2025年5月8日、コンクラーヴェで選ばれたプレヴォスト枢機卿は、レオを名乗る14人目の教皇となりました。大教皇と呼ばれる聖レオ1世、カール大帝を戴冠した聖レオ3世、中世に教会刷新を主導した聖レオ9世、芸術を保護するあまり宗教改革を招いたレオ10世など、教会史には多くの教皇レオがいますが、やはりプレヴォスト枢機卿が最も意識したのは19世紀の教皇レオ13世ではないでしょうか。
社会教説の発布により教会の近代化を進めたレオ13世は、教会全体にとって偉大な人物であっただけでなく、プレヴォスト枢機卿個人とも接点が多いといえます。というのもプレヴォスト枢機卿は、歴史上はじめて北米から選出された教皇となりましたが、アメリカ合衆国のカトリック教会の発展に大きく寄与したのが他でもないレオ13世だからです。アメリカ・カトリック大学の認可など様々な面で米国のカトリック教会を支援したレオ13世は、一方で「アメリカニズム」と呼ばれる思想の行き過ぎに警鐘を鳴らしたという点で今日の政情を想起させます。また、プレヴォスト枢機卿はアウグスティノ会士ですが、19世紀に衰退していた同修道会の復興に心血を注いだのもレオ13世でした。このように、新教皇レオ14世とかかわりの深いレオ13世は、「ヴァン・マリアーニ」と呼ばれる特別なワインの愛好者でした。今回はこの「ヴァン・マリアーニ」を紹介します。
19世紀半ば、薬剤師のアンジェロ・マリアーニは、南米で取れるコカの葉の医学的な効能に着目し、コカから抽出されるコカインをワインに混ぜて「ヴァン・マリアーニ」(マリアーニ・ワイン)として売り出しました。「ヴァン・マリアーニ」は疲労回復や滋養強壮などの効能があるとされ、多くの人々を魅了しましたが、その中に多忙を極めていた教皇レオ13世がいました。「ヴァン・マリアーニ」を飲むと元気になれた教皇レオ13世は、このお酒を個人的に携帯し、推薦すらしました。そう、教皇レオ13世は、なんとコカイン入りのお酒を常飲し、それを人々に推奨したのです!今日の感覚からすると信じられないかもしれませんね。ですが、当時、コカインは発見されたばかりであり、その危険性は十分に認識されていませんでした。
1850年代にドイツで発見・研究されたコカインは、当初、様々な薬効のある万能薬のように見なされ、すぐに社会現象を巻き起こしました。疲れを癒し、痛みを忘れさせ、集中力を向上させるコカインは、今でいうとエナジードリンクでしょうか。それほど気楽に摂取されていたコカインは、それだけでなく、育毛剤にも使われるなど、とにかく困ったら服用すればよい魔法の薬と考えられていたのです。当時問題になっていたモルヒネなどの麻薬中毒にも効くとされたコカインは、薬物中毒の治療薬にもなりました。フロイトはコカインを精神病の特効薬と考え、うつ病の人などに処方しました。また、シャーロック・ホームズも作品中でコカインを摂取する描写があります。
19世紀後半のコカインブームに乗って発売された「ヴァン・マリアーニ」は、大西洋を越えてアメリカ合衆国の人々の興味もそそりました。米国の医師ジョン・ペンバートンは、「ヴァン・マリアーニ」を真似た「フレンチ・ワイン・コカ」を発売します。コカイン入りワインはアメリカでも人気を博しますが、禁酒法につながる禁酒運動が高まると、「フレンチ・ワイン・コカ」が売れなくなる可能性が出てきました。そこでペンバートンともに「フレンチ・ワイン・コカ」を売っていたフランク・ロビンソンは、ワインの代わりに甘い炭酸水にコカインを入れたジュース、後のコカ・コーラを作り出しました。
このようにコカインは19世紀後半の西洋で一大ブームを巻き起こしましたが、次第にその中毒性などが認知されるようになり、20世紀にはいると禁止されていくこととなりました。コカ・コーラからはコカインが抜かれ、レオ13世の死後に「ヴァン・マリアーニ」も禁止される結果となりました。今日、レオ13世が愛飲した「ヴァン・マリアーニ」を飲むことは当然できません。ところで、レオ14世はコカ・コーラの愛飲者なのでしょうか。
石川雄一 (教会史家)
「ヴァン・マリアーニ」飲んでみたいです。