縄文時代の愛と魂~私たちの祖先はどのように生き抜いたか~①


森 裕行(縄文小説家)

息苦しさを感じるこの時代の中で、13,000年続いたとも言われる縄文時代への関心が高まっている。4万年前くらいの洞窟での壁画の出来栄えなどから、今の私たちと心身ともに殆ど変わらないと言われる縄文人。私たちの祖先はどのように生き抜いてきたのか、探ってみたい。

1.現代に息づく縄文文化

昨年(2022年)11月8日の宵の口からの皆既月食。部分食が午後6時ごろからはじまり、約1時間半の皆既月食を経て完全に終了したのは9時過ぎであった。この天体ショウを私たちは久しぶりに心から楽しんだようだ。

欠け始めた月をお隣さんとワクワクしながら一緒に眺め、時々カメラを構えてパチリ。満月から徐々に欠け三日月に、そして突如普段見慣れない赤銅色の月となり、不気味な約1時間半。そして、突如白い細い糸のようでありながら強烈な光が放たれ、皆既月食が終わる。その瞬間に私は、死と再生といった月の両義性に感動した。

私は縄文時代にこのところ強い関心をもっているので、縄文時代の祖先がどのように皆既月食を感じ解釈したのかと思案した。強烈な白い糸のような光から、ふと白蛇のことを想う。

(著者撮影)

(著者撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の幼い頃の思い出だが、四谷本塩町の外堀通りを少し西に入った横丁には、太田道灌が狩りで目印としたと言われる椎の大木があった。梅雨ごろには生臭い椎の花が咲く大木は注連縄がかけられ神木とされていた(今は新宿区の天然記念物として絵画館の近くに移植されたとのこと)。確か祖父母から聴いたが、その神木には白蛇がいると言われた記憶が生々しい。蛇の気味悪さや恐ろしさは周りからよく聞いていたが、神木に見たことのないような白蛇がいる。不思議な違和感を覚えたように思う。

この嫌悪と崇拝という両極端のイメージをもつ不思議な蛇。民俗学者の吉野裕子氏(1916年~2008が縄文時代の蛇信仰のありようを発表したのは1970年台であった。

そして、意外にも殆どの人が気の付かない形で、蛇信仰が現代に残っているとしていた。驚きであった。まずはお正月で必ずと言っていいほど見るものに鏡餅がある。お餅を重ねて小正月まで食べることもなくお供えする。余りに普通にあるので、その意味や起源を考える人は殆どいない。私もその一人であった。

これは蛇がとぐろを巻いている姿であると吉野裕子氏は言われる。そもそも鏡餅のカガ。

カカ、ハハ、ウカは蛇の古語。ご著書「蛇」を読むと、鏡、案山子なども蛇と関係が深いらしい。縄文中期の土偶の頭にはよく蛇がとぐろを巻いて鎮座している。次は有名な井戸尻考古館の蛇を戴く女神。

(井戸尻考古館蔵 著者撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、神社でよく見る注連縄。これは雄と雌の蛇が絡まる様子を示しているようだ。何か原始的な印象があるが、性は伝統宗教の中でも大切に思索され美しい隠喩表現であらわされたりする。旧約聖書の雅歌や仏教の理趣経。従ってそれは決して怪しいものではない。

 ところで、縄文時代の縄文。明治時代に考古学の父であるE.S.モースにより大森貝塚(縄文後晩期)で縄文(当時はcord marked pottery)が発見され、やがて縄文土器という名称が定着してきたようだ。縄文(縄紋とも書くことがある)は、はじめは文様から縄目を推論したのだろうが、次の写真にあるように縄文後期の土器の胴部に実際に文様をつけるための道具(原体)が胴部に紛れて練りこまれたのが発見され、再現したものとの関係で確かなものとされた。この道具も先ほどの注連縄に似ている。祈りと共に文様がつけられたのだろうか。

(新版縄文美術館 2018 写真小川忠博 平凡社 監修小野正文・堤隆 P100~101 を参照し一部引用)

  縄文時代の蛇信仰。なぜ蛇なのだろう。蛇の民俗学的な謎解きについては吉野裕子氏の「蛇」(講談社学術文庫 1999年)などに詳細があるが、私は人が生きる上で大事な「死と再生」の概念が、一般に40日ごとに脱皮(身体全体、顔や眼まで)する蛇の特色と等価であるからではないかと考えている。

 さて、蛇が縄文時代に由来するというお話をしたが、蛇は日本だけではない。2,500年前とか3,000年前といった時代。どうも何処の地域でも蛇信仰があったようである。人類は20万年前にアフリカで生まれ、6万年前ごろに世界に散らばったという遺伝子科学の常識から考えれば当然なのかもしれないが。

例えば、西欧について思いを巡らす。ギリシャ神話にでてくる「アスクレピオスの杖」これは医療・WHOなどで使われている。

(アスクレピオスの杖)

キリスト教はどうかと言えば、アダムとイブそして蛇が思い出されるが、旧約聖書全体に目配りすると、モーゼの出エジプトに関係して民数記(214〜9)の中に「青銅の蛇」がでてくる。毒蛇に噛まれても青銅の蛇で救済されるというものだ。

(青銅の蛇)

そして、もう一つ。これは私の独断と偏見であるが、可能性もあるので一つ。「パウロの回心」は新約聖書の中で有名な箇所であり、日本でよく使われる「目から鱗(うろこ)」という諺も聖書が起源とも言われるが、この鱗は魚の鱗なのであろうか。ひょっとすると蛇の脱皮の「死と再生」のイメージと重なっているのではないだろうか?

次回は「東京のストーンサークル」

 

 


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