石川雄一(教会史家)
新約聖書に収められている「エフェソの信徒への手紙」は、パウロがエフェス(エフェソスやエフェソ、エペソとも)の教会に宛てた書簡であると伝統的に理解されてきました。聖書学の発展により執筆者や宛先については様々な議論が出ているようですが、それでも、昔からエフェスという地がキリスト教にとって重要な地であったことは疑いようがありません。今回はそのエフェスの名を冠するビール「エフェス」を紹介します。
小アジア南西の都市エフェスは、様々な民族や宗教、国の衰亡を体験してきました。世界の七不思議の一つであるアルテミス神殿があったエフェスは、キリスト教の時代以前から政治や経済、文化、そして宗教的に重要な土地でした。ペルガモン王国というギリシア系の国の都市であったエフェスは、ローマ人が勢力を拡大するとローマ領となり、この時代にキリスト教が広がります。ローマ帝国が東西に分裂した後も、エフェスは東ローマ(ビザンツ)帝国の重要な都市として繁栄を続けました。431年には史上三回目の公会議がエフェスで開催されています。
7世紀初頭、ユスティニアノス朝が倒れた後のビザンツ帝国は政治的に混乱し、東方国境はササン朝ペルシアに脅かされ、エフェスの位置する小アジアは侵略の憂き目にあいます。ササン朝ペルシアの脅威が去った後は、新たに勃興したイスラーム勢力の攻撃を受け、エフェスを含めた小アジアは荒廃していきました。1071年にマンツィケルトの戦いでセルジューク・トルコがビザンツ帝国に圧勝すると、小アジアの支配権はトルコ人に握られました。その後、セルジューク・トルコの衰退やビザンツ帝国の再興などがあったものの、最終的にエフェスはオスマン・トルコの支配下に置かれました。オスマン・トルコ時代までにエフェスは、古代に享受した栄華を失っていたため、重要ではない都市として放棄され廃墟となっていきました。
第一次世界大戦にオスマン・トルコが敗北するとトルコでは革命がおこり、ムスタファ・ケマル・アタテュルクがトルコ共和国を樹立しました。政教一致のオスマン・トルコと異なり、イスラーム色を薄めた世俗国家であるトルコ共和国では、戒律で禁じられていたお酒が容認されたため飲酒文化がより一層発展していくこととなります。ムスタファ・ケマルも大の酒飲みであったそうです。そんなトルコ共和国で1969年に創業した醸造所がアナドル・エフェスです。トルコを代表するビール「エフェス」を醸造するアナドル・エフェスは、2023年現在、世界で9番目の規模を誇る大手企業にまで成長しました。
今日、世界遺産に登録されたアルテミス神殿やキリスト教の巡礼地を目指して多くの観光客が訪れるようになったエフェス。エーゲ海に近い観光地エフェスをイメージしたかのような青いパッケージの「エフェス」ビールは、苦みが少なく味わいもさわやか。世界三大料理の一つとされるトルコ料理との相性もバッチリです。