愛の黄金律


私はキリスト教系の高校で「宗教」という教科を教えているのですが、そこで「愛の黄金律」というのを紹介します。ご存知ですか? これは古今東西を問わず、通じる普遍的な倫理・道徳の原理(Golden Rule)といわれるものです。

ヤン・ブリューゲル「山上の垂訓」

イエスは聖書の「山上の説教」の中で「だから、人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなた方も人にしなさい。」と言われています。(マタイ7章12節)

孔子は「『論語』の顔淵第十二・衛靈公第十五」の中で

子貢問うて日わく、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。子貢が、人として一生涯貫き通すべき一語があれば教えて下さい、と聞きました。子日わく、其れ恕(ジョ)か。孔子が言うには、それは恕(つまり相手の身になって思い・語り・行動することだ)と答えたが、(子貢には難しいと思ったのか言葉を継いで)己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。

自分が嫌なことは人にするな、と言いました。

これが「愛の黄金律」と呼ばれている教えです。この二つの教えは論理的には同じことを言っているように思われるのですが………。

湯島聖堂の孔子像

よ~く考えてみると、これらはともに、「自分のしてほしいこと」「自分のしてほしくないこと」であり、「人がしてほしいこと」「人がしてほしくないこと」ではないのですね。その表れ方が大きな違いをもっていることに気づきます。

前者の教えでは、他人がどう思っているかどうかは問われないのですね。他人が望んでいようと望んでいまいと自分がいいと思ったことはいいと押しつけることになる、いわば押しつけがましい「お節介の倫理」でもあるのです。でも、この「偉大なるお節介」の故にキリスト教は全世界に広まったといえるでしょう。これに対して「論語」の方は「迷惑の倫理」を作り出します。「人に迷惑をかけることだけはするな」日本人が子供をしつけるときの原則がこれです。西洋と東洋の倫理的な違いをよく表していると言えるかもしれません。

ビートたけしの詩に「ともだち」という詩がここhttps://kensakumaigo.hatenablog.com/entry/20130513/p1にあります。(「『続・一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』」PHP研究所刊 所収)

ビートたけしはこの詩で、困ったときに助けてくれる友だちがほしいというひとに「馬鹿野郎」と一喝します。そしてそういう友だちがほしいなら、困ったときに「相手になにも期待せずに」助けられるようになること、それが友人を作る秘訣だといっています。

これは「人にして欲しいことを人にしてあげなさい」という「愛の黄金律」やフランシスコの「愛されることよりも愛することを望ませてください」という平和の祈りの精神をよく表しています。

 

土屋 至
聖パウロ学園高校「宗教科」講師
SIGNIS Japan 代表
宗教倫理教育担当者ネットワーク&ワークショップ事務局長


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