

片渕須直監督(後ろは幸田和生・SIGNIS JAPAN顧問司教)

監督は原作を知ったときから、これは多くの人に観てもらえるものになると思っていたそうですが、「こういう映画を形にすることができるなら、自分が今まで生きてきたこと、経験してきたことが色んな意味でその映画の中で結実できるというか、自分がここまでやってきたことが無駄じゃなかったんだなという意識を抱けると思った」と続けました。

また、この映画を作るための資料集めが苦にならなかったという「オタク気質」な監督は、戦闘機や飛行機がお好きだそうで、その知識も豊富です。そのような積み重ねがこの映画につながっており、「このために僕は存在していたんだろうかって思ったくらい」だと話します。それに対して、晴佐久神父が「カトリックではそれを『召命』って呼ぶんですよ。神に選ばれて使われているんだって考えです」と言うと、監督は「誰かに使われているんじゃないのかなっていうふうな気持ちは本当にしました」と語ります。

 

どこにでも宿る愛

映画の最後のほうで流れる歌に、「どこにでも宿る愛」という歌詞が出てきます。「周作さんという旦那さんとすずさんは本当にたまたまの偶然みたいなもので出会ったかもしれないけれど、出会ったがゆえに愛情が芽生え、育っていくこともある」と監督は話し、「一番最後の広島で見つけてきた孤児ともたまたまの出会いなんですけど、そこに宿る、宿っている、育っていく愛があったろうなと思う」と続けました。

原作では、この言葉はすずさんの失われた右手の言葉として出てくるそうですが、「そういう意味では、悲劇は悲劇だけれども、決して悲劇で終わらず、失ったかに見えるものが非常に大きな働きをしている。希望になりますね」と晴佐久神父は話しました。

 

一人ひとりの大切さ

印象に残ったシーンとして、「群集のシーンが忘れられない。本当に一人ひとりが生きているというか、ちょっと駅ですれ違っているような人、ちょっとおしゃべりしているような人も、その一人ひとりにすずさんと同じ場面や人生というか、喜びや悲しみがあるんだなと思った」と語った晴佐久神父。それについて監督は、「自分は映画の中に存在している群集のほうかなって思ってしまうので、自分もここに存在しているから気にしといてね、という感じで」とコメント。

それを受け、晴佐久神父は「一人ひとりを大切にして作られている映画だなという気持ちになったし、僕らも自分中心で生きているけれども、ふっとすれ違った一人ひとりがとても尊い人生を生きているんだなと感じさせてくれた」と話しました。さらに、一人の司祭としてこの映画を選んでよかったことでも、「この作品の奥に一人の人間の美しさっていうものを私たちはきちんと見ることができる、表現することができる、そういう希望や励ましをもらったのが大きかった」と、動くすずさんに出会えたことの喜びを熱く語っていました。

 

晴佐久神父とアニメ

監督は幼稚園に上がる前からアニメーションを見始め、東映の長編アニメーションや鉄腕アトムというタイトルが出ると、同世代かもしれない、と晴佐久神父が反応(片渕監督は1960年、晴佐久神父は1957年生まれ)。さらには「映画を観ていてカット割りが本当にテンポよくって、こんなに観ていてゆったりしたほがらかな気持ちで観ていながら、よく見るとカット割りは本当に細かくきちんとつながれていてびっくりした」と話しており、受賞理由でも『君の名は。』に触れるなど、晴佐久神父はアニメーションにかなり詳しいようです。「カット割り」は映像関係の専門用語ですが、神父様の口からそんな言葉が出ることに少し驚きました。さすがはSIGNIS JAPANの顧問司祭。

晴佐久昌英神父

晴佐久神父が指摘したように、テンポが速いのには理由があります。原作の漫画は週刊連載でたくさんのエピソードから成っているのですが、それをできるだけ全部入れようとしたためにこのようなテンポになったそうです。晴佐久神父が「本当にテンポがぽんぽんと、もっと観ていたい、美しい絵なのに、あっという間に過ぎていく」と名残惜しそうに言うと、「すずさんのある一日を長く描いて、代表的な何日しか描かないという方法もあったのですが、すずさんがお嫁に来てからその先の丸二年間、こういう毎日があったんだよっていうことを紹介したかったんです」と監督は述べました。

そして、晴佐久神父が「ずーっと長く愛されますよ。『この世界の片隅に』以前以降って言われるくらい、大きな影響力を持っていて、特にこの年代(70代や80代、時には90歳を越えた方もいたようです)の方たちがアニメを観るっていう(のはなかなかないこと)」と絶賛すると、片渕監督は「そういうのは本当にありがたいなと」と述べ、続けて「アニメーションには色んな可能性がまだ秘められていると思っていますので、こういう映画も作れるし、また別のタイプのも作れるでしょう。色んなジャンルがアニメーションという技法で表現できるし、作られると思いますので、もしそういうのを見かけたときは是非ご覧になっていただけたらありがたいかなと」とアニメーションの可能性を語りました。

 

映画の見どころ

対談の様子

最後に、大切に観てほしいシーンを聞かれた監督は、意外にも「服」に注目してほしいと答えました。その理由を「すずさんは色んな服を着ているように見えますが、実はそんなに多くの数を持っているわけではない。小さいころにおばあちゃんがくれた椿の柄の着物や、お義姉さんモガ(モダンガール)だったんですね、と言っていたお義姉さんの服がどうなっていくのかというように、服の上にも歴史があるので、その服の運命を観てほしい。びっくりするくらいドラマチックです」と語りました。

最盛期よりは上映館数が減ったものの、今回のようなホールでの上映や、季節柄8月にも再上映の可能性があるとのこと。最後に、監督は「何度も観ることで、また違ったものが見えてくると思います。群集の一人ひとりに色と表情がついていて、世界の切れ端がこの映画の中にあります。画面の真ん中だけでなく、端っこにもたくさんのドラマが潜んでいるのかもしれません」と述べ、晴佐久神父が「画面の片隅にも注目ということですね」と締めくくりました。

(文:高原夏希、写真:石原良明/AMOR編集部)

 


『ローマ法王になる日まで』トークディスカッション付き特別上映会レポート

2017年4月27日、上智大学において、6月3日より公開される映画『ローマ法王になる日まで』のトークディスカッション付き特別上映会が開催されました。

上映終了後のトークディスカッションは「宗教対立やテロが頻発する現代に大きなメッセージ! 現在のローマ法王・フランシスコの半生から『平和な社会』を考える」と題し、本作の監督であるダニエーレ・ルケッティ氏、上智大学神学部教授でカトリックセンター長のホアン・アイダル神父、イエズス会日本管区長のレンゾ・デ・ルカ神父が登壇しました。二人の神父はアルゼンチン出身で、サン・ミゲルの神学校時代に、ローマ教皇フランシスコ(当時ベルゴリオ神父)から直接指導を受けています。

 

ダニエーレ・ルケッティ監督

バチカンと世界との間の壁に穴を開けた人物

まず、監督から二人の神父へ、二人の神父から監督へと、交互に質問が交わされました。ホアン・アイダル神父からは、「ヨーロッパ人から見た教皇とは、どんな印象ですか。南米人だなと感じるようなことはありますか。また、今までの教皇との違いなどあれば、教えてください」という質問がありました。

それに対して、ダニエーレ・ルケッティ監督は、「フランシスコ教皇は、ダイレクトな形で人々とコミュニケーションを取っているという印象があります。また、無宗教の人とも話をすることができる。このようなことによって、バチカンと世界との間の壁に穴を開けたと思います」と答えました。また、映画本編(つまり神父や補佐司教時代)の人物像についても、「人々のために有益なことをしようとした人だが、必ずしもヒロイックではない」と述べています。

アイダル神父も「自分の感情を抑えて人々のために、というのは素晴らしいことですが、自分自身の苦しみを生むものでもあったでしょう」と話し、「結び目を解(ほど)くマリアに出会ったことによって、初めて他人のことだけではなく、自分のことも考えていいと思えるようになったのでは」と続けました。この「結び目を解く聖母マリア」というのは、映画本編で非常に重要な意味を持っています。

 

ホアン・アイダル神父

教皇は右でも左でもなく、キリストの側にいる

次に、会場にいた学生からの質問へと移り、その中に「教皇はポピュリストなのですか」という質問がありました。ポピュリズムとは、「民衆の情緒的支持を基盤とする指導者が、国家主導により民族主義的政策を進める政治運動。1930年代以降の中南米諸国で展開された。民衆主義。人民主義」(『大辞林』第三版より)であり、政治的な意味を持っていますが、「ポピュリストが組織や国(の利益)よりも人を大切にする、という意味であれば、そうでしょう」とアイダル神父は答えました。ルケッティ監督は「貧しい人のいる地区に実際に赴くという活動は、あまりヨーロッパの教会ではやっていないように思われます。アルゼンチンでは、政治の力が及ばないことも教会がやっている」と貧しい人を助けるベルゴリオ神父の姿を賞賛しました。

また、映画の中でベルゴリオ神父が「あなたはどちら側の人間か」と聞かれる場面が二度あるのですが、一度目は「そんなことに意味はない」、二度目は「キリストの側にいる」と答えています。これについて、アイダル神父は「教皇は自分がどう見られるかを嫌い、あまりそういうこと(右か左か)を考えていない。それは見る側の問題であって、教皇は右でも左でもないと思います」とコメント。さらに、「枢機卿時代は保守的だったと言われますが、それにも理由があります」と述べ、「政治家がカトリックだと言いつつ、その精神に反するようなことを行なっていたので、彼は真に教会を守る立場にありました」と続けました。

 

レンゾ・デ・ルカ神父

「平和な社会」をめざして

最後に、司会者から「宗教対立やテロが頻発している現代社会において、ローマ教皇の役割や存在はどんな意味を持つと思いますか」というトークディスカッションのテーマに関する質問がありました。

ルケッティ監督は無宗教だそうですが、「宗教は平和をもたらすことができるものだと思います。そしてそれは、自分の宗教の外に対してもそうであってほしい。文化的スペースを広くし、対話を多く持ってほしい」と宗教間対話、あるいは無宗教の人たちとの対話、そして平和についての希望を述べました。

ルカ神父は「教皇はリーダーとしての存在感が非常に大きいです。現代はリーダーに対する不信が見られるので(教皇には期待できる)」と述べ、アイダル神父は「世界を変えたいという思いはどんなリーダーも同じだと思いますが、それぞれ方法が違います。教皇は暴力ではなく、ゆるしや他者中心ということを大切にします。私たちはそんな教皇に希望を持っています」としめくくりました。

 

上映会・トークディスカッションを終えて

リーダーが変わるとき、人は大いに期待します。しかし、その期待がすぐに落胆に変わってしまうことも少なくありません。ところが、教皇フランシスコは、就任から現在までその人気や期待、信頼を持続しているように思われます。それはやはり、教皇にそれだけの実績があるからでしょう。多くの人々とダイレクトに触れ合うことをはじめ、アメリカとキューバの国交正常化交渉の仲介、ロシア正教会モスクワ総主教との歴史的な対話、アメリカと北朝鮮との対話の呼びかけなど、自ら平和のために精力的に働き、カトリック信徒だけではなく世界に大きな影響を与えています。

しかし、この映画の中のベルゴリオ神父は「必ずしもヒロイックではない」のです。ヒーローのようにカッコよくスマートに物事を解決できればよいのですが、現実はもっと複雑で難しく、それこそ「結び目」がたくさんあります。右か左かではなく、「キリストの側にいる」という立場はシンプルではありますが、いざ実際に行動しようとするとなかなか思うようにいかず、政府ばかりか教会内の様々な立場との間で板挟みになって苦しむことになります。

それは、管区長や補佐司教としての責任感や、仲間や友人などより多くの人を助けたいという気持ちが強くあったからでしょう。何より、カトリックのキリスト者としてふるまおうとしたがゆえに、そのような困難に直面していたのだと思います。そして、それが真に平和を作る人間を形づくったのではないでしょうか。

教皇は現在も世界中に存在する「結び目」を解くために奔走しています。すべての人が教皇のように大きな行動を取れるわけではありませんが、人知れず行なわれた小さなことも、身近な誰かの「結び目」を解いているかもしれません。それを多くの人の目に見える形で行なっているのがフランシスコ教皇であり、だからこそ人々は教皇に大きな希望を持っているのだと思います。

(文:高原夏希、写真:石原良明/AMOR編集部)

 

【登壇者プロフィール】

ダニエーレ・ルケッティ監督
1960年ローマ生まれ。友人のナンニ・モレッティが監督した『僕のビアンカ』(83)にエキストラ出演後、同監督作品で助監督、俳優として関わる。CM制作を経て、映画デビュー間もないマルゲリータ・ブイを起用した長編『イタリア不思議旅』(88)でデビュー、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀新人監督賞を受賞、第41回カンヌ映画祭<あ る視点>部門ノミネートされた。代表作は、エリオ・ジェルマーノにカンヌ国際映画祭の男優賞をもたらした『我らの生活』(10)。他に東京国際映画祭で上映された監督の自伝的作品『ハッピー・イヤーズ』(13)など、コンスタントに作品を発表しているイタリアの名匠である。

ホアン・アイダル神父:上智大学神学部教授・カトリックセンター長
1965年生まれ、アルゼンチン出身のイエズス会員。現ローマ法王フランシスコ(当時ベルゴリオ神父)が1980-86年にかけて院長をつとめたサン・ミゲル神学校神学科・哲学科にて通算4年間直接指導を受ける。

レンゾ・デ・ルカ神父:イエズス会日本管区長
1963年アルゼンチン生まれ、1981年イエズス会へ入会。サン・ミゲルの神学院時代、現ローマ法王フランシスコ(当時ベルゴリオ神父)に3年間直接指導を受ける。1985年来日。上智大で日本語、哲学、神学を学び、長崎に派遣され1997年より日本二十六聖人記念館副館長を務める。2004年より日本二十六聖人記念館館長を務め、キリシタン歴史研究に貢献。2017年よりイエズス会日本管区長。

※本記事ではカトリック中央協議会の方針に従い、作品名などを除いては「法王」ではなく「教皇」という表記で統一させていただきました。

 


『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

人は誰でも、癒えない傷や忘れられない痛みを持っている――そんなことを考えさせられる映画に出会いました。それが『マンチェスター・バイ・ザ・シー』です。

この映画は、第89回(2017年)アカデミー賞で主演男優賞と脚本賞を受賞しました。マンチェスターといってもイギリスではなく、アメリカのマサチューセッツ州に「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という町があり、本作はそこが舞台となっています。

© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

ボストン郊外で便利屋として働く主人公のリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)は、兄のジョー(カイル・チャンドラー)の死をきっかけに、昔住んでいたマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻り、甥のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人として一緒に暮らしながら、自分の過去と向き合っていきます。

ここからわかるように、この物語では「過去」が重要なカギを握っているのですが、その「過去」の見せ方が実に秀逸です。というのも、回想シーンというのはどこかでまとまって描かれるというパターンが多いですが、この映画ではそうではありません。

運転しているとき、テレビを見ているとき、海を見たときなど、ふとした瞬間に過去の記憶を思い出しては消えていく、というように、回想のタイミングに非常にリアリティーがあります。その過去はどれも幸せそうで微笑ましく思える反面、こんなリーにこれからどんなことが起こるんだろう、という不安も湧き上がります。

© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

また、過去の出来事もすべて明かされるわけではありません。もちろん、最も重要な出来事は判明しますし、現在のシーンから、こんなことがあったんだろうなという推測もできます。過去を描かないということによって、実はその部分こそがリーにとって一番の「癒えない傷」や「忘れられない痛み」なのではないか、と感じました。

このほかにも、説明やセリフが少ないシーンがしばしばあり、その余白をどう埋めるか想像するのも一つの醍醐味です。皆さんも是非劇場でご覧になって、余白に想像を働かせてみてはいかがでしょうか。そしてそれは、まるで本当に実在しているかのようにリアリティーのある登場人物たちの「癒えない傷」や「忘れられない痛み」に寄りそうことなのかもしれません。

(高原夏希/AMOR編集部)

 

2017年5月13日(土)よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー

原題:Manchester by the Sea

監督・脚本:ケネス・ロナーガン/出演:ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズ、カイル・チャンドラー、ルーカス・ヘッジズ、カーラ・ヘイワード

2016年/アメリカ/137分© 2016 K Films Manchester LLC. All Rights Reserved.

ユニバーサル作品/配給:ビターズ・エンド、パルコ

公式サイト :http://www.manchesterbythesea.jp/