スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 26

2回目のエル・カミーノを振り返って

古谷章・古谷雅子

<昨年との違い>

昨年(2015年)に続いてのエル・カミーノだったが、昨年と異なることが2つあった。それは今年は歩くのにちょうど良い気候だったことと、昨年に比べて他の巡礼者と接する機会が多かったことだ。

7月に歩いた昨年は連日暑くて、バルや出店で休むたびにコーラを飲んだりしたものだ。しかし、今回は1日歩いても2人で水筒の水を500ccからせいぜい1Lを飲む程度ですんだ。昨年は日焼け対策を考えた雅子以外は、毎日半袖シャツだけで行動した。しかし9月になると半袖だけでは過ごせないことがほとんどで長袖が常に必要だったし、風除けや防寒のためにも雨具を着ることも多かった。昨年の経験から衣類をほとんど過不足なく持って行ったのだが、しいて言えば章の場合は長袖を1枚ではなく2枚持って行くべきだったかと思う。そして、昨年はほとんど使わなかった夏用のシュラフもホテル以外では毎日使った。

また、昨年は学生の夏休み中ということもあったが、今回はゴールのサンティアゴから離れた区間だったので、歩いている巡礼者の絶対数は昨年よりも少なかった。そのため、同じメンバーと道中で何度も行き会うことになり、お互いにすっかり「顔なじみ」になった。その上、全体として素朴な「田舎」であり、泊まった町にはレストランがないか1軒だけのことが多く、アルベルゲかレストランで巡礼者が一緒に食事をする機会も多くなった。私たちも2人だけだったこともあり、必然的に共通語ともいえる英語で周囲の人たちとしゃべりながらの夕食となった。いろいろな国から来た巡礼者と他愛のない話をすることは楽しく面白い経験ではあった。しかし、これが連日となると結構疲れるものがあった。

荷物は昨年の学習成果で無駄なものはなく、雅子は6kg、章は8kg程度だったが、去年と違ってコース上にほとんど店がない(=小さな村しかない)ので行動食を常に携行する必要があった。

 

<一日の行程>

出発前には一日の行程を短くしてのんびりと歩くつもりだった。しかし、歩き始めてみると体調が良かったこともあるが、気候も歩くにはちょうど良く、昼ごろについて町中をよく見ようとした大きな町に到着する日以外は30km近く歩くことが多くなった。

なお、各記事の<行程>に記してあるキロ数はミシュランのガイドブック“Camino de Santiago”をもとにした数字だ。実際には道を間違えて余計に歩いたり、寄り道をしたこともあるのでもっと多い。

 

<かかった費用>

マドリッドに着いてから巡礼終了後にブルゴスからマドリッドに戻るまで、15日間の総費用は2人で1,100€余りだった。その後、マドリッドに数日滞在して小旅行等をしたが、その費用は約750€だった。それに東京~マドリッドの往復航空運賃、1人11万円余を加えると、2人分総計で44万円ほどになるが、巡礼路を歩いただけで帰ってくれば約35万円ですんだことになる(1€=116~120円、当時のレート)。

巡礼中に泊まったアルベルゲのドミトリーは1人6~12€で、アルベルゲやホテルでツインルームに泊まっても2人(1室)で35~44€だった。

かつてのアルベルゲは公営か教会や修道院に付属するものが中心で、2段ベッドの並ぶドミトリー形式が一般的だった。しかし、最近は民営のもの、それもホテルやレストランが併設するものが増えてきていて、それらは2人部屋や4人部屋などの個室も設置されている場合が多い。ドミトリーの方が安いのはもちろんだが、個室だからとべらぼうに高いわけではない。連日プライバシーのない生活は疲れるので、時には個室に泊まる方が精神衛生上よいし、疲れもとれる。

巡礼路上での朝食は、バルでコーヒーとサンドイッチ程度を食べて1人当たり3~5€。行動食のパンや果物なども日本よりずっと安く買えた。一日の行動を終えた後、バルでカーニャやビノを飲みながらケソ(チーズ)やハモン(ハム)を食べても2人で10€とかからない。夕食は「メヌ」という、いわゆる定食がビノもついて1人前でせいぜい10€だった。

最低限必要な経費である宿泊費と食費が日本と比べて格段に安いのはありがたかった。

 

<これからどうする>

なぜクリスチャンの巡礼路エル・カミーノへ?という自分も含めての疑問に対する答えは、もういらないような気がする。救いを求めて純粋に宗教的な動機で歩いている人(巡礼)には今やめったに出会わない。かといって、単なるスポーツやレクリエーションではない。あえて言えば「歩く」という行為がそれ自体快楽や意味のある行為であり、それが最も単純にお膳立てされていて、しかも豊かな背景や時間の重みの中で確実に享受できるからだ。ボナッティを気取って垂直から水平へ、と言えるレベルでは元よりないが、昔のように登れなくなった今、新たな楽しみがあることにうれしさを感じる。

昨年は広瀬氏におんぶにだっこの上、4人だったので主体性なく歩いたが、今年はスペイン語のほとんどできない2人だけだったので、苦労もあるだけよく見えたものもあった。昨年の行程では、英語がよく通じたのだが、今回はホテルでも(安いところのせいもあったかもしれないが)、英語が通じず、書いたり「顔語」を駆使してようやく話をつけたり、誤解のまま料理が出てきたり、けっこう笑えるシーンもあった。地方の違いも面白かった。バスクやリオハでは美味しいものが多かった。今思い出すだけでも、ホワイトアスパラガス、キノコ、ピメントス、豆の煮込みなど、地方の味付けで忘れられないものがある。

これでエル・カミーノのフレンチ・ルート全800kmのうち最初と最後の計600kmを歩いたことになる。あとは今回の終点ブルゴスから昨年の始点レオンまでの200kmを残すだけとなった。

今回はどれぐらい歩けるか不明だったので(体調や天気等の不確定要素次第で予備日を使うことも勘案し)、ブルゴスを最終地とし、余った日数は観光することを最初から決めていた。しかし余裕をもって行程を終えたので、もう数日あればレオンまで歩けたと思う。ただ、これくらいずつ分けて歩いたことによって味わいも出るのではないか。昨年は11日間、今年は12日間の歩きだった。これ以上長く歩くのはかえってほどよい緊張感を欠き、むしろ感激を得られないのではないかとも思う。

しかし、残された区間は変化に乏しいメセタの大地で、行程中最も退屈な部分と言われている。まずいところを残してしまったという感もする。

次の機会には季節を変えて春に歩いてみるか、それとも「北の道」など他にもルートはいくつかあるのでそちらに行ってみるか。悩むところではある。

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 25

古谷章・古谷雅子

9月26日(月)第12日目 晴 <行程15.0km/累計292km>

カルデニュエラ・リオピコ~ブルゴス

いよいよ最後のブルゴス到着の日だ。朝食を食べられるはずの7時に階下のバルに行ったがまだ開いておらず、他にも数人がドアの外で座り込んで待っていた。寝坊したらしい不機嫌な顔をしたマダムが遅れて出て来て、コーヒーとトースト程度の軽い朝食を食べた。

ブルゴスの大聖堂

ブルゴスに近づくと国道沿いの「無味乾燥な道」と、古い村々を通過する道とに分岐するとのことだったので、「無味乾燥な道」を避けたいと考えていた。しかし、平坦な道を調子よく歩いているうちに分岐を見落としてしまい、飛行場脇から国道に続く道に入ってしまった。引き返すほどのこともないのでそのままブルゴスを目指すことにした。

ブルゴス郊外の町、ビジャフリアは新しく開発したらしい広い工場地帯となっていて、たくさんの工場が並んでいた。これまで田舎道ばかり歩いてきた後だけに新しい市街地を通ってみるのも新鮮な驚きがある。その中にブリジストンの大きな工場があった。厳重な金網越しに見る敷地内の芝生はきれいに刈られてごみ一つ落ちていない。建物には落書きもないし、窓ガラスもきれいに磨かれている。日本ならごく普通のことだが、ここスペインの工場では見たこともない極めて珍しい光景だ。

ブルゴスは大都会だけあって、入口にある町の看板を見てから1時間以上かかってようやく町の中心地に着いた。さっそく一昨日にあらかじめブッキングコムから予約しておいた Hotel Alda Entrearcos に行った。チェックインの時刻まで間があるので、荷物を預けてカフェに入った。今回予定していたエル・カミーノの全行程が終了したことを祝って、クレープや名物の血入りソーセージをつまみにカーニャを飲んだ。

ブルゴス名物「血のソーセージ」

その後、スペイン三大聖堂の一つで世界遺産でもあるカセドラルに行った。入場料は7€だが、巡礼手帳を見せると半額になった。入ってみるとまさに壮麗にして壮大だ。13世紀に着工して16世紀に完成したというカセドラルは、内部だけでなくファサードやバットレス、それに塔などのデザインを見るととてもユニークな部分があり、感動というより驚いた。そして、かのガウディーは決して突然変異的に現れた天才ではなく、スペインの歴史の中から必然的に生み出された存在なのだと納得した。ブルゴス城址からの眺望も徒歩旅の締め括りらしい素晴らしいものだった。

カルデニュエラ・リオピコ 7:50 ~ ビジャフリア 8:55 ~ ブルゴス入口 9:35 ~ ブルゴス 10:45

 

9月27日(火)~10月3日(月)

ブルゴスでのんびりした後、翌27日にバスでマドリッドに戻った。予定より早く歩き終えたので帰国までの日程に4日間の余裕ができた。そこでマドリッドから近い、城壁で有名なアビラ、「宙づりの家」のある古都クエンカ、それにローマの水道橋で有名なセゴビアに28日から30日までの連日、鉄道かバスで各々往復した。一見効率は悪いが、それらの町を互いに結ぶ交通の便が乏しいので、マドリッドからの往復をせざるを得ないのだ。また10月1日は昨年に続きプラド美術館をほぼ終日費やして観て回った。

2日の夕方、バラハス空港からまたドーハ乗継のカタール航空の便に乗り、3日の夜遅く羽田空港に到着した。

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 24

古谷章・古谷雅子

9月25日(日)第11日目 晴 <行程24.5km/累計277.0km>

ビジャフランカ・モンテ・デ・オカ~カルデニュエラ・リオピコ

行く手にサン・ファン・デ・オルテガが望める

6時過ぎに出発したが、真っ暗な中の山道の登りなのでゆっくりと慎重に歩いた。かつては山越えの難所だったそうだが、近年は道がよくなったので1時間でバルブエナ峠に着くことができた。峠にはフランコの時代の犠牲者の慰霊碑が建っていたが、まだ暗いのでよく見ることができなかったのは残念だった。

その後の下り道は舗装こそしていないが、幅が20mはあろうかというほどに広くて不思議だった。そのあちこちに路上に小石を並べたメッセージや、木の枝には輪切りにした木の断面にメッセージを書いた絵馬のようなオーナメントがぶら下がっていた。そして、アカマツやミズナラの林が続いているところをどんどん下った。

山道を下りきり、サン・ファン・デ・オルテガに着いたところで、バルに入って朝食にした。その後も下り気味の道を順調に歩いて先史時代の遺跡のあることで有名なアタプエルタに着いた。この町の教会は町はずれの丘の上にあり、行ってみると眺めの良いところだった。スペインの教会は町の中心にあることが多いのだが、ここは希なケースなのだろうか。

アタプエルタを目指す

マタグランデという小さな丘を登り切ると大きな十字架が立っていて、その先には広大なカスティージャ平原が望めた。そこからだらだらと下っていくと宿泊予定地のカルデニュエラ・リオピコに着いた。とても小さな村だ。

ここでも2人部屋があるはずのアルベルゲにまず行ってみると、またDらの一行が占領していた。しかし、すぐ近くにあったバルとレストランに併設の Santa Fe というアルベルゲにもトイレとシャワー付きの2人部屋があり、結果としてはずっと快適だった。

洗濯などを済ませてからバルでカウンター上のタダのオリーブなどをつまみにカーニャを飲んでいると、単独行動の日本人女性が話しかけてきた。彼女は別のルートである「北の道」を歩いてきたそうだ。この人には、今回の終点のブルゴスのバスターミナルでまた出会った。「北の道」の良さをいろいろ話してくれた。

丘の上の大きな十字架

7時の夕食時間になったので階下のレストランに行くと他の泊り客は皆予約をしてあったそうで、食事にありつけないのかと一瞬焦ったが、メインが肉団子なら大丈夫とのことでホッとした。大テーブルの食事で米、豪、独、伊、西などの各国人でにぎやかに食べた。中でもイタリア人とスペイン人がそれぞれの母国語で喋っているのにお互いに通じていることに感心した。田舎なので夕食のスタート時刻は早かったが、2時間もかけての社交会話にはちょっと疲れた。

ビジャフランカ・モンテ・デ・オカ 6:05 ~ バルブエナ峠 7:05 ~ サン・ファン・デ・オルテガ 9:10/40 ~ アタプエルタ 10:50/11:05 ~ マタグランデ 11:35/40 ~ カルデニュエラ・リオピコ 12:25

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 23

古谷章・古谷雅子

9月24日(木)第10日目 曇のち晴 <行程28.5km/累計252.5km>

グラニョン~ビジャフランカ・モンテ・デ・オカ

6時前から起きてアルベルゲの朝食。食堂に飲み物やパン、コーンフレークスなどが用意されていたのでたくさん食べ、行動用のサンドイッチも作ってから出発した。

起床時は三日月と星が美しく見られたが、間もなく雲が厚くなってきた。真っ暗な中で道を見失ってしまったが、15分余りのロスでリカバーできた。道は平坦なので歩くのは楽だが、ガスがかかって日の出は見えず、雨の降りそうな空模様だ。

道端には道標も整備されている

いつの間にかリオハ州を出てカスティージャ・イ・レオン州に入った。途中いくつかの小さな村を通過して、3時間近く歩いたビジャマジョール・デル・リオで休憩し、持参のサンドイッチを食べた。

ベロラドでは最近世界遺産に登録されたサンタ・マリア教会の前で一休みした。するとアルベルゲやホテルなどを回って荷物を集めているワゴン車が通った。それを次の宿泊地に届けるのだ。このサービスを利用している巡礼者も結構いるようだった。背負っている荷物が小さいのですぐにそれとわかる。

相変わらずアップダウンの乏しい道を歩き、いくつかの小さな村を通過するうちにビジャフランカ・モンテ・デ・オカに着いた。公営のアルベルゲはドミトリーだけなので、その先にあるホテルに併設されているアルベルゲ、San Anton Abado に行ってみた。ここなら2人部屋があるはずだからだ。しかし、数の少ない個室はすでに満室で、ホテルも予約でいっぱいとのことだった。やはりカナダ人Dの仕切る一行の先に到着した者が仲間の分まで個室を確保してしまったようだ。久しぶりに個室に泊まりたかっただけに実に腹立たしかった。しかし、2段ベッドが14台もある広いドミトリーの宿泊者が数人しかいないうえ、清潔だったので結果的には安く快適に過ごせた。

快適だったアルベルゲのドミトリー

この町はこの先のバルブエナという峠越えの手前にあるので多くの巡礼者が泊まるところだ。そのため他にも宿泊施設はあったが、どれも個室はないような小さな施設だった。

早く着いたので敷地内のバルでカーニャを飲んだ。飲み物を注文すればカウンター上のおつまみ食べ放題、という古き良きスペイン式のバルだった。

夕食は7時からホテルのレストランで食べた。アルベルゲの宿泊者だけでなくホテルの宿泊者も一緒に食べるので、いつものような半ズボンにゴム草履というラフな服装ではなく、ズボンと靴を履いて行ったが、これは正解だった。しかも安い(12€)のに非常に繊細で美味しかった。

グラニョン 6:30 ~ ビジャマジョール・デル・リオ 9:15/25 ~ ベロラド 10:20/30 ~ ビジャビスティア 11:55/12:15 ~ ビジャフランカ・モンテ・デ・オカ 1:20

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 22

古谷章・古谷雅子

9月23日(金)第9日目 曇のち晴 <行程27.5km/累計224.0km>

ナヘラ~グラニョン

ゆるいアップダウンの続く平原

朝は昨日買っておいたバナナをアルベルゲの食堂で食べてから出発。暗い中を順調に歩いてアソフラに着いた。この村のバルで休んでいると、ここまでですっかりなじみになった何人かと出会った。大体同じ行程の健脚な顔ぶれだ。町はずれに世界遺産でもあるユソとスソの修道院に迂回するルートとの分岐があるのだが、そちらの標識はあまり詳しくなさそうだったので、安全策を取って「本ルート」を行くことにした。

どんよりとした天気で陽も射さないのだが、あまり暑くならないのはありがたい。遥か彼方まで緩いアップダウンの道が延々と続く。周囲のぶどう畑は減ってきた感じがする。しかし、ところどころに大きな醸造所が見られた。今日はなぜか大勢が前後して歩いているように感じられた。こうなると用を足すのに苦労する。

グラニョンの近くで会った羊飼いと羊の群れ

丘の上にあるゴルフ場と開発に失敗した殆ど人の住んでいないゴーストタウンのような巨大なリゾートタウンを通った。サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダという教会を中心にした古い村で一休みしたのちに、今日の宿泊予定地である丘の上の村、グラニョンに着いた。スペインでは川沿いに拓けた町(村)と丘の上にできたそれの2種類があるようだ。

この村には教会に付属のアルベルゲもあるのだが、そこは宿泊者全員で食事を作って食べることになっているということなので敬遠して、近くにある Ave de Paso というアルベルゲに行ってみた。すると受付時刻の1時半になってもだれもおらず、数人が並んで待っていたのでその列に並ぶことにした。管理人が遅れて来て受付をしたが、定員10人のところの最後の2人分を確保できた。

泊まった小さな村、グラニョン

ここは本当に小さな村でレストランもないようだが、夕食と朝食を申し込んでおいてアルベルゲで食べることが出来た。これまで何度も顔を合わせてきた同年代のイギリス人女性と3人だけで、原爆のことや戦後処理の話などそれなりに話が弾んだ。

一方、他の宿泊者は皆で自炊。そしてこれを仕切っていたのがカナダ人のDという男で、人をその都度集めて誰かに先行させアルベルゲの部屋を先に確保させるなど、なにやら怪しげな人物だ。アルベルゲは基本的に着いた順ということになっているのに、同じグループだと言って着いていない者のベッドを確保してしまうのだ(手数料稼ぎ?)。私たちは近寄らないようにした。

ナヘラ 6:30 ~ アフソラ 7:50/8:20 ~ サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ 11:40/12:00 ~ グラニョン 1:30


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 21

古谷章・古谷雅子

9月22日(木)第8日目 晴 <行程31.0km/累計196.5km>

ログローニョ~ナヘラ

6時前に食堂に行きセルフサービスの朝食。パンやバター、コーヒーやジュースなどたくさん用意されていて久しぶりに出発前に腹いっぱい食べた。

もちろん無料とはいえ「一宿一飯の恩義」に報いるためにドナティーボ(寄進)をした。いくらにすべきか迷ったが、2人分で10€を払うことにした。ロビーに置いてある箱に入れるようになっているので貯金箱のように穴から入れるのかと思ったら、穴はなくてふたを開けて入れるようになっていた。つまり箱の中から寄進された金を持って行ってしまうこともできるようになっていたのでその鷹揚さに感心した。ふたを開けると20€紙幣と5€紙幣が1枚ずつ入っていて、あとはコインばかりだった。

今日も一面のぶどう畑の中を歩く

まだ暗い中を歩き始めたので町を出る道を間違えてしまい、15分以上のロスをしてしまった。大きな町の出入りには注意が必要だ。コースに戻ると郊外にある貯水池とその周辺に広がる大きな公園になっていた。バーベキュー用のかまどやベンチ、テーブルだけでなく、ごみ箱もたくさんあるのだが、トイレがないのは理解に苦しむところだ。このことはエル・カミーノ全体を通しても痛感したことだが、ほとんどどこにも公衆トイレというものがないのだ。だからちょっとした隠れ場所には必ず用を足した後の紙が捨てられていた。

昨日に続き、あたり一面はぶどう畑だ。ビノの加工用のぶどうのはずだが、こっそりと一粒つまんで食べてみると甘くておいしかった。ナバラッテでバルに入った後は暖かくなってきたので長袖シャツを脱いだ。今回初めての半そでシャツでの行動になった。

ベントーサを過ぎ、サン・アントン峠を越えた。峠の展望台には目指すナヘラ方面の写真入りの説明板があった。それには実際にはある高速道路や電波塔が写っていなかったので、最近インフラ整備が急速に進んでいるのかと推測できた。

サン・アントン峠からの眺め

今日は長丁場だったが、順調に歩いてナヘラに到着した。ナヘラはかつてナバーラ王国の首都だったという川沿いの町だが、町のすぐ脇まで赤っぽい岩の壁が迫っている独特の光景だ。観光客も多い。途中で看板を見かけた2人部屋のあるアルベルゲに行ってみたが、すでに満室とのことで町外れにある静かそうなアルベルゲ、Nido de Ciguena の8人部屋のドミトリーに泊まることにした。

昨年は夏の盛りで洗濯物はすぐ乾いたが、今回はそうもいかず、ザックに吊るしながら歩くときもあった。ここは洗濯設備が整っていて5€で洗濯から乾燥までしてくれるので、その時に着ていたもの以外はすべて洗濯することができた。

川沿いにあったガリシア料理を出すバルで、昨年味わっておいしかったプルポ(タコ)を食べた。

ログローニョ 6:40 ~ ナバラッテ 9:40/10:05 ~ ベントーサ 11:35/55 ~ サン・アントン峠展望台 12:15 ~ ナヘラ 2:15

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 20

古谷章・古谷雅子

9月21日(水)第7日目 晴 <行程20.4km/累計165.5km>

トレス・デル・リオ~ログローニョ

松林の中を歩いてログローニョを目指す

6時ころから周りが動き出して落ち着かないので、予定より早く起きてしまって出発。8時ころに東の空が明るくなったが、行く手の西にある盆地は薄くガスがかかり展望はイマイチだ。今日の行程は短いのでビアナで入ったバルで小一時間ものんびりとしたが、下り基調なので他ではほとんど休まずにリオハ州の州都、ログローニョを目指した。ビノの産地として有名なリオハ州だけあって両側にはぶどう畑が広がっている。ログローニョが近づくと道は気持ちの良い松林の中に入った。

ログローニョの手前で若い神父(?)が2人いて、テーブルを出して巡礼手帳にスタンプを押してくれていた。町の祭のことを尋ねると、祭の期間中に限り町の中のサンティアゴ教会では無料で泊めてくれ(先着順)、食事も出されるとのことだった。今日はホテルかペンションに泊まってくつろぐつもりだったのだが、エル・カミーノの象徴である「白馬にまたがるモーロ人殺しの聖ヤコブのレリーフ」に飾られた由緒あるカセドラルに泊まれるとは千載一遇の機会なのでそこを目指すことにした。このレリーフはガイドブックなどでしばしば目にする。サンティアゴとはサント・イアーゴすなわち聖イアーゴ(聖ヤコブ)。英語やフランス語ではサン・ジャック。このサンティアゴ教会の正面外壁のレリーフはスラムとの戦いで守護聖人となった聖ヤコブをたたえるものだ。イスラム教世界とキリスト教世界の相剋の歴史は長いものだ。

泊めてもらったサンティアゴ教会

町には12時過ぎについてしまったが、教会は1時まで開かないのでドアの前で行動食を食べながら待つことにした。待っている私たちを見かねたか、1時前に入れることになった。宿泊は20枚以上のマットを敷かれた大広間か、2段ベッドがぎっちりと並んだ部屋のどちらかを選べた。普段は会議室のような部屋だ。迷うことなく大広間のマットで寝ることにしたのだが、こちらを選んだのは私たちのほかには韓国人青年2人と西洋人が2人だけだった。

ほとんどの西洋人たちは皆2段ベッドの方に行ってしまった。床に寝るよりも狭苦しくて満員の部屋でもやはりベッドが良いのだろうか。臨時の宿泊施設とはいえ、いろいろなイベントで開放されるらしく、シャワーや食堂、電気のソケット等、よく整っていて快適に過ごせた。

たまった洗濯をしてから再び街に出た。リオハのビノはスペインでも特に質のよいものだそうだ。収穫祭の町はそこかしこで楽隊が演奏しているなど、にぎやか、というより喧騒の坩堝(るつぼ)だ。老若男女、仮装した人や着飾った人、とにかくものすごい人出で、バルのテラス席を確保するのも大変だった。バルだけでなく、地域の人たちが出店している模擬店でもビノを飲んだりタパスを食べて祭の気分を味わった。

サンティアゴ教会のドミトリー

教会に戻って夕食の準備を手伝った後、ミサに参加した。にわかカソリックとしては勝手がわからず、神父さんに叱られるなど作法に苦労した。

そして町の喧騒をよそに教会の食堂で質素な夕食(サラダ、パン、ひよこ豆とベーコン等の煮込み、果物)。この時出されたビノは辛くてまずかった。スペイン滞在中ただ一度だけ、お代わりをもらう気にならないビノだった。しかし、さすがに欧米人の社交精神は大したもので、共通語である英語は拙くても会話は弾んだ。フランス北部から来たという若者は8月はじめに家から歩き始めたそうで、巡礼手帳も2冊目、四国にも来てみたいそうだ。

デザートにスイカが出たが、塩を振っていると近くに座っていたドイツ人のおばさんが騒ぎ出した。彼女にとって理解できないことだったらしい。隣にいた韓国人青年が「塩をかけると甘みが引き立つので韓国でもそうする」と言ったので、向かいのフランス人が塩をかけて食べてみたが、やはり口に合わないという表情をした。それを見た件のおばさんは、それ見たことかと言わんばかりに馬鹿にしたような顔をしてぶつぶつ言っていたので「これが日本の常識だ」と言って皆を笑わせて終わりにした。

トレス・デル・リオ 6:40 ~ ビアナ 9:20/10:15 ~ ログローニョ 12:15

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 19

古谷章・古谷雅子

9月20日(火)第6日目 晴 <行程29.6km/累計145.1km>

エステージャ~トレス・デル・リオ

イラチェの醸造所、ビノが出るはずの蛇口

今日もまたまだ暗い7時前に出発した。30分ほどで着いたイラチェの修道院に付属の醸造所は水の出る蛇口とビノの出る蛇口が並んであることで有名なところだ。しかし、先行していた多人数のグループがはしゃぎながらビノをたくさんペットボトルに詰めてしまったためか、私たちが着いた時にはもうほとんど出なかった。楽しみにしてきたのに、まだ暗い醸造所の前でがっかりしてしまった。この後補充するのかもしれないが、それを待つわけにはいかないので先を急ぐことにした。

間もなく、やや距離は短いものの山沿いを進むコースとの分岐になったが、町を辿りながら行く通常のコースを行くことにした。モンハルディンというセザンヌが描いたプロヴァンスの「サンクト・ヴィクトワール」のような形をした山の麓の広々としたところだ。ずっと薄茶色の平原と遠景の山並みが続き、まさにスペインの大地を歩いている感じがする。

小さな二輪の荷車(リアカー)を引いて歩いている一団がいた。平らなところでは身軽に歩いて快適そうだが、傾斜のある特に階段状のところでは苦労しているようだった。

昼頃にロス・アルコスに着いた。この町は古代ローマ時代からの町とのことで、由緒ありげな建物が並んでいた。特に、休んだバルの前にあるサンタ・マリア教会は、塔はルネッサンス様式、回廊はゴチック、内部はバロック、そして外観はロマネスクという見事な建物だった。この教会に限ったことではなく、外観はロマネスク様式でも中に入ると金ぴかの祭壇がはめ込まれていたり、後世に増築されている教会が多く、長い年月をかけて建築しているのは有名なサグラダ・ファミリアだけではないと痛感した。

荷車を引く一団

特徴的な山、モンハルディンを眺めながら歩く

今日はこの町までとも考えていたのだが、明日はぶどうの収穫祭で賑わっているはずの「ビノとバルの町」ログローニョに早く着きたいのでさらに進むことにした。再び広々とした大地を歩き、トレス・デル・リオに着いた。3軒あるアルベルゲのうちホテルに併設されていて設備のよさそうな San Andres に泊まることにした。久しぶりにドミトリーの2段ベッドの部屋だった。

ロス・アルコスで休んだバルの前のサンタ・マリア教会

プールもあったが、入った人は「寒い、寒い」と言ってすぐに出てきた。

夕食はホテルの食堂で7時から一斉に始まった。巡礼者だけでなく一般のホテルの客も一緒だ。大テーブル方式で、向かいに座ったカナダ人カップルらとにぎやかにしゃべりながらの食事になった。これまでほぼ同じ行程で歩き、挨拶を交わしてきた人たちがどこの人で何をしているのかなど、少しずつわかってきた。

しかし、ほぼ満席だったためか料理がなかなか出てこなくて、食べ終えたのは9時になってしまった。でもビノは瓶ごとお代わりがサービスされた。

アルベルゲ 6:45 ~ イラチェ 7:15/35 ~ 分岐 7:45 ~ ビジョマジョール 9:10/20 ~ ロス・アルコス 12:00/45 ~ トレス・デル・リオ 2:20

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 18

古谷章・古谷雅子

9月19日(月)第5日目 晴 <行程22km/累計115.5km>

プエンテ・ラ・レイナ~エステージャ

シラウキの町はずれを望む

朝7時過ぎ、月明かりの中を出発した。今日は天気が良くなりそうだが、まずは長袖の上に雨具を着ての行動だ。最初の村、マニェールでバルに入ってゆっくりと朝食にした。いつものことながらカフェ・コン・レッチェとボガディージョ(サンドイッチ)がうまい。

その先の丘の上にある村、シラウキはまるで中世のような迷路の町とのふれこみだが、街の中心部ではなにやらイベントの準備中で落ち着かないので、あまり休まずに通過してしまった。

ぶどうやオリーブの畑に囲まれた、あまりアップダウンのない道が続くが、粘土質の土地なので雨の後の水たまりがなかなか消えないようだ。スペイン内戦の記録を読むと塹壕掘りに苦労した場面がよく出てくるが、この土質ではスコップも歯が立たなかったろうと想像できた。

ぶどう畑を見ながらシラウキを目指す

ロルカやビジャトゥエルタという小さいながらも趣のある村々では通過してしまうだけではもったいないので、村の中心にある広場で休みながら進んだ。どこも必ず村の中心となる広場があり、物語性が感じられる。

エステージャの町に入り、まずはツーリスト・インフォメーションに行った。そこでいくつかあるアルベルゲのうち、新市街にあるトイレとシャワー付きのツインルームのある Capuchinos Rocamador を紹介してもらった。少々高い(40€)が快適だ。それまで封筒に入れて肌身離さず持っていた日本円とユーロの紙幣が汗でびしょびしょになっていることに気づき、窓際に並べて乾かした。こんなことができるのも個室ならではのことだ。

この町の旧市街は「北のトレド」と称されるほどの歴史のある街で、趣のある教会などをいくつか見て回った。中でも街を見下ろす丘の上にある教会は1950年代に建てられた近代的なものだが、素晴らしいステンドグラスに飾られた八角形のバジリカで、まさにエステージャ(星)を表していた。昔、羊飼いが星の導きでこの丘に登り、今安置されている聖母像を発見したという。私たちのほかには誰もいなかった。

アルベルゲに戻って夕食にした。大したことのない料理だったが、町のレストランでは普通は8時にならないと夕食を食べられないこの国で、6時半から食べられるのはうれしい。建物は昔の教会だった由緒ある建物で、共通部分の装飾や家具など立派なものだった。キッチンも使えるので食後のお茶を入れて庭で飲んだが、寒くて早々に引き上げた。

アルベルゲ 7:05 ~ マニェール 8:10/50 ~ シラウキ 9:20/30 ~ ロルカ 10:50/11:10 ~ ビジャトゥエルタ 12:15/25 ~ エステージャ入口 2:20 ~ アルベルゲ 2:50

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 17

古谷章・古谷雅子

9月18日(日)第4日目 小雨のち晴 <行程24km/累計93.5km>

パンプローナ~プエンテ・ラ・レイナ

昨夜はせっかくのオスタル泊まりだったので、いつもよりやや遅く起き8時過ぎに出発。最初は霧雨程度だった雨はだんだん本格的な雨になってしまったが、むしろ気温が低いので歩きやすい。郊外にあるナバーラ大学に寄り道をして守衛室(?)で巡礼手帳にスタンプを押してもらった。よくしつけられた犬を連れた巡礼者がいて感心した。

郊外にあるシスール・メノールのバルは巡礼者でにぎわっていたが、その先のサリキエギという小さな村でバルに入って朝食にした。ガイドブックには書かれていないが、このバルの2階は新しくてきれいなアルベルゲになっていた。昨今の「カミーノ・ブーム」を当て込んだ私設アルベルゲがルート上に増えているようだった。

一面に刈入れの済んだ麦畑の広がる大地を進むと、ペルドン峠に向かう上り坂にかかった。しかしゆるい坂の上、暑くないので苦にならない。峠には大きなモニュメントがあり、遠くには風力発電の大きなプロペラがたくさん見えた。峠の先は晴れていて畑と森の織りなすナバーラの大地がよく見渡せた。

ペルドン峠への登り、稜線には風力発電の風車

ペルドン峠のモニュメント前で

下りにかかるところでこれから目指すプエンテ・ラ・レイナのアルベルゲ、Santiago Apostol のチラシが配られていた。見ると2人用の個室もあるのでそこに泊まることにした。この下りはガイドブックには厳しい道と書かれていたが難なく歩き、他の巡礼者をどんどん追い抜くことができた。道の両側には石ころだらけの耕地があり、畝の上はきれいに刈り取られていた。何を植えていたのか不思議に思えたが、どうやらひまわり畑のようだ。ムルザバルという村からやや離れたエウレカにあるロマネスクの礼拝堂に寄り道をするルートもあるが、件のアルベルゲに早く着いて個室を確保したいこともあり割愛した。

プエンテ・ラ・レイナの中心は狭い石畳の道を中心とした古くからの宿場町だ。ほかにもアルベルゲがあったが、目指すアルベルゲは町を出た先の坂道を登った丘の上にあった。この最後の登りは少々きついものがあった。

美しい石橋、プエンテ・ラ・レイナ

2人部屋(といっても、2段ベッドとベンチに囲いがあるだけだった)を確保してからシャワーと洗濯。天気も良くなり風もあるので洗濯物はすぐに乾いてしまった。町へ再び戻ってバルでのんびりした。この町はその名の通り、王妃の橋という石橋が町のシンボルだ。また南から来る「アラゴン・ルート」との合流点であり「ここからすべての道は一つになりサンティアゴへ向かう」との表示があることになっているのだが、惜しいことに見落してしまったようだ。

チェックインの時に申し込んでおいた夕食を7時からアルベルゲで食べた。また大テーブルでの一斉夕食だが、ここまで前後して歩いてきた日本人女性のMさんが隣に座った。今回エル・カミーノを歩いていて、出会った日本人はこのMさんを含め2人だけだった。

パンプローナ 8:00 ~ シスール・メノール 9:30 ~ サリキエギ 10:50/11:20 ~ ペルドン峠 11:55/12:00 ~ ムルサバル 13:20 ~ プエンテ・ラ・レイナ 14:25 ~ アルベルゲ 14:40