『小学唱歌集初編』に含まれる讃美歌——「むすんでひらいて」


松橋輝子(音楽学)

 まるで観音像に擬したマリア像のように、『小学唱歌集』には、讃美歌が隠されている。(安田1993p.15)。全33曲の教科書の中でには実に10曲もの讃美歌が含まれている。「見わたせば」(むすんでひらいて)、「春のやよひ」、「わが日の本」、「うつくしき」、「蛍」(蛍の光)、「君が代」、「思ひいづれば」、「隅田川」、「雨露」、「玉の宮居」は『小学唱歌集』の種本であったメーソンの『音楽掛図』には見当たらない。それらのルーツは居留地で歌われていた讃美歌にある。『小学唱歌集』は秘められた讃美歌集であったのか。日本列島を縦横に走る教育回路を讃美歌伝道に利用していたのか。いずれにしてもこの唱歌集によって、明治以降の日本人の心には讃美歌の響きが染みついているのであろう。

『小学唱歌集』は最初12曲は単純な音階練習である。それに続いて掲載される最初の歌こそ「見わたせば」。のちに「むすんでひらいて」となる現在でも知らない人はいない歌である。今回は、その原曲と日本での来歴をクローズアップしよう。

 原曲は、フランス啓蒙思想家ジャン・ジャック・ルソー(17121778)が1752年に作曲した《村の占師》の舞曲〈パントマイム〉である。

これを1812年、ロンドンを中心に活躍したピアニスト、ヨハン・バプティスト・クラーマー(17711858)がピアノ曲《ルソーの夢》として出版。英米で広く出版された各会派、教派用の讃美歌集に《グリーンヴィル》、《ルソー》という名称とともに、各種の歌詞が付けられ、讃美歌として用いられる旋律となった。

日本で初めてこの旋律が現れたのは、日本で最初に刊行された讃美歌集『聖書之抄書』においてである。この書は、1874(明治)年にバプテスト派の宣教師ネーサン・ブラウンによって編纂されたもので、十戒、使徒信条、主の祈り、詩編などが収められた第1部と27曲の讃美歌が収められた第部で構成されている。その一つとして、『グリーンヴィル』が掲載された。その後、1876(明治)年には日本基督一致教会系の讃美歌集『改正讃美歌』において、1877(明治10)年にはメソジスト教会系の『讃美歌一』において、1879(明治12)年には総合教会讃美歌『さんびのうた』において掲載され、『小学唱歌集』の刊行に先立ってプロテスタント教会において重用されていたことがわかる。さらに1890(明治23)年に出版されたプロテスタント系の統一的聖歌集『新撰讃美歌』の中に、2つの讃美歌のメロディとして掲載され、教派の枠を超えて広く受け入れられる結果となった。

 そして、まさに讃美歌としての流布が進行している明治10年代に、『ルソーの夢』の旋律は小学唱歌として「日本人の歌」となった。『小学唱歌』の編集を行ったのは、明治1210月に設立され、伊沢修二が御用掛に任命された文部省音楽取調掛であった。「見わたせば」の元となった歌詞は、『古今集』第1巻の素描法師の歌を、国文学者であり、音楽取調掛雇であった柴田清熙、稲垣千穎が作り直したものである。讃美歌としての伝統を引き継ぐこの唱歌は、軍歌「戦闘歌」、唱歌遊戯「戦闘歌」を経て、遊戯「むすんでひらいて」として、日本人の心に深く刻まれ続けている。

海老沢敏『むすんでひらいて考』東京:岩波書店、1986年。

安田寛『唱歌と十字架――明治音楽事始め』東京:音楽之友社、1993年。


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