土葬から火葬へ


平本義和(カトリック長崎教区司祭)

40年ほど前まで、わたしの故郷ではほとんどが土葬でした。今では考えられませんが、葬儀があるときは、小学校を早退し(学校もそれを容認し)侍者をしていました。墓地が教会から近ければ、十字架を先頭に葬列を組み柩を担いで墓地に向かいました。司祭が祈りを唱え、新しく掘られた深さ2メートルほどの穴に柩を納め、参列者が一人ずつ灌水します。そのとき、よく故人に声かけがありました。その掛け声に純朴だった少年の私の涙腺が崩壊していました。人が永遠の眠りにつく、この地で復活の時を待つ。それがリアルに感じられたものです。掘り出されて横に盛られた土が、スコップで柩の上にドサッと掛けられるとき、たまらない気持ちになりました。20年前の同年代の親戚の葬儀も土葬でした。土が戻され、粗削りされた石で、長方形を整え、白木の十字架をさします。しばらくして(数か月から数年)きちんとした墓石が建てられることになります。

今日では火葬が一般的です。土葬が必ずしも禁じられているわけではないのですが。個人的感想ですが、遺体を火葬場の炉に送り出すときの辛さと、焼き上がった遺骨を目にするときのあっけなさ、悲しみがスーッと引いて行くような空ろさを感じます。土葬のあの重々しさを知っているだけに、直感的に故人との結びつきが感じられないのです。

15年ほど前でしょうか。我が平本家の墓も納骨式に改められました。数柱あった墓を掘り起こし、遺骨を集めて改めに地中に埋葬したみたいです。生後数日して亡くなった兄は骨らしきものはなく、おむつカバーらしきものがあり、それを納めたとか。確かに次に我が平本家に死人が出たら、もはや埋葬するスペースがありませんでした。小さな畑のような平本家の区画はコンクリートで覆われ、それまであった墓石は隅に窮屈そうにまとめられています。ある方が言っておられました。「土葬すると二度手間だから、子供たちに迷惑をかける。自分は火葬でいい」と。ちなみに、掘り起こし、改装の時に司祭の立ち合いはなかったみたいです(私の知らないうちになされました)。

墓を守るべき人たちがみな都会に出てしまって、田舎での墓を整理し、遺骨を移すケースが出てきています。掘り出し作業を行うのは主に石材店の方。埋葬された方の年月が浅いと相当な異臭があり、素面ではできないとのこと。骨壺に納めるためには、泥にまみれたお骨をきれいにしなければならないこともあり、焼かなければなりません。かつては作業の現場で鉄板を敷いて焼くこともあったみたいですが、今では必ず火葬場で焼くと伺います。

かつて長崎の若手司祭の勉強会で、さまざまな祝福の儀式を作成しました。そのとき、墓じまいと改葬の儀式も試案を作り、暫定的な使用を教区長からいただきました。遺骨を掘り起こすのは、作業する人にとっては精神的な負担となるところが多いようです。さまざまな懸念を払拭し、死者への悼みの思いを深め、ともに永遠の命の希望を持つためです。

 


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